【撮りはじめた、あの頃。】スタンド・バイ・ミー |細谷謙介 #写真家放談

現在活躍されている写真家が生まれる前──
写真家が大切に守り続けている要素が作品にどのような深みをもたらしているのだろうか。
駆け出し時代の初期作品を振り返り、変わらぬ原点やテーマ性の意義を明らかにしていく特集【撮りはじめた、あの頃】。

特集【撮りはじめた、あの頃。】

「撮りはじめた、あの頃。連載」
Interview

「あの頃×被写体」- 髙田久美子
思い出を残す仕事は、セルフポートレートから始まった

「写真家放談」

今回はノスタルジックな空気感を持つ写真が多くの人の支持を集めている写真家の細谷謙介さんのコラムをお届けします。

PROFILE

細谷 謙介

PROFILE

細谷 謙介

写真家。群馬県高崎市生まれ。雑誌やWEB媒体などの撮影を中心に活動中。
「ニュー月島」名義でイベント出店やグッズ制作なども行う。

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スタンド・バイ・ミー

細谷謙介1

すがちゃんの家には1度だけ遊びに行ったことがある。確か14歳の頃だった。その日、すがちゃんと何を話したかは覚えていないが、今でも忘れられないのはすがちゃんの部屋にあったテーブルのことだ。車のタイヤが2つ重ねられて、その上に同じ丸い形のガラス板を乗せてあるテーブルだった。ガラスには英字の新聞やドル紙幣、お洒落なシールなんかが挟んであって、自分の何歩も先を行くそのセンスに大きな衝撃を受けた。そのかっこよさに14歳の僕はしびれた。そして帰り際、すがちゃんは僕に「スタンド・バイ・ミー」のサウンドトラックを貸してくれた。すがちゃんは、チャーミングで優しい人だった。

中学の卒業が近づいてきた季節、時々すがちゃんや他の友達と学校の帰り道が一緒になることがあった。ふざけたことを話したりして笑いながら道を歩いた。その時期に初めて写真が撮りたくなって、写ルンですをポケットに入れて撮っていた。その頃から今に至るまで、一度も途切れることなく何かしらのカメラをずっと手元に置いては写真を撮り続けている。

それから何年も経ったある日、たまたまその頃の通学路を歩いた。20代も半ばを過ぎ、色々うまくいかない時期で気分はぼんやりとしていたけど、カメラは持っていた。この道を行って、曲がって、また曲がったらすがちゃんの家があった。でも今はどうだろうか。この先はどうなっていくんだろうか。わからないな。すがちゃんは元気だろうか。そんな気分で道の途中で1枚撮った。スタンド・バイ・ミー、すがちゃん。

優しいため息

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祖母は一人暮らしをしていた。「目の前のことをいっしょけんめいやってね、健康でいるのが一番だよ」と祖母はよく口にしていた。こたつに入って、お茶を飲みながら。そうだね、と僕はみかんの皮を剥きながら頷く。年の瀬。日が暮れてきたころ、なんとなく台所に入ってみた。祖母はうたた寝をしている。台所は寒くて静か。窓の向こうの薄明かりに照らされて、祖母が使っている調理器具たちが佇んでいた。

その光景を見たとき、「ため息」のようだと思った。光景が、深くゆっくりと穏やかに、優しいため息をついている。そんな風に感じて数枚の写真を撮った。止まったように静かな時間の中で、光景が息づいていた。

祖母の台所で撮った写真を見て、写真をもっと撮りたいと思った。自分がどういう時に写真を撮りたいと感じるのか、この写真が教えてくれたような気がする。散歩したり、街を歩いたり、誰かといたり、「いいな」と思って写真を撮ることがあって、それはどういうことなんだろうか?とよく考えていた。優しいため息をついているような光景。息づいている光景。自分にとってはそういうことなんだと思う。

今はもう祖母はいないし、この台所もなくなってしまった。同じような写真を撮ることは二度とできない。祖母は天国で元気にしているだろうか。同じく天国にいる祖父や愛猫のモモと、こたつでうたた寝でもしているだろうか。祖母がよく言っていたことの意味が、最近ようやくわかるようになってきた気がする。目の前のことをいっしょけんめいやろう。

予感のようなもの

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例えば、時間を長く感じたり、短く感じたりする。うまくいく日もあるし、すべてが全然ダメな日もある。凪のように何もない時もあって、目まぐるしいほど激動の季節もある。それまでと違う新しい考え方をするようになったり、相変わらず今まで通りのこともたくさんある。時々、友達が連絡をくれる。あんまり友達は多くない。でも、ご飯とかライブとか誘ってくれる友達がちょっとだけいる。ありがたい。夜のファミレスに行きたい。明日は何かあるだろうか?もしかしたら何かあるかもしれない。今度はいつ会えるだろうか。美味しいビールを飲みに行こう。

色んなことが混ざり重なって、気がつくとちょっとしたきっかけで、小さく日々が動き始めたりする。動いて続いていく。そういう中で、写真を撮ってみる。それで何か変わるのだろうか?変わらないかもしれないけど、写真には変わっていく予感のようなものを感じる。

また時は流れて、30代。「ほっちゃん、写真撮ってよ」とすがちゃんから唐突にメッセージが届いた。美容師になったすがちゃんは自分のお店を作ったという。そのお店の写真を撮ってほしいという連絡だった。お店の場所は、かつて僕が遊びに行ったすがちゃんの家のすぐ近く。ていうか学校の帰り道じゃんよ。僕はめちゃくちゃ嬉しくなって、PENTAX67を持ってすがちゃんのお店に写真を撮りに行った。それでお店に入ってすぐ、ちょっと泣きそうになってしまった。14歳の頃、すがちゃんの家にあったテーブルと同じものがそこにあったのだ。「ほっちゃん、いつかこれ好きって言ってたよね」と、すがちゃんはチャーミングに笑っていた。20代の頃に撮った写真の道のその向こうはたぶんこの日につながっていて、やっぱりすがちゃんはスタンド・バイ・ミーだった。

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写真を見たときに感じる予感のようなもの。色んなことが、混ざり合って重なって、いつか何かが変わっていくような予感。学校の帰り道、初めて写真を撮りたくなった時もそんな感じだったのだろうか?今となってはわからないけど、そんな気がする。結局、その頃からあんまり変わってないのかもしれない。でも、いいよねそれで。それがいいです。そういう写真を撮ろう。そういう写真が撮れたらいいと思う。