クリエイティブの原点は学生時代にある – 林響太朗 |撮りはじめた、あの頃。 vol.06

現在活躍されている写真家が生まれる前──
写真家が大切に守り続けている要素が作品にどのような深みをもたらしているのだろうか。
駆け出し時代の初期作品を振り返り、変わらぬ原点やテーマ性の意義を明らかにしていく特集【撮りはじめた、あの頃】。

DRAWING AND MANUALに所属する映像監督・写真家の林響太朗さん。2016年「ヴェネツィアヴィエンナーレ」特別賞、2022年「iF DESIGN AWARD」Gold受賞など、多数の受賞歴をもつ。

映像や写真に出会うまでの軌跡や父親から受けた影響を振り返りながら、撮り始めた、あの頃を伺った。

PHOTOGRAPHER PROFILE

林響太朗

PHOTOGRAPHER PROFILE

林響太朗

1989年東京生まれ。
多摩美術大学情報デザイン学科 情報デザインコース卒業後、DRAWING AND MANUALに参加。
多摩美術大学 情報デザイン学科デザインコース 非常勤講師
2021年にMTV VMAJで星野源の「不思議」がBest Solo Artist Video賞、緑黄色社会の「LITMUS」がBest Rock Video賞、アイナ・ジ・エンドの「金木犀」がBest Cinematography賞を受賞。2022年にはSSMAで星野源の「不思議」がVIDEO OF THE YEARを受賞。

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父親のカメラに興味を持った学生時代

── 林さんが、映像に興味を持つきっかけはありましたか?

大学2年の頃に、友人の影響で映像に興味を持ち始めました。カメラでVJ(ビデオジョッキー)素材を撮って、夜な夜なCGでモーショングラフィックスを作って下北沢のちいさなクラブで緊張しながら流す、という感じのはじまりでした。

── すごい! そんな始まりだったんですね。当時、大学は多摩美術大学(以下、多摩美)にいらっしゃったんですよね。

はい、情報デザイン学科情報デザインコースに通っていました。

── どうして多摩美に進学されたんですか?

小さい頃からお絵かきが好きだったんですけど、高1で、なんとなく2歳から80歳まで通えるお絵かき教室に通い始めたのが原点かもしれないです。

その後、大きな美術予備校の夏期講習に通いはじめたら、そこにめちゃくちゃうまい人がいっぱいいるのを目の当たりにしたんですよ。その後自分は浪人することになるのですが、そのタイミングから気持ちの入り方が変わった気がしますね。

── 気持ちが入っていくことによって、どういう進展になっていくんですか? 

この前父親に言われたのは「あの頃から突然絵が上手くなったよね」 って。例えば、光のどういうところに着目すると陰影を表現できるのか、いいライティングになるのかを知っているし、素材のテクスチャー感をどうやったら強調できるのか、全体の空間の中でどのような構図で表現していくかというところも、この頃から考えるようになりました。デッサンに向き合って良かったなと思いますね。

── 当時はまだ、写真も映像も撮られていないですよね。

そうですね。カメラに興味を持ったのは浪人中で、当時父親がカメラにハマりだしたんです。僕もガジェットとしてカメラが好きだったから、興味津々でした。父親のカメラをカッコいいなと見ていただけですが(笑)。

大学に入ってカメラが欲しくなって「どうしても授業で必要だから」と話を盛って、親に貰ったのが、SONYのα300 DSLR-A300です。 まともに撮り始めるまでは、ただ魅力を感じる友人を撮っていましたね。

林響太朗さん撮影の女性のポートレート
2023年撮影

この考えが、いまの僕に一番生きているかもしれない

── まともに撮り始めるまで、ということは大学時代に転機になる出来事があったんですね。

転機は大学時代の展示です。当時服をつくる友人がいて、一緒に展示をやることにしたんです。友人は服をつくり空間で展示し、僕はその服のコンセプトを映像の投影などで空間で演出したり、写真で表現したりというのをメインで担当しました。

学校の同級生や浪人時代に知り合った友達にモデルになってもらって、わざわざ森に行って撮影して。ちゃんと撮影しようとしたのが初めてだったんじゃないかな。

林響太朗さん撮影の女性のポートレート
AMAKUMO

── アーティストのコンセプトやメッセージを空間全体やビジュアルで表現するのも、今やっているお仕事と通じますね。

今に繋がってますね。周りから褒められることよりも、この時の「納得できる空間ができた、やり切れた」という達成感が今の糧になっている気がします。

── その後はどのような転機があったんでしょうか。

大学3年の時に、今でもお世話になっている恩師に出会いました。AXIS inc.の役員であり、教授でもある宮崎 光弘先生からデザインや考え方を学びました。講義のテーマは「パパと子供の関係を良くする作品をつくる」「朝をちょっとだけ良くするプロダクトをつくる」といったもので、人の心を豊かにすることをよく考えました。この考えが、いまの僕に一番活きているかもしれないです。

そのあとは、卒業制作の制作過程や発表で感じたプレゼンテーションの重要性です。卒業制作でつくったのは、ピアノを弾くと音がホログラムで空間に浮かび上がるという作品です。

それをただプレゼンテーションするだけではなく、一つ一つの要素を丁寧に演出したんです。プロジェクターで投影しているホログラムなので、暗い方が見やすいけれど、全体を暗くすると鑑賞しづらくなってしまう。どうやってプレゼンテーションをしようかと考えて、懐中電灯でスポットを当てて見せるとか、教授に相手をしていただきながら、いろんな手段で演出することの面白さを学ばせてもらいました。 

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監督として、演出するうえで大切にしていること

── 演出する面白さって、どういうことだと考えていますか?

うーん……。実物よりも、良くできる気がします。僕はそれを楽しい嘘だと思っています。受け取る人の感覚として、自分が想像していた以上にめちゃくちゃいいものに感じてくれるかもしれない。
つまり可能性が広がるというか、あるものを高みに持っていけることだと思うので、卒業制作が終わる頃には演出することはとても大事だと思うようになりましたね。

── あいみょんやMr.Children、Bump of Chicken、星野源、米津玄師など、様々なアーティストのミュージックビデオの監督として、演出する上で大切にしていることってあるのでしょうか。

一番は、ファン目線でいること。そのアーティストのことを好きになることですね。打ち合わせなどをとおして、いいところを感じ取るんです。

アーティストによってファン層が全然違うけど、アーティストは求められていることを理解しているので、本人たちに寄り添って耳を傾けていくと、自然とファンのことを想う目線に繋がっていく気がします。

例えば星野源さんのミュージックビデオの時は、星野さん自身の転換期。星野さんの変わりたいという想いを大事に、どういうことができるのか考えて作りました。

── それってアーティストの考えやメッセージを届けていく側面がありますよね。大学時代の展示の演出と近しいお話ですね。

そうですね。最近だと、星野さんの『光の跡』 。星野さんの「日常の尊さに気付かされた」という言葉を聞いて、僕もそんなふうにここ数年思っていたけれど、星野さんのように自分が苦しくなるほどまで考えていなかったので、共鳴した分、すごく気合を入れなきゃと思って、奇跡みたいな尊い時間をいっぱい集めて撮影しました。

アーティストの思いを発射させる時には、いかに良い方向へ飛び立たせられるかが重要なことだと思っています。

林響太朗さん撮影の星野源さんのMV「光の跡」の写真
星野源 – 光の跡 (Official Video)

発射台をつくる仕事の、その先へ

── 発射という表現はあまり聞き慣れないですが、飛び立たせるイメージなんでしょうか?

じつはこの言葉も大学の教授が仰っていた言葉で、すごく素敵な宇宙開発をしている方がいまして(笑)。教授の「宇宙にロケットを発射させることと、自分たちが作品を作ること、プロモーションするということは近いんだよ」って言葉がすごくしっくりきたんです。

つまり僕がやっていることは、発射台なんだなって。そこに同乗するというよりも「いってらっしゃい」と送り出す感覚です。アーティストたちが作品をつくって、旅して行こうとする手助けしている感覚があるから、プロモーションとはそういうことなのかなと。発射台をつくるということが、僕の中で腑に落ちている言葉です。

── いい言葉ですね。

たぶん、教授ご本人はそんな大して考えて話してくれているわけではないんですけど、感銘を受けたお話です。

林響太朗さん撮影の暗い空間にある植物の写真

── 様々な方から受けた影響が、今のお仕事にたくさん詰まっているんですね。今後はどういったお仕事をしていきたいですか?

映像を通して、クリエイティブディレクターの方とかプランナーの方、コピーライターの方、ミュージシャン、作家…素敵な人が世の中にたくさんいることを知りました。

そういう素敵な人たちと作り続けたいです。いろんなメディアやコンテンツの形があるので、それがスチールでも、どんなメディアの形でも。消費社会においては消費の仕方を一緒に考えていくのも楽しそうです。ただいいものを作るだけではなくプロモーションの打ち方も、発射の大事な要素だと思っているので。ティザーを打つのか、コンテンツを小分けにして拡散させるのか、チャネル化するのか、それはドラマなのか映画なのか。

それはつまり、アーティストを活動体としてどう導いていくのかを考えていくことでもあるんです。発射させるというよりもロケットに乗ってるほうの話ですね。

── そうですよね。これまではロケットの打ち上げ方について話していましたが、ロケットが飛んだ後、どうやって宇宙を飛び続けるか、みたいな話ですよね。

もしかしたら、軌道修正することも、もう1回発射することだってあるかもしれない。こういうふうに考えていくと、乗組員になるのもいいよね、とも思うんです。

── 撮り始めた頃とだんだん変わってきている側面もあるんですね。

ですね。それこそ撮り始めた頃は、作ることが楽しい、できたことが嬉しい、再生されるのが嬉しい、そういう沢山の“嬉しい”がありました。だけど今は、どういうふうにいまの社会に役立つかを考えながら、作品を届けようとしています。


現在活躍されている写真家が生まれる前──
写真家が大切に守り続けている要素が作品にどのような深みをもたらしているのだろうか。
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特集【撮りはじめた、あの頃。】

「撮りはじめた、あの頃。連載」
Interview

「あの頃×被写体」- 髙田久美子
思い出を残す仕事は、セルフポートレートから始まった

「写真家放談」