「我々は孤独ではない。誰もが尊い存在だと気づいてもらえたら」ストリートフォトグラフィーの虜になった理由|Shin Noguchi #写真家放談
ストリートフォトグラフィー。
それは私たちにとって身近な「写真」でありながら、実は漠然としか理解しておらず、その奥深さや価値に気づきづらいもの。
路上で写真を撮るのは簡単だ。しかし、それはストリートフォトなのだろうか?ストリートフォトグラファーの作品と、私たちが街で撮る写真とは何が違うのか。
国際写真家集団「UP」に所属し、海外メディアを中心に活躍しているストリートフォトグラファーのShin Noguchi(シン・ノグチ)さんは、「ストリートフォトグラフィーはドキュメンタリーとアートの並存である」と言う。
今回の「 #写真家放談 」では、ストリートフォトグラファーのShin Noguchiさんに、様々な作品に込められたメッセージとともに、ストリートの魅力について伺った。
PROFILE
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Shin Noguchi(シン・ノグチ)
鎌倉から東京を拠点とするストリートフォトグラファー。ジョエル・マイロウィッツらとともに国際写真家集団「UP」に所属。中国、ロシア、フランスなどで写真展開催。英ガーディアン紙など世界各国のメディアで特集され、HermesやApple、ZARAなどからも撮影依頼を受ける。現在、ライカカメラのグローバルキャンペーン「M is M」に起用されており、鎌倉女学院創立120周年記念行事で写真コンクールの審査員を務める。最新の写真集「In Color In Japan : Selected and New Works」がイタリアから出版。2024年6月30日まで予約注文受付中。
@shinnoguchiphotos https://shinnoguchiphotography.com/写真の技術は遊びの中で覚えた
──どんなきっかけで写真家になりましたか?
横浜で広告代理店を経営していた父は富士フイルムやコニカなど多くのカメラ、フィルムメーカーと付き合いがあったようで、我が家にはカメラやフィルムがたくさん転がっていました。そのうちの一つだったフジカAZ-1と50mmレンズを小学生の頃に譲り受け、ひたすらシャッターを切っていたんですよ。今とは真逆でフィルム代や現像費なんてものを一切気にすることなく。
友達と遊んでいる時でもシャッターを切る度にポケットに突っ込んでいたメモ帳に「公園でコケたヨッちゃん、f4、1/250」なんて撮影時の設定を真面目に書いていました。林家ペー・パー夫妻に圧勝するレベルの「シャッター魔」だったお袋がフィルムを現像に出しに行くときには「これも」と自分で撮ったフィルムの現像を頼んでおく。おつかいの時に自分で現像に出すこともありました。数日後に上がってきたL判プリントに一喜一憂して遊び愉しんでいた記憶を今でも思い出します。
──写真の技術はどこで身につけましたか?
スケボー、サーフィン同様に遊びの中で覚えたことの一つなので、技術という言葉とカメラを触ることが自分の中で繋がらないですね。ライカのフィルムカメラMPとコダック・ポートラ400を個人のプロジェクトに、デジタルのライカM10-Pを仕事用に使っていますが、どちらも35mmのみ。またファインダーを覗かずに撮影するいわゆるノーファインダーショットや、編集段階でクロップしたりマスクやブラシといったフィルターを使って部分的に過度に強調しないよう心がけています。クライアントから依頼されたイメージに合わせるときだけ50mmや広角28mmを使っています。
たまに「写真を撮ってください」とカメラを渡されたり、「シンさんここってどういう設定ですか?」と聞かれたりすることがあるんですが、まぁ使い方がわからない。コンデジを渡されたときなんか、「落ち着け落ち着け」と、まずはファインダーを覗いてというルール通り目の前が写ってる液晶画面に目球をくっつけて「はいチーズ!」とやってしまうことも多々あるほどです。
「写真家」としての自分は創り上げたものではない
──実際に写真家になってみて「写真家」とはどんな職業(存在)だと思いましたか?
小・中学生時代に趣味で写真を撮っていたことがスタートでした。そこで撮った人たちにお礼の言葉をもらったり褒めてもらったり。SNS時代に入ってからFlickrで写真を公開するようになると多くの方にフォローして頂いたり海外出版社のエディターから掲載依頼が届くようになったんですよ。そういう「写真が売れている」という実績が名刺代わりとなって、自分の写真活動を知って頂いた方からまた新たな撮影依頼や掲載依頼が入る。そうやって一枚一枚のシャッターが確実に次へと繋がっていきました。
これをずっと繰り返してきた自分は、どこの時点で「写真家」となったのか、正直わからないですね。ここで、「写真家とは」と改めて自分自身を俯瞰してみると、それは自分自身が創り上げたものではなく、世の中に自分が必要だとされたときにはそこにカメラが必要だった、ということだけなんだと思います。
だからこそ、世の誰かのためになるなら、誰かと誰か、国と国、それらの架け橋になれるのであれば、その必要とされるときにできれば他ではない自分がそこに居られたら、そう願い信じて日々活動をしています。
ストリートフォトグラフィーの虜になった理由
──今の写真のスタイルになったきっかけはありますか?
自分のスタイルだと言われる「ストリートフォトグラフィー」を最初に意識したのは、10代の頃に手にしたマグナム・フォトの本がきっかけです。「壁の向こう側 : マグナムの撮った東欧・ソ連1945-1990」を観てからは、その表現はもちろん、舞台であるストリートの虜になりましたね。それまでアートとドキュメンタリーは相反する物だと思っていたんですが、彼らの写真を見たとき、喜びや悲しみとか様々な感情が溢れている生活をありのままに写し出しつつ、そこに構図やタイミング、光と影といった要素をうまく取り入れることで、写真家としてのアーティスティックな主張も見事に表現していることに驚きました。
この本を手にとってまず初めにアンリ・カルティエ=ブレッソンの構図美とジョセフ・クーデルカの主要被写体のインパクトの強さにとても惹かれました。しかしそれ以上に強く印象に残ったのは、「戦争とは暗く悲痛なものだ」というあくまでも他者そして過去の出来事なんだと自分の中で消費してしまったモノクロ写真と違い、マーティン・パー、ハリー・グリエール、ピーター・マーロウらの撮るカラー写真の圧倒的なリアルさ、その存在感は、「これは決して他人事ではない、誰にでもどこにでも起こりうる現実の世界なんだ」と、自分をその写真の中の「現実世界」に深く導いてくれたことでした。
このカラーという普遍的要素を改めて強く意識するようになってからは、「今」という一瞬の中を生きる人々をより生々しく記録するために、カラーの鮮やかさだけを主題とした「閉じた表現」ではなく、それを写真全体を支える基礎の一つとして意識し構図を組み立てるようになりましたね。
銀座のメイン通りで出会った光景
──自分に影響を与えたと考えられる作品があれば教えてください。
2014年に銀座のメイン通りで出会った光景ですね。ペアルックの双子の手を繋いで歩く母親の姿を交差点を渡るなかで見かけたんです。途中で振り向いた小さな子とニコっとやり合ったのを覚えています。横断歩道をほぼ渡りきったところで信号が赤に変わって。
それまで子供たちに合わせてゆっくりと歩いてた母親が、急に社会を意識したかのように双子を抱きかかえ、和光のショーウィンドウの前に集まっていた人々の間をややうつむきながら足早に抜けて行ったんですよ。決して誰かに何かを言われたわけでもなく、また特別な視線を投げられていたわけでもない。ただ誰も子供たちに視線を向けて道を開けることはなかったわけです。母親のその姿は社会の速度とのギャップに必死に合わせよう、溶け込もうとしていたように感じたんです。人々の間を抜けてふっと歩く速度がおちついた瞬間にシャッターを切りました。
それは母子だけの時間を取り戻した瞬間であり、その安堵感、母親の愛情、抱かれるままに委ねていた双子の可愛らしさ、そして同時に母親の力強さを感じたからです。このシャッターは「あなたは決して孤独ではない。この社会の中で必死に生きている姿を必ずどこかで見守っている人がいる」というメッセージでもありますし、「勢いの止まらない社会の中では、孤独になる時間すらない。『何も持たず』にたった一人で街を歩くことすら不可能である」という社会風刺のメッセージの両面を見た光景だと思っています。
その日常、一日一瞬が充分に尊いもの
──日常のなかのユニークな瞬間を切り取るために、写真家として大切にしていることを教えてください。
人々の日常の中にある非日常な光景にスポットを当てることで、「日常」というものを改めて人々に感じてもらいたいです。それは柳宗悦や青山二郎たちの民芸運動の当初のステイトメントと似てるかもしれないですね。自分はあくまでも被写体自身に少しでも光を当てられたらと人々の姿を記録しています。
群の中で特別な存在になったり、また誰よりも優位に立つことだけに社会的価値があるわけでなく、それぞれの日常、その一日一瞬が充分に尊いものなんだということに改めて気付いてもらいたい。この社会の中であなたは「個」としてとても尊い存在なんだということに気付いてもらいたいんです。
──「孤独」というキーワードが写真家として中心にあるように感じました。なぜ孤独ではない存在であることに気づいて欲しいのか?原体験があればお聞きしたいです。
親父が昭和5年生まれ(肺癌と親父)と歳の離れた両親で共働き、また引越も何度か経験していたこともあり、帰る場所、戻る場所、救いの場所を他者に求めていたことが多かったのかもしれません。
カメラを手に社会の中を歩くようになってから仕草や会話からそんな「それぞれの場所」を明確に持てていないのは自分だけじゃないんだと強く感じるようになったんです。そしてそれと同時にこの社会の流れの中で一見それぞれがバラバラに見える光景にも、それらが絶妙に絡み合い組み合っていることでそこに「ストーリー」が見えてくる。そこでやはり「個」と「孤独」のキーワードが出てくる。一人一人の「個」があってこそこの「社会」が成り立っているんだ、と感じる瞬間がこの日常に溢れていることに気付いたんです。この意識が「あなたは孤独ではない、個として尊い存在なんだ」という言葉になったのかもしれません。
決して写真を撮りに行くことが目的ではなくて、被写体の日常に寄り添うこと、時に言葉の会話で、時に仕草の会話で、同様に時にカメラを通して人々と接することを大切にしています。カメラはコミュニケーションツールの一つにすぎないことを常に忘れずに街を歩くようにしていますね。
非演出スタイルの家族写真
──今注力している作品・仕事について教えてください。
2009年に長女が生まれてから現在三姉妹となった我が家の娘達の日常を撮り続けているプロジェクト「One Two Three」を5年ほど前にウェブサイトに公開して現在も更新を続けています。公開直後から現在までに、ドイツのLeica Camera Blog、Leica LFIマガジン、ColossalやiGNANTなどのオンラインマガジン、イタリアの週刊紙Internazionale、フランスの新聞Liberationなど、数多くのメディアに紹介していただきました。この非演出の中で捉えている家族写真が、ストリートフォト同様に自分のスタイルの一つとして認識してもらえていることがとても嬉しいですね。
他にも20周年記念となったFIFDH「スイス・ジュネーブ国際人権映画祭と人権フォーラム」2022のメインビジュアルに使用されたり、また最近ではオーストラリアの百貨店David Joneの母の日キャンペーンとして「家族をモデルにいつも通りの撮影をしてほしい」と依頼を頂いたり、世界的に有名なコーヒー雑誌の日本語版「Standart Japan」のカバー撮影の依頼でも、我が家の縁側で妻と娘をモデルにそこに当たり前にある「日常」を主題に自由に撮らせてもらいました。自分のスタイルに価値を感じて依頼をいただけるようになったことは、非演出の日常の尊さを信じて記録し続けてきた身としてはとても光栄なことです。
FIFDH 2022 紹介ビデオ
すべての解釈は、培ってきた大切な経験の宝
──最後に、若手の写真家へのメッセージをいただきたいです。
“良い写真”を作ろうとし過ぎないで。目の前の光景に何かを感じたその“理由”にシャッターを切ることを心がけてください。あなたにはあなた独自の視点がある。すべての解釈はあなたが今までの人生の中で培ってきた大切な経験の宝なんです。あなた自身を信頼してください。肯定してあげてください。自己肯定意識下で街や人々と向き合えば、きっと全ての被写体があなたに心を開いてくれます。あなたの手元にあるその写真は、それはあなたがシャッター以前に存在していたという証です。
Shin Noguchi(シン・ノグチ)
Website:https://shinnoguchiphotography.com/
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