切ない感情をどうにかしたい、誰かに伝えたいと思っていた – 写真家・川島小鳥を形づくるもの|撮りはじめた、あの頃。 vol.04

現在活躍されている写真家が生まれる前──
写真家が大切に守り続けている要素が作品にどのような深みをもたらしているのだろうか。
駆け出し時代の初期作品を振り返り、変わらぬ原点やテーマ性の意義を明らかにしていく特集【撮りはじめた、あの頃】。

2007年に友⼈を被写体とした写真集『BABY BABY』でデビューし、佐渡島で暮らす3歳の少⼥を撮影した『未来ちゃん』で第42回講談社出版⽂化賞写真賞を受賞した川島小鳥さん。

写真を撮り始めた高校時代の作品を含む『おはようもしもしあいしてる』や、自分を広げる作品になったという『明星』などを振り返りながら、撮影当時の思いや心の変化について、お話を伺った。

PHOTOGRAPHER PROFILE

川島 小鳥

PHOTOGRAPHER PROFILE

川島 小鳥

1980生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒業後、沼田元氣氏に師事。写真集に『BABY BABY』(2007)、『未来ちゃん』(2011)、『明星』(2014)、谷川俊太郎との共著『おやすみ神たち』(2014)、『ファーストアルバム』(2016)、台南ガイドブック『愛の台南』(2017)。第42回講談社出版文化賞写真賞、第40回木村伊兵衛写真賞を受賞。

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切なさを伝える方法を探していた学生時代

── 川島さんの作品を見ると、子どもの頃、自分にもこういう世界があったなと感じます。川島さん自身はどんな子ども時代を過ごされましたか。

小学校に入学した頃、毎日泣いていました。自分自身に悲しいことがあって泣いていたのではなくて、教室で誰かが泣いていると、もらい泣きしてしまうんです。悲しい人がいると、共鳴して自分も悲しくなってしまう子どもでした。

高校生の時は、陰キャっていうんでしょうか(笑)。大人しい感じで。高校時代は毎日、好きなことばかりしていて、時間が止まればいいのにって思ってたんです。特に映画を見てばかりいて、当時は映画監督になりたいと思っていました。

高校生活が楽しい一方で、現実から逃避して、映画の世界に隠れてもいたくて。自分の現実の世界とは別の現実がある感覚、それに浸っている時間が好きでした。

映画の中の、60年代のフランスや80年代の香港とか、今はもうない街や時間が目の前にあるようで、この映画の中の、全く違う世界の人達に、自分は会うことができるのかな?っていう妄想をしていました。

── 感受性が豊かですね。

10代の頃には、すごく切ない気持ちになることがよくあったんです。ふと寂しくなって、でも同時に幸せでもある感覚というんでしょうか。そういう切ない感情をどうにかしたい、誰かに伝えたいと思っていたけれどうまく伝えられなくて。

じゃあ自分で何かを作って、この感情を作品にできたら、気持ちの行き場があるんじゃないかと思ったんです。それで映画監督になりたいと思っていたんです。写真も、映画と同じビジュアルの表現なので、面白そうだなと思って始めました。

1990年代後半は写真集がたくさん出版されていて、本屋や図書館に足を運んで眺める毎日でした。ヒロミックスさんや荒木経惟さんのような、撮った人の言葉にならない思いが伝わってくる作品を見るたびに、写真でこんなことができるんだと、世界が広がっていくような気がしましたね。

きっと写真という表現そのものに興味があったんだと思います。10代の頃は、今日の自分がいる世界が、明日はないんだという時間に対する感覚がすごく強くて。過ぎていく時間を残したいと思うけれど、文章や絵で表現すると、あまりにも自分が出すぎる気がして、しっくりこなかった。自分を表現したいわけではなかったんです。

その点、写真は機械のフィルターを通して現実を撮るものだから、今見ているものが消えずに残って、「時間の流れからはみ出せる」ことに興味がありました。

世界に話しかけている

── 写真家・川島小鳥になるまでに、その後はどのような転機がありましたか?

『おはようもしもしあいしてる』には、そんな10代の頃に撮っていた風景も入っています。

『おはようもしもしあいしてる』より

── そうなんですね。今振り返ってみて、なにを思いますか。

もう2度と撮れない東京、2000年頃の新宿の写真とかも載せています。18歳の自分を記録したかったわけでもないし、ノスタルジーを感じたいわけでもなくて。時間軸を飛び越えたいというか、流れていってしまう時間とは別の、永遠みたいな瞬間を感じていたいから、写真を撮ってきたのかもしれないです。

『おはようもしもしあいしてる』に、初期から20年分の写真を集めたことで、自分が写真に対して感じてきたことがようやく形になった気がしています。

というのは僕は訴えたいものがあるから撮っているのではなくて、日常の中で心が動いたものにシャッターを押すんだなと気づいたんです。劇的な瞬間ではなくて、誰もが出会うような、道にいた猫とか、春に桜が咲いたとか、光が綺麗だったとか。

『おはようもしもしあいしてる』より

「おはよう」「もしもし」「あいしてる」という言葉も、世界中の人が毎日口にするありきたりな言葉ですよね。でも、それが3つ重なったときに、言葉にはできない何かがある。僕は写真を撮る時、片思いというか、「もしもし」って世界に話しかけている気持ちなんです。

高校生の頃、「社会は汚い」「時間が止まって高校生のままで居たい」などと思いつつも、ほんとうは世界が好きだという気持ちを持っていたのかなと思います。自分がその時その場所に行って、見つけられなかったら撮れなかった写真ばかりなので。

誰かと一緒に撮る喜び

── そういう意味では、創作をとおして新たな世界に出合いに行っているんですね。そういった今の写真家・川島小鳥を形づくる転機は他にありますか?

大学時代の友人を撮った『BABY BABY』までは、ほとんど一人で撮影していました。今でもチームワークだとか事前に計画することは苦手で、ロケハンもしたくなくて。でも作品づくりで前進するためには、誰かと協力したり、他者が必要です。そこにジレンマを感じることは今も変わりません。

『BABY BABY』より
『BABY BABY』より

だけどBABY BABY』で人と一緒に作品をつくる喜びを知って、内向的だった自分の世界が広がったんです。被写体の子と、好きなものの感覚がすごく似ていて。2人で散歩しながら見つけた場所に座ってみたり地面に寝てみたりして写真を撮って疲れたらお茶して。

考えて撮るというよりもその時の直感や思いつきで撮るのが好きなのですが、BABY BABY』では、共同作業でそれができました。

モデルの女の子が片足で立っている銀杏BOYZの「あいどんわなだい」のジャケット写真は、僕が頼んだわけではありません。2人で歩いて近所の公園に来て、「そこに立ってみて」って言ったら、ふいにその子が片足立ちをしてくれたんですね。こちらが想像もしなかったことをしてくれて、いい写真が撮れたことが、印象に残っています。

銀杏BOYZ「あいどんわなだい」ジャケットに使用された写真

撮った瞬間にピカーンって光るような感覚、頭の中で「あ、つながった」と思えるようなことがたまにあるんです。被写体と共鳴した瞬間も光る感覚の一つですが、そのピカーンと光る写真が、僕にとってのいい写真です。

外からきたものをキャッチする

── BABY BABY』の次に撮影できた川島さんを形づくるピカーンと光る写真は、どんなものでしょうか。

『未来ちゃん』ですね。

── 『BABY BABY』もそうですし、『未来ちゃん』も、被写体の方と一緒に創作するものだと思うのですが、その被写体さんを見つけに行く嗅覚みたいなものが、やっぱり川島小鳥さんとしてのすごみを感じます。

『未来ちゃん』より

未来ちゃんのモデルは佐渡島に住む少女ですが、じつは未来ちゃんが生まれる前からお母さんとは知り合いで、佐渡島にはよく行っていたんです。それである展示の企画で子どもを撮ろうと思ったときに、佐渡島の子どもは面白いと聞いたのをなんとなく思い出して。

このなんとなく、が重要なんです。自分の意志も大事だけど、僕は外から来たものをキャッチする方が写真っぽいと思っていて。

「佐渡島の子どもっていいよ」って誘われたときに面白そうだなと感じた直感を大事にしたかった。論理的な理由はなくても、自分の「やりたい、行きたい」に従った結果が、頭で計算したことを超えてくる場合があるんです。

写真を撮っていると全てを自分の意志で決めることはできないですよね。例えば晴れてほしいと思っていても雨は降る。でもその時に、絶対に晴れの方が良かったのに!って決めつけてしまうのは写真っぽくないと思っています。

偶然性も、結果がイマイチでも、受け入れる。色んなタイプの写真があるけど、自分はそういう受け身で撮るタイプなのかもしれません。

変わっていく自分、変わらない想い

── 『未来ちゃん』の他にも様々な作品を撮影されていますね。他に写真家としての転機はありましたか?

次の転機は……『明星』が今の自分への影響が大きいと思います。『未来ちゃん』は反響も大きく、写真家としてやりきった感がありました。同じことはもうできない。どうしようかと悩んでいたときに時間がかかってもいいから、それまでの自分ができなかったことをやってみたい、自分を壊してみたいと思って作ったのが『明星』です。

『明星』より

当時は同じ一人の被写体と作品を作ってきましたが、台湾ではさまざまな土地を訪ね、いろんな人を撮らせてもらいました。撮りながら試行錯誤していくなかで、最初は1人でしか撮影できないと思っていたのに、だんだん人を信じたくなり、ソウルメイトと呼べるような人にも出会い、作品・写真集を作る上での悩みを相談することもできたんですね。

誰かに頼って助けてもらうことは、自分の課題でもありました。『明星』はその課題を乗り越えてできた作品だと思います。人に頼ることができるようになって、自分の世界が広がったと感じました。

『明星』より

── 大きな一歩だったんですね。作品を通じて成長されたんでしょうか。

そうですね、大人になったのかもしれません(笑)。自分が変化するとともに作品も変化しています。同じような写真集を作らず、いつも違うことをやっているのも、自分が変わっているからですね。

でも変わらない部分もあります。まだ子ども、という感覚でしょうか。全てが新鮮で鮮やかで、同じものでも初めて出会った気持ちで撮っています。

あと、子どもの頃の友達と一緒に笑って、無敵で満ち足りていた感覚が原点にあって、今でもその感覚を求めているんです。

台湾では、言葉も通じず国も年代も違う人たちが、出会って笑いあっていたんです。そんな笑いあえる出会いが、生きていく中に、たまにあるといいなと思っていて。その思いが『明星』にはすごく出ています。

そして、いい写真を撮りたいと思うのは変わらないし、写真が好きっていうことも変わらない。常に、今までで一番いい写真を撮りたいという気持ちも変わらないです。


現在活躍されている写真家が生まれる前──
写真家が大切に守り続けている要素が作品にどのような深みをもたらしているのだろうか。
駆け出し時代の初期作品を振り返り、変わらぬ原点やテーマ性の意義を明らかにしていく特集【撮りはじめた、あの頃】。

特集【撮りはじめた、あの頃。】

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Interview

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「写真家放談」