なぜ、深瀬昌久は鴉を撮ったのか。映画『レイブンズ』監督インタビュー

3月28日よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ユーロスペースほか全国ロードショーされる仏日西白合作映画『レイブンズ』は、伝説の写真家・深瀬昌久の波乱万丈な人生を、実話とフィクションを織り交ぜ、大胆に描いた作品だ。

深瀬は、天賦の才の一方で、心を閉ざし、闇を抱えていた。
それは異形の<鴉の化身>として現れ、芸術家への道を容赦なく説く。
深瀬の最愛の妻であり最強の被写体であった洋子の存在を犠牲にしても。それぞれの芸術と愛を追い求める深瀬と洋子の50年にわたる複雑かつ普遍的なダークファンタジー・ラブストーリー。

監督・脚本を務めたのは、グラフィックデザイナーとしてのキャリアを持つ、イギリス出身のマーク・ギル。2015年に深瀬の作品に衝撃を受け、9年の歳月をかけて映画化にこぎつけた。彼はなぜ、深瀬昌久の人生を描くことに魅了されたのか。その心情に迫った。

PROFILE

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マーク・ギル

英国マンチェスター出身。作家、監督、写真家。1​​8 歳でワーナー ミュージックとのレコーディング契約を結び、芸術活動を開始。その後、映像業界への転向を志す。映画監督としての長編デビュー作『イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』では、英国で最も権威ある映画賞のひとつ、マイケル・パウエル映画賞にノミネートされ、短編作品『ミスター・ヴォ―マン』では、第86回米国アカデミー賞短編映画賞及び2012年英国アカデミー賞短編映画賞にノミネートされた。

9年かけて掴んだ映画化の夢。監督が魅了された深瀬の人生

1934年、北海道に生まれた深瀬昌久。1974年にアメリカ・MoMAで開催された日本写真の展覧会「New Japanese Photography」への出展を皮切りに、世界各国から注目を浴びた伝説の写真家だ。

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films

そんな深瀬のことを、ギルが知ったのは、深瀬の没後から3年が経つ2015年のこと。彼の元妻である洋子との夫婦関係に焦点を当てたイギリス新聞の記事がきっかけだった。

「深瀬の写真はもちろんですが、それを超えて複雑な愛の物語が私を魅了しました。新聞記事には記されていないおもしろい物語がもっとあるはずだと確信したのです」

1964年に洋子と結婚した深瀬は、日々のなかで彼女を撮影するようになる。父の写真館を継がず、両親との和解も叶わなかった彼は、その痛みを癒すかのように洋子の撮影に没頭する。1976年の離婚後も、階段から転落した深瀬を洋子が見舞うなど、二人の絆は途切れることはなかった。

そんな深瀬の悲劇的かつドラマチックな人生に触れ、ギルは「深瀬の人生をより深く知りたい」と考えるようになったのだ。

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films

「リサーチには、膨大な時間を費やしました。というのも、私がリサーチを始めたときには、深瀬が関係した本や雑誌はすでに絶版し、英語の資料もほとんどありませんでした。しかし、アメリカの研究者・フィリップ・シェリエが書いた『Becoming the Raven』というエッセイとの出会いが、深瀬昌久アーカイブを立ち上げたばかりのトモ・コスガとの接点を生むことになったのです。」

ギルは、他の映画作品を撮影する傍ら、アーカイブが所有する深瀬の写真研究を進め、日本に赴いては深瀬を知る人物にコンタクトを重ねた。2019年に、脚本の執筆を開始。コロナウイルスが流行してもなお脚本の執筆を続け、ついに9年越しの映画化を実現させた。

フィクションが照らし出す、深瀬の闇と当時の日本

「ドキュメンタリーではなく、あくまでもエンターテインメントとして描く」というギルの想いは、深瀬の人生に効果的なフィクションを織り交ぜる手法として結実した。その代表が、深瀬にしか見えない鴉の化身「ヨミちゃん」だ。闇に沈んでいく深瀬とは対照的に、シュールな存在感を放つヨミちゃんは、芸術家としての哲学を説きながら、彼の転落を静かに見守る。

This path will cost you your humdrum world. Your needy wife, your family. 
-平凡な幸せを捨 てろ。金のかかる女房や家族も-

ーーヨミちゃんの台詞より

「深瀬は酔っ払っていないときは、とても寡黙だったそうです。そこで、彼の内面を表現するため、影の部分を『ツクヨミ』として登場させることを思いつきました。結果的に、ヨミちゃんはダークなキャラクターでありながら、作品に独特の軽さをもたらす存在となりました」

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films

ヨミちゃんをCGではなく、特殊造形で表現したのは、会話におけるリアルさを追求するギルのこだわりだ。

「CGより物理的な存在感を重視しました。役者との自然な掛け合いを実現するためです。瞼の動きなど、必要最小限のエフェクトは使用していますが」

本作は壮大なラブストーリーでありながら、既存のラブストーリーの枠には収まらない。戦後、ピークを迎える快楽主義思想のなかで、日々を送った深瀬と洋子。その結婚生活を描いた『レイブンズ』は、当時の日本社会の空気を表現した作品でもある。ギルは、アメリカに対する複雑な意識を抱えた深瀬の内面を、ヨミちゃんが英語を話すという設定に投影した。

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films

「GHQ占領下での検閲や文化的制限は、深瀬の世代にとって抑圧でもあり、刺激でもあったはずです。『アメリカで認められることが、写真家としての成功だ』という深瀬の思想を、ヨミちゃんが英語を話すことで表現したいと思いました」

賞賛される作品の影に潜む、苦悩や葛藤に焦点を当てる

『レイブンズ』は、ラブストーリーであり、日本を描いた物語であり、傷ついた深瀬の再生を求める旅でもある。作中では、2023年に開催された大回顧展で話題を呼んだ深瀬の希少な作品群が、作中で効果的に使用されている。特に、作品名の由来となった『鴉』は、1976年〜1986年にかけて、妻との別離による悲しみのなか鴉を撮り続けた作品だ。ギルは、この作品に惚れ込んでいるという。

© 深瀬昌久アーカイブス  作品タイトル:深瀬昌久「襟裳岬」(シリーズ「鴉」より)1976年

「初めて深瀬の作品に接したとき、体のなかに悲しみが染み込んでいくのが感じました。彼は、失われた愛の痛みを消し去るために、鴉を撮り続けたのでしょう。深瀬の心の破綻を最も体現してる作品だと思います」

発刊から、三十年以上が経った現在、『鴉』は写真集の金字塔として評価されている。しかし、賞賛の影には、深瀬が生涯をかけて向き合った苦悩と寂しさが潜んでいる。映画『レイブンズ』は、『鴉』の誕生背景にある深瀬の心の闇と、その後の人生を描ききった作品である。

深瀬のむき出しのエネルギーと、ギルの独特なユーモアが交差する本作を、ぜひ劇場で目の当たりにしてほしい。

© Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films

▼information

『レイブンズ』
監督/脚本:マーク・ギル 
製作:VESTAPOL/ARK ENTERTAINMENT/ MINDED FACTORY/THE Y HOUSE FILMS  
製作協力:TOWNHOUSE MEDIA FILMWORKS
撮影:フェルナンド・ルイス 
音楽:テオフィル・ムッソーニ 
出演:浅野忠信、瀧内久美
2024年/フランス、日本、ベルギー、スペイン/日本語、英語/116分/カラー/2.35:1/5.1ch
原題:RAVENS
日本語字幕:先崎進
配給:アークエンタテインメント
ⒸVestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, The Y House Films

Instagram:@ravens__movie_jp
X:@RAVENS_movie_JP
公式サイト:レイブンズ