思い出を残す仕事は、セルフポートレートから始まった 【撮りはじめた、あの頃】髙田久美子
現在活躍されている写真家が生まれる前──
写真家が大切に守り続けている要素が作品にどのような深みをもたらしているのだろうか。
駆け出し時代の初期作品を振り返り、変わらぬ原点やテーマ性の意義を明らかにしていく特集【撮りはじめた、あの頃】。
特集【撮りはじめた、あの頃。】
「撮りはじめた、あの頃。連載」
- vol.04 切ない感情をどうにかしたい、誰かに伝えたいと思っていた – 写真家・川島小鳥を形づくるもの
- vol.03 29歳の映画監督・写真家、枝優花
- vol.02 齋藤陽道 前編・後編
- vol.01 桑島智輝
Interview
「あの頃×被写体」- 髙田久美子
思い出を残す仕事は、セルフポートレートから始まった
「写真家放談」
今回は、群馬での移住生活の暮らしをInstagramやYouTubeで発信しているインフルエンサーであり、2023年11月にファミリーフォトを撮影するカメラマンとしてデビューしたばかりの髙田久美子さんにインタビュー。今まさに写真家としての道を駆け出し始めた髙田さんに、写真を始めたきっかけや、写真を仕事にすることに対する想い、今後の展望などを伺った。
思い出を残す仕事は、セルフポートレートから始まった
──髙田さんはInstagramで長きにわたってご自身のライフスタイルやご家族の写真を発信されていますが、そもそもどういった経緯で写真を撮るようになったのでしょうか?
写真に興味を持つようになったのは、写真家の細谷謙介さんに写真を撮っていただいたことがきっかけです。私は現在、群馬県に住んでいるのですが、元々は東京に住んでいました。当時住んでいた部屋は、私たち夫婦にとって特別な場所で、離れるのがすごく寂しくて。荷物をまとめる前に「せめて写真に残しておきたいな〜」と考えていました。細谷さんとはもともと繋がりがあって、移住前に部屋と私たちを撮っていただく事になりました。
その頃、私の Instagramアカウントのフォロワー数は2000人程でしたが、細谷さんの写真と共に”移住への想い”をカウントダウン形式で投稿していたところ、その投稿が反響を呼んで、たくさんの方から温かいお言葉を頂戴しました。 その時に、写真を撮ってもらうことや思い出を形に残してもらうということ、そしてそれを発信することの素晴らしさを強く体感しました。
──その出来事をきっかけにカメラを手にされたのでしょうか。
まだ、この時には、「フォトグラファー」になりたいというよりは、「インスタグラマー」になりたいという気持ちの方が強かったです。
撮っていただいた写真を毎日投稿していたわけですが、ほぼ全てのデータをアップしきってしまって、上げられる写真がなくなってしまったんですね。
そんな時、夫がたまたまNikonのD7000を持っていて、「このカメラで撮ってみたら?」と、譲り受けたのが1台目のカメラです。それからのInstagramでの発信は、日常的なコーディネートをはじめ、美容のこと、旅行も好きだったので旅先への持ち物やコーディネートなどを三脚を使ってセルフタイマーで撮ることからスタートしました。
セルフポートレートは、定点観測的に撮っていたというか、“ライフスタイルの発信の手段としてのカメラ”という風に初期は捉えていました。
──なるほど。その気持ちが少しずつ変わってきて、撮ること自体に興味を持ち始めたのはどういったことがきっかけなんでしょうか。
撮ることに対しての本気度が圧倒的に変わったのは、子どもが生まれてからです。妊娠中期くらいにソニーのα7R IIIというカメラを購入して、まずはセルフマタニティフォトを撮影していました。
このカメラは、現在もメインカメラとして使用しています。
出産後、「私にとって、最強の被写体が産まれてきてくれた!」「家族との時間を私の手で残したい」という気持ちになりました。
不思議なもので、産まれたての赤ちゃんは毎日顔が変わったり、感情がないのに笑ったりするんです。気がつくとお洋服がサイズアウトしていて、成長を感じたり。どんどん進化していく成長過程は、本当に貴重なもので、どんなに体調が悪くても「撮り逃したくない」という気持ちが勝っていました。
赤ちゃんはやらせがなく、「笑って」って言っても笑わないし、 泣いているそのままの姿も愛おしく感じます。そんなありのままの姿を撮っているうちに、撮影の楽しさみたいなものを感じるようになりました。
カメラを買ったばかりの時は、使い方をあまりわかっていなかったのですが、子どもは刻一刻と大きくなっていってしまうので、早く覚えないと撮り逃してしまいます。
子どもの成長は待ってくれないので、早く覚えなきゃというプレッシャーすらありました。それが私にとって上達のポイントだったかなという風にも思いますね。
──なるほど。日々お子さんを撮影されていたところから一歩踏み出して、撮影することを仕事にしたいと思ったのはいつ頃なんでしょうか。
もともと、写真好きのファミリーが身近にいて、仕事としてでは無いにしても、特別な日の撮影をすることは何度かありました。
きっかけがあったら、割とすぐに行動に移さないと気が済まないタイプで。2023年11月11日に、カメラマンデビューしますっていうことをInstagramで公言したんですけど、考え始めたのは2023年8月……ちょうどお盆の時期くらいですね。
──考え始めてからデビューするまでに半年も経ってないんですね。
そうですね。公言した時にはまだ撮影プランすら決めてない状態だったんです(笑)。何も決まってない状態で、 やりますってことだけを先に言ったという感じで。
お盆の時期に突然「私が本当にやりたい仕事ってなんだっけ?」という風にふと立ち返る瞬間がありました。立ち返ったのは仕事のことだけでなく、自分の周りにある「モノ」や「コト」に対しても見直しました。
お洋服が大好きで収集癖があったので、同じようなものがたくさん部屋にあるのですが、考えている時に「全部いらないかも」と、ふと思って。今の自分にとって何が1番大事かを考えていたら、「モノ」ではなく「思い出」だなと思いました。
家族や友達との思い出が私にとっての「宝物」だなって思ったんですよね。この時、「思い出を形に残す」という仕事をしたいと考えるようになりました。そこから数ヶ月の間、考えれば考えるほど素敵なお仕事のように感じました。
また、自分自身もインスタグラマーとしての活動を始めた頃は20代だったので撮ってもらうということがすごく好きだったのですが、30代になって年を重ねるごとに、撮られることよりも撮っていくことに喜びを感じるようになったということもひとつのきっかけです。
──フォトグラファーとして撮影する上で何か大切にしていることはありますか?
写真を撮るために被写体の方に表情やポーズをできるだけ作らせたくないという気持ちがあります。写真のためにその場の空気を変えるのではなく、ありのままの姿、自然体の良さを切り取りたいです。
例えば、咲いているお花に手を添えるとか、日常でこの動作絶対にやらないよねというポーズはお願いしないようにしています。
また、あえてみんなでピース!みたいなことをやってもらったとして、ピースが下がった後の柔らかい雰囲気を撮り逃さないようにしています。
受け売りの言葉ですが、匂いとか、温度感とか、その場の情景が真空パックになったような、思い出をぎゅぎゅっと詰めたようなといいますか、「あの時楽しかったな」「いい日だったよね」って思わず振り返ってしまうような写真を撮りたいという思いがあります。
──素敵ですね。最後にフォトグラファーとしての今後の展望などをお聞かせいただけますか?
目標としては、ファミリーという枠組みだけに捉われず、フォトグラファーとしての活動を幅広くやっていきたいなと思っています。私は自分自身の妊娠・出産という経験を通して、体型や内面の心境も含めて人生が大きく変わり、別人に生まれ変わるような体験をしたような気がします。
産後は自分のことに全く構えなかったりするのですが、大変さを知っているが故に他のママさんが頑張っているところを見かけると、ボロボロの姿をかっこいいなと感じます。
もちろん結婚や出産をしていなかったとしても、頑張っている女性を応援したいなと思っています。おこがましいかもですが、「充分頑張ってますよ〜」と、写真を通して頑張る女性にエールを届けられたらこんなに嬉しいことはないです。
あとは、制服の学生を撮ることにも興味があります。
カメラで撮影した制服の写真って修学旅行や卒業式などのイベントの時の写真しかないと思うんですが、限られた短い学生時代を生きる学生さんの普段の自然体の姿を撮らせて貰えたら……と夢見ています(笑)。
もしそんな機会があった際には「あ、なんかこういうおばさんになりたいな」って思ってもらえたらとても嬉しいですね。その時の学生さんが、結婚したり新婚旅行に行ったり子供が産まれたり、イベントごとに撮らせてもらえたりとかしたら夢のようだなと思います。
まだまだ駆け出しですが、人の時間の流れみたいなものを撮り続けさせていただけるようなフォトグラファーになりたいなと思っています。
PHOTOGRAPHER PROFILE
PHOTOGRAPHER PROFILE
髙田 久美子 (タカダ クミコ)
1991年生まれ。愛知県出身。
東京から群馬へ移住し、二児の母としての暮らしをSNSにて配信。
コラムの執筆やイメージモデルなど働き方の枠にとらわれず活動。2023年11月にカメラマン/ビデオグラファーとして正式に活動をスタートする。1日の中で珈琲を飲むのが至福のじかん。