熱意でつかんだ朝ドラのポスター撮影 写真家・てんてんの生き方 #写真家放談

「僕には写真しかないから」

少年のように笑いながら話すのは、写真家のてんてんさん。NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』のメインビジュアルや、「いろはす」「お〜いお茶」の広告など、一度は目にしたことのある写真を多数手がけています。

2021年には日常で撮り続けてきた写真を集めた写真集『GREEN GREEN』を出版しました。求められる写真家として必要なこととは。てんてんさんがこれまで大切にしてきたものや、写真への思いをお届けします。

カメラマンとしてひとつの目標が叶った『おかえりモネ』

——NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』のメインビジュアルを担当したことは念願叶ってのお仕事だったそうですね。どういう経緯だったのですか?

『おかえりモネ』の仕事に関われて、僕は本当に感無量です。絶対にやりたいと思い、自分からつかみに行きました。ここまで動いたのはこれまでのカメラマン人生で初めてです。

朝ドラの仕事は、いつか必ずやりたい憧れの仕事のひとつだったんです。『おかえりモネ』の舞台は宮城県。僕は宮城のしいたけ農家の生まれで、男4兄弟の末っ子です。両親が毎日忙しくしていたなかで、お昼休みに家族で朝ドラの再放送を観るのが楽しみでした。朝ドラは、僕にとっては家族の思い出とそのままリンクする存在です。「やっと親孝行できたな」とも思いました。

——本当に思い入れのある仕事だったんですね。

2013年2月に写真家として独立したときに、目標を3つ立てたんです。

1つめは、雑誌『コメーシャルフォト』に特集されること。これは2017年に叶いました。2つめが、朝ドラのメインビジュアル、3つめはNHKの大河ドラマを担当することです。

実は数年前、別の朝ドラで一度声をかけてもらっていたんです。でも最終的にはほかのカメラマンに決まり、それがとにかく悔しくて……。

朝ドラは縁がないのかもしれないと思っていたんですけど、2020年のある日、ニュースで「来期の朝ドラは宮城県が舞台、震災から10年の節目に」と見かけました。「これは自分がする仕事だ、どうにかして関わりたい」と思い、以前声をかけてくれたアートディレクターの方に連絡をして、宣伝担当の方につないでもらいました。

その方と何度か打ち合わせをするなかで、やがて「どんなビジュアルを作りたいのか考えてほしい。アートディレクターの選択もてんてんさんにお任せします」と、言ってもらえたんです。

——大きなチャンスが巡ってきたんですね。

そこで、僕の友人でもあるアートディレクターの古谷萌さんに「一緒にやってくれないか」と声をかけて、プレゼンをしました。「今回はてんてんさんでいきたいと思います」と決まったときは、「よっしゃー!」って家で叫びましたよ(笑)

——広告の写真は、依頼されたイメージを撮る流れが多いと思うのですが、デザインから作るお仕事だったということですか?

そうですね。一般的にはアートディレクターが決まっていて、ある程度方向性が決まった状態でカメラマンが決まるケースがほとんどです。

でも、『おかえりモネ』はアートディレクション含めゼロから任せてもらえました。かなり珍しいことですね。

本番の撮影前に、古谷さんと宮城まで足を運んでロケハンをしました。撮影で使われる予定の砂浜に行き、「ここでなら感情移入がしやすそうだからメインビジュアルはここで撮ろう」とか、堤防や山の上など、色々な場所で撮りながらイメージを作っていきました。

思い入れがあるだけに大きなプレッシャーも感じましたが、撮影が終わったときは、今までの写真家人生で一番幸せでした。

写真との出会いは高校時代。認められ自信を持つ

——そもそも、てんてんさんが写真を始めたきっかけは?

中学生から高校1年生まで柔道部に入っていたのですが、厳しい部活が嫌になり、途中から写真部に転部しました。その頃、ちょうど「写ルンです」が流行っていて、みんなカメラを持ち歩いていたんです。

一眼レフでモノクロ写真も撮るようになって、楽しくなって。ぼんやりと「将来は写真の道に進みたいな」と考えるようになり、日大芸術学部の写真学科へ進みました。大学では自分がどこまでいけるか試そうと、写真のコンペを見つけては応募していました。そしたら、大学1年生のときに賞を取ったんです。

——どんなコンペだったんですか?

「ハッセルブラッドスクールフォトコンテスト」です。グランプリをもらって、周りからも注目されるようになって。学生にとってのインターハイ優勝みたいな感じでしょうか。このときの写真も、宮城の海で撮った写真でした。それまで何かで1位を取ったことはなかったので、僕にとっても自信になりましたね。

——そこから広告会社の「アマナ」に入社されました。広告会社を選んだ理由は?

大学生の頃は、国内外で活躍している写真作家の野口里佳さんのように、作家として撮り続けることへ憧れがありました。ただ、「写真作家はなかなか食っていけないぞ」と大学の先生に言われて……。「広告カメラマンになって、フリーになれば稼げる」とも聞いたので、「じゃあそこを目指そう」って。今思うと単純ですよね(笑)。

厳しかったですけど、仕事の楽しさも感じて、「本気でカメラマンとしてやっていこう」と思うようになったのもこの頃です。

ファインダーを覗いているのがただただ楽しい

——てんてんさんの写真からは、その人の自然体が伝わってくる印象があります。ご自身では、何が「てんてんさんらしさ」だと思いますか?

透明感やみずみずしさ、ピュアさでしょうか。仕事では「自然な表情」を依頼されることも多いです。プライベートで撮るときも仕事で撮るときも、写真に向き合う姿勢や気持ちはほとんど変わりません。わざとらしくならないように、自然なその人らしさをとらえたいといつも考えています。

——小西真奈美さんのボンドの写真も、すてきな表情が印象に残っています。

あの写真も思い入れがありますね。もう撮影を終わりにしようと考えていたときに、ふっと小西さんの表情にやわらかさを感じて、「もう1回撮っていいですか」と。いつもは滅多に言わないのですが、このときは追加で撮りました。柔らかないい表情を撮れたと自分でも感じました。

ひたすら歩いて被写体との出会いを待ち続ける

——2021年に写真集『GREEN GREEN』を出されました。経緯をお聞かせください。

40歳になるのを機に、撮り続けてきた写真をまとめたくなったんです。僕は日常の写真はずっと「ハッセルブラッド503CW」で撮影しています。これは、大学生のときにコンテストでグランプリを受賞したときに賞品としていただいた思い出のカメラ。長年このカメラで撮り続けた写真を形にしてあげたいという気持ちが芽生えました。

写真集を作って展示会を開く決意をし、「1冊の本を売る書店」をコンセプトにしている銀座の「森岡書店」さんを、僕の誕生日でもある11月に押さえました。まだ写真集ができてもいない2月に、先に展示会の場所を押さえた形です。

そこから仕事の合間を縫って、時間を見つけては写真を撮り歩きました。長年撮っていた写真に加えて新たに撮影したことで、写真集の強度がだいぶ強くなったように思います。

——写真集のために新しく写真を撮ったんですね。撮るものは決めていたのですか?

写真集を作るときは、明確なコンセプトやテーマに基づいて撮っていくスタイルが多いと思いますが、僕はひたすら歩いて撮りたい被写体との出会いを待ちました。

「これを撮るぞ」と思って出かけるのではなくて、出会いを探す。出会うまでは撮らずに、ひたすら歩き続けます。上野から渋谷まで歩いたこともありました。

——「これを撮りたい」と感じるものが見つかるまで、歩き回る?

そうですね。写真集の中に、高校生のカップルを撮った一枚がありますが、これも偶然の出会いです。いきなり声をかけたら怪しまれるかなあと緊張しつつ、「でもここで頼まなければ二度と会えない」と勇気を出して撮らせてもらいました。出先で声をかけて撮らせてもらうことって、たまにあるんですが、こういうドキドキもたまらないんですよね。

いい仕事をすれば、新しい仕事がやってくる

——どんなところに写真の楽しさを感じていますか?

写真を撮り始めてだいぶ経ちますが、いまだに、目の前の瞬間がそのまま写るのがすごいなって思うんです。 「時間が止まる魔法みたいだな」と、一眼レフと出会った高校生の頃からずっと感じています。ファインダーを覗いて撮るのが、ただただ楽しい。人を撮る方が好きです。動くものや、表情をとらえて撮るのが楽しい。

——これまでに、写真を辞めたいと思ったことはありますか?

1回もないです。僕には写真しかないとも思うので、仕事も日常も関係なく、ずっと写真に触れています。撮り続けることで、ごく稀に、自分の想像を超える写真が撮れる。すると、それが自信につながる。この連続です。

写真集を作り写真展をやってみて、自分をすべて出したようなスッキリ感があります。写真集をきっかけに、仕事の声をかけていただくことも増えました。いい仕事が世の中に出ると、また新しい仕事がやってくるんですよね。

——近頃はInstagramなどで写真を発信する方が増えていて、かつての写真ブームを彷彿とさせます。それについては、どう思いますか?

そうですね……。僕はあまり人の目を気にしないんですよね。狙っていい写真を撮る、みたいなことにあまり興味がないんです。それでももう20年以上撮り続けているので、シャッターを押した瞬間に、仕上がりの絵が想像できる。仕上がりが見えちゃうのってつまらないんですよ。例えば子どもにカメラを渡して撮った写真とかは予想がつかないから楽しい。自分が撮った写真でも、たまに想像していなかったいい写真と出会えると、すごく嬉しいです。

ただ、プロとしてやっていくならやっぱり最低限の技術は必要ですよ。うまくなるには、写真をたくさん撮っていくしかない。でも、うまい写真がいい写真なわけではないんです。僕はうまい写真を撮ることよりも、見た瞬間に誰かの心を貫いてしまうような、いい写真を撮れる写真家になるのが理想です。

手ざわりのある距離で。写真館をいつかやりたい

——これから先、叶えたいのはやはり大河ドラマのメインビジュアルですか?

そうですね。大河ドラマを担当できたら、もう引退しても良いなと思います(笑)。あとは、いつか写真館をやりたいんです。

広告の仕事も楽しいんですけど、やっぱり写真を渡したときの相手の表情が見える仕事もいいなと思います。家に飾ってもらう写真っていいですよね。家族写真や、お子さん、あとは、ご年配の方の遺影も撮りたい。残された人のためにも、きれいな写真を撮っておくのは大事なことなのかなと思っています。

僕には、6歳と1歳半の2人の子どもがいます。子どもが生まれてから、もう1回新しい人生が始まった感覚があって、写真を見る目も変わりました。桜の季節に毎年同じ場所で家族写真を撮っていて、これがすごく楽しいんです。あたりまえに過ぎていく日常のありがたさに気づけるというか。日常を切り取って残してくれる写真館は、もっと注目されてもいい場所なのかなと感じています。

子どものころ、「夢」を聞かれるとどう答えればいいのか困っていました。でも、振り返ると、夢はなくても「目標」を支えにしながらここまでやってきたのかもしれません。写真を始めた頃の新鮮な気持ちを持ちながら、目標を見つけて進む。これからもそうありたいですね。

編集後記

お話を伺い、てんてんさんの写真が「ピュア」「透明感」と言われるのは、てんてんさんの人柄や人間性からくるのかなと感じました。第一線で活躍していながら、幼少期の原体験である朝ドラや、高校時代にカメラと出会ったときの写真へのピュアな感性を今も持ち続けている。ニュートラルに見えて、写真への思いや目標が常に中心にある。てんてんさんだから、被写体の自然体を引き出せるのかもしれません。そんなことを感じた取材でした。

■Interviewer / Writer

片岡由衣
フリーのライター・編集者。東京都出身、沖縄県竹富島在住。3人の子育てを通して絵本や木のおもちゃに魅せられ、発信するうちにライターへ。島の景色を写真に撮るのが好き。

Twitter:@MomYuuuuui
Instagram:@yuuuuui_mom

■Editor

中村洋太
1987年、横須賀出身。海外添乗員と旅行情報誌の編集者を経て、フリーライターに。これまで自転車で世界1万キロを旅し、朝日新聞デジタルなどでエッセイを執筆。現在はプロライターを育成する活動もしている。

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