「作品作りに必要なのは、ひとりの強い意志」写真家・横浪修が語る挑戦し続けることの意義 #写真家放談
フルーツを首に挟んだ幼い子どもが、まっすぐとこちらを見つめている写真。その表情は、被写体本来の自然なものでありながら、どこかアーティスティックで掴みきれない空気をまとっています。
撮影者は、ユニークなアイデアと透明感のある作風で注目を集める写真家・横浪修さん。自身の作品制作を行いながら、ファッション写真や広告写真、ムービーやドローン撮影など幅広い領域で活躍されています。今回は、代表的な作品のひとつである「Children」シリーズを切り口に、横浪さんがどのような想いを持って写真と向き合っているのかをお伺いしました。
条件を課すことで引き出した被写体の自然な表情
——Childrenシリーズの一作目である『100Children』を撮影するにあたって、どのような背景があったのでしょうか?
子ども服のファッション雑誌『SESAME(セサミ)』の撮影で、タイへ行ったときに撮った写真がきっかけでした。当時、37,8歳くらいのときですね。現地の幼い子どもが制服を着ていたのですが、それがとてもかわいらしくて。通っている学校の壁の前でシンプルに撮るのもいいけど、せっかくならローカルな何かを絡められないかなと考えて、急遽用意したのが現地で売っているフルーツでした。
写真を撮りながら、ふと「身体に挟んでもらったらどうかな」と思い立ちました。実際に首に挟んでもらうと、子どもたちが思ってもみなかった表情をしたんですね。まっすぐ立ってもらうこと、カメラを見てもらうこと、そしてフルーツを挟んでもらうこと。これら3つの条件を揃えるだけで、子どもたちの見えなかった個性が見えるようになったんです。
——同じ条件を課すことで、個性が際立つ。面白いです。とはいえ「フルーツを身体に挟む」ってなかなか出てこない発想だと思うんですが……。
これは自分の好みですが、撮影における「自然さ」って重要だと思っていて。例えば、広告の撮影でも、ばっちりセットされたライティングより自然光で撮りたいし、モデルさんの表情や衣装も、最初から決め込まないほうが良いと思っています。現場での一瞬一瞬で、いかに最良の判断を下せるかを大事にしているので。撮りながら、感覚を頼りに修正していったほうが良いものができるんじゃないかと。より自然な表情を引き出すために思いついたのが「挟む」なのかなと思います。
挫折や壁があったからこそ、生み出せたものがあった
——お話を伺っていて、フルーツを身体に挟むアイデアは、過去の経験で培った感覚から導かれたものではないかと感じました。独立される前はどのようなキャリアを積まれたのですか?
大阪のビジュアルアーツ専門学校を卒業後、そのまま大阪の小さな広告代理店に入社しました。会社案内の制作をしている会社だったので、中小企業や工場を訪ねて仕事の現場を撮影するのが主な仕事でした。一応カメラマンアシスタントの仕事ではあったんですが、自分が思い描いていた写真の世界とは程遠くて……。
「このままではダメだ」と思って退社したあと、大阪で写真家をされている方の弟子に就いたり、一度は写真とは関係ないバイトをしたり、職を転々とした時期がありました。でもやっぱり、写真を仕事にしたいという気持ちを捨てることはできなくて。23歳くらいのときに東京へ行くことを決めて、入社したのが文化出版局です。いま振り返ると、挫折があったからこそ「フォトグラファーとして生きていこう」と、強い覚悟を持つことができたんだと思います。
——横浪さんにもそんな時期があったんですね。文化出版局入社後はどのようなお仕事をされていたんですか?
入社してしばらくは、主にファッションの撮影でした。今でこそ広告の撮影も多いですが、当時はファッションと広告の領域が二極化されていたんですよ。僕の肌感覚ですが、ファッションをメインに撮っている人間が、広告の領域に踏み入るのは難しかった。さらに立ち位置として「広告業界のほうが上」みたいな雰囲気があって。幅を広げたいなと思っても、何となく邪険にされるというか、営業に行って写真を見てもらうことすら簡単ではなかったですね。
——業界のリアルなお話ですね。
でも、そういう事情があったからこそ、「新しい何かを生み出さないといけない」と火がつきました。この先、フォトグラファーとして生きていくならファッション撮影をしているだけじゃなくて、自分なりに作家性を見出さないと厳しいなって。流行っているお店に人が集まるように、広告の世界もそういう側面があります。注目されている人に仕事が集まるんです。だから、まずは「横浪修はこういう写真家である」と印象付けることが必要だと考えて、自分のスタイルを見出すことを意識し始めました。
——具体的にはどのようなアクションを?
ファッションや雑誌の撮影依頼って、基本的に1ヵ月半~2ヵ月前とか比較的早いんです。でも、広告は撮影日直前に依頼される場合も多いので、予定を詰め過ぎてしまうとなかなか受けるのが難しい状況で。だから、まずは受ける仕事を選定して、減らすところから始めました。そうすることによって、自分を見つめなおす時間や、作品づくりにあてる時間も作ることができたんです。『100Children』や『1000Children』(『100Children』と同じ手法で1000人を撮影した作品集)をコンスタントに撮影できていたのも、意識的に作った時間のおかげです。自分の作品を発表していくに従って、広告の仕事も増えていきました。
自己投資をして「形」に残すことが重要だった
——『1000Children』の撮影に至ったのは、『100Children』の反響が大きかったからですか?
いえ、実は『100Children』の反響は思ったより少なくて……。
——え! そうだったんですね。
業界に認めてもらうには「誰にもできないこと」をやるしかない、と思って数を増やした結果が『1000Children』です。京都に三十三間堂という寺院があって、1000体の観音様が並んでいるんですね。それに感銘を受けて、きっと100じゃ足りなかったんだと思って(笑)。一度の撮影で20人、多いときで30人くらい撮影して、1000人撮り終えるまでに4年半かかりました。
『1000Children』の撮影中は、三十三間堂にちょこちょこ行っていて。300人撮り終えた段階だったら、300体目の観音様の位置に立って、「あと700人。まだこれだけいるのか……」と「1000」という数の重みを感じていました。
——膨大な数字ですよね。撮影にかかる費用も大変そうです。
『100Children』も含めて、費用はすべて持ち出しだったので、お金は相当使いましたね。スタジオ代や、ヘアメイク代、フィルム代や現像代もあるので、一回の撮影で15万円以上はかかっていました。でも、「やりたい」というより「やらないといけない」という感覚でした。自己投資ですね。仕事で稼いだお金は、作品作りに使うという循環ができていました。
それに、自分でお金を出しているからこそ、仕事では作れない自分だけの作品ができると思うんです。仕事だと、いろんな人の想いやアイデアが詰まっているから、自由にできる範囲はもちろん限られますよね。自分のカラーは出るかもしれないけど、やっぱり報酬をいただいている以上、完全に自分だけのものではない。作品を作るってことは、ひとりのなかだけに宿る、ひとつの意志を貫いて表現することだと考えています。
——実際に『1000Children』を出版したあと、世間の反応はどうでしたか?
なんとなくですが、今度は認知度が上がったような気がします。作品を見てくれた方から広告の仕事が来たりもしたので、自己投資した時間やお金は回収できたんじゃないかな。コツコツとやってきたことが実を結んだという実感があります。
ありがたいことに、海外からの反応も多方面からあります。それってやっぱり、本として「形」に残したからこそ起きた反応だと思っていて。ロサンゼルスのギャラリーに所属していて写真を販売したとき、どこかのホテルの方が購入してロビーに僕の写真を飾ってくれて、そういうことが実際にあったんですね。もしかしたらホテルのお客さんが見て、また興味を持ってくれる人が増えるかもしれない。
——今後、海外への進出も視野に入れているんですか?
Childrenシリーズで日本の子どもを被写体として選んでいるのは、日本人の僕だから撮れるものを撮りたい、という想いがあるからなんです。当たり前だけど、日本人が日本人を撮るってことは、日本人にしかできないことですよね。日本にいないとできないこともあると考えています。
ただ、海外で認知されたいという想いは持っています。例えばChildrenシリーズのひとつである『PRIMAL』は、海外の出版社から出しているんですよ。スウェーデンの「LIBRARYMAN」という出版社です。日本で出版して、海外で流通させることってかなり難しいんですけど、そもそもの出版を現地でおこなってしまえば、有名なブックストアに置いてもらうハードルも低くなります。
完璧でなくてもいい。自分にしかできないことを考え続ける
——Childrenシリーズの最新作、『AFTER CHILDREN』は今年の8月8日に出版されました。仕事もお忙しいなかでコンスタントに写真集を出されていてすごいです。
「何をテーマとするか」ももちろん大事なんですけど、僕にとっては「写真集を出す」こと自体がとても重要なんです。フォトグラファーとして生きていると、「区切り」がないんですよ、永遠に。地続きにこなしていると、情熱というか、写真に対する気持ちが冷めてしまう。だから、先にいつ頃出すかって時期を決めて、途中でもいいから一区切りとして出す、ということを意識的にやっています。強制的に自分をアップデートし続けていく感覚ですね。
——ストイックな横浪さんらしい発想です。『AFTER CHILDREN』はいつ頃から構想を練っていたんですか?
過去のChildrenシリーズを撮っている最中から、いつかこの子どもたちが大きくなったところを撮りたいと思っていたし、さらに過去の写真と並べるイメージも持っていました。それは僕にしかできないことだと思ったので。
——本作の撮影中、何か新しい発見はありましたか?
過去の写真と並べることで、子どもたちのどこが変化したのかがよくわかりました。一番変わったのは「目」でしたね。目ってその時の心の様子が反映されるじゃないですか。3〜5歳の何の疑いもない真っすぐだった目に、不安や不信感があらわれていて。中学生ってちょうど思春期でもあるわけだから、社会や大人に対する見方も少しずつ変わってくる時期ですからね。
「フルーツを挟む」という行為も、幼い子供にとっては難しいけど大きくなれば普通にできてしまいますから、表情の意外性は薄れてしまいますね。一人ひとりの撮影時間も、あまりかかりませんし、モデルさんのポートレートを撮っているようでした。『AFTER CHILDREN』は過去の写真と成長後の写真を「並べる」ことで、はじめて価値が生まれている写真集だと考えています。
挑戦し続けることで得られるもの
——横浪さんのホームページに「ドローン撮影も行っている」という記載がありました。ジャンルや機材、活動範囲が幅広いですよね。
ドローンに関しては、コロナによる自粛期間で時間があった時期に学びました。知り合いがドローンを学ぶためのスクールの先生をしていたので、そこに2日間通って資格を取ったんです。学び始めると面白くて、撮影で広い場所に行ったら操作練習したり、最近はマイクロドローンにも手を出したりして、アマチュア無線4級の免許も取りました。
ドローン撮影だけの仕事はまだないんですけどね。ファッションや広告の仕事で、スチール撮影と併せてムービー撮影もやるときに、「ドローンも飛ばしてみませんか?」とか提案してます。また、ムービーを撮るなら自分で編集もできた方がいいから、編集の勉強も始めて……、みたいにどんどん幅が広がっていくんです。
——まさに、アップデートですね。
楽しいからやっているっていうのは、大前提としてありますけどね。いろんなことに取り組んでいたほうが、気持ちのバランスが取れるんです。技術面だけでなく、仕事のジャンルの面でも同じことが言えます。例えば、広告の撮影現場って緊張感があるので常に気を張っている状態なんですけど、もしそれが続いたとしたら僕はきつい。そういうプレッシャーがある仕事もやりつつ、雰囲気が緩めの撮影とか、バチっと作品を撮るような撮影とか、いろんな仕事があるから、楽しんで取り組めているのかなと。
ただ、僕の強みは、みんなが飽きてしまうことでもやり続けられる、というところにあると思っています。深堀りして、継続することで強くなっていくものが好きなんですよ。幅広くやることも大事ですけど、まずはひとつのことを続けることが基本です。とにかく常に頭の中にあるのは「現状維持ではいけない」という意識なので、いろんなことに挑戦し続けています。
■Interviewer / Writer
竹本萌瑛子(たけもこ)
1996年生まれ。株式会社アマヤドリにて広告制作・SNS運用・メディア運用などの業務に従事しつつ、複業でライターやモデルとしても活動している。
Twitter:@moeko_takemo
Instagram:@moeko_takemoto
■Editor
中村洋太
1987年、横須賀出身。海外添乗員と旅行情報誌の編集者を経て、フリーライターに。これまで自転車で世界1万キロを旅し、朝日新聞デジタルなどでエッセイを執筆。現在はプロライターを育成する活動もしている。
Twitter:@yota1029
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