孤独な環境で撮り続けることが生み出す、静かな美しさ|今城純【第二回】#写真家放談
自然体で撮影することにこだわりを持つ写真家、今城純の写真を探るインタビュー。
ドラマチックな演出を好む写真家とは異なり、今城純は日常のなかの「何も起こらないような静かな世界」を捉えることを好む。
しかし、実際の広告撮影の現場では、場合によって「わずか10分間に撮ってほしい」など、極めて困難で作り出された環境での撮影を要求される。そんな状況で、彼はどのようにして静かな世界を映し出しているのだろう。
>>写真家になるまでの軌跡|今城純【第一回】#写真家放談
PHOTOGRAPHER PROFILE
PHOTOGRAPHER PROFILE
今城純
1977年に埼玉県生まれ。2000年に日本大学芸術学部写真科を卒業し、その後、2004年には、写真家の横浪修氏に師事し、2年後に独立。広告、雑誌、CDジャケットなどの他、ムービー制作も手がけている。主な著作に『TOWN IN CALM』(2004年)、『ATMOSPHERE』(2007年)、『over the sillence』(2010年)、『earl grey』『milk tea』(2012年)、『in the blanket』(2014年)、『pastel wind』(2015年)、『encase』(2016年)、『forward』(2019年)『あまおと』(2022年)『ashi-ato』(2022年)。
@junimajo @Jun_Imajo https://www.junimajo-website.com/強みは学生時代から続けてきた風景写真
── 写真家の横浪さんに弟子入りして2年経ったら独立を促されていたと思うのですが、その後はどのような過程を辿ってきたのでしょうか。
独立した後も、ありがたいことに若い女性向けファッション雑誌の撮影が増え、タレントさんの撮影も自然に増えていきました。いつの間にか、女性らしさや柔らかさを表現するような撮影が増えて、僕が撮る写真に対するイメージもそれに合わせて広がっていったように思います。
写真集を定期的に自分で制作したり、写真展を開催したりしていたので自然な海外での風景や人物写真を撮るイメージが少しづつ定着していき、そうしているうちに、自然に仕事の写真と海外での写真が結びついていって、その写真を好きだと言ってくれる人たちも広がっていったという流れだと思います。
理想は海外での作品撮影をするようなテンションで仕事の写真を撮れるようになることで、それらがより結びついていったことが自分の強みになるかもしれないと考えました。
海外での作品を撮るように、仕事の写真も撮りたい。ナチュラルさにこだわる理由
── そういう意味では、好きなことである写真を撮り続けていたら、受け入れられた部分があると思います。今城さんにとって、「海外での作品を撮るように、仕事の写真も撮りたい」とは、どういうことですか。
自分の海外での写真は、特別な場所に行って特別なシチュエーションを撮っているわけではなく、本当に日常的な風景を、その土地にいる人たちのような目線で、自然な流れでシャッターを押しています。
ですが当然仕事になると、モデルさんがいて、ヘアメイクさんがいて、スタイリストさんがいる。スタジオで撮影する場合は、いわば作り出された環境ですよね。また広告撮影になると、時には10数分でムービー撮影の間にグラフィックを撮ってほしいと言われることもあります。
初対面のタレントさんをそのような「自然ではない」状況下で撮影する場合は、自分が案件の内容しっかり把握しつつ、彼女たちの自然な表情を引き出すためにはどのようにコミュニケーションを取るべきか、どのような環境を作ればいいのか、瞬時にジャッジする必要があります。
もちろん、100%の信頼関係を短時間で築くことはむずかしいですが、相手に警戒心を与えない距離感だったり、話し方だったり、声のトーンだったり、短い時間の中でハイレベルな撮影をなるべく皆が気持ちよく仕事が出来るようにするにはどうしたらいいか、そういった点を意識して、初対面でも自然体を引き出す方法を模索し、常に研究していますね。そのためには日頃から海外で風景撮影を撮るような自然なメンタルで取り組む癖を付けとかなければなりません。
海外で作品を撮りつづける
── 先程からお聞きしていて気になるんですけれども、今城さんは、その土地の人が見ている感覚で撮りたいとか、ナチュラルに撮る環境作りとか、そのナチュラルさに対するこだわりがあるんでしょうか。
あー、それはあります。多分、いわゆる横浪さんみたいな斬新なアイデアを生み出せる天才型ではない自分が同じ土俵で勝負していくためにはどうしたらいいのかっていうのを模索することになった時に、風景写真を撮り続けてきたことで得た感性がいきてくるのかなと。
それを継続することによって徐々に自分の好みの世界観が形成されていき、感性として養われていくように思います。
普段は仕事の撮影をする際には、ある程度のステージを用意して貰えていて、モデルさんにレンズを向けることに躊躇いや抵抗はありません。しかしその環境に慣れすぎてしまうことに怖さも感じてます。
海外での作品撮影は知らない人にいきなりレンズを向けることになります。その行為は角度違いから見たらとても暴力的な行為にうつります。自分がいい作品を撮りたいがために見知らぬ現地の方の気分を害することは絶対にしたくありません。ですが妥協もしたくない。
自分の理想の写真を撮るために被写体との距離感だけでなく、自分の身なり、表情、カメラを構えるまでの仕草、シャッター音、撮った直後の初動など全てにおいて気を遣います。それは経験や感覚が研ぎ澄まされていないとできないことです。個人的にはこれが写真家としての実力に繋がっていくのかなと考えています。
普段用意して貰えている環境がどれだけ整っているものか、有り難さも分かりますし、自分の実力を再確認できますし、毎回反省点も多い。だから毎年必ず定期的にコロナ禍になる前は1人で作品を撮りに海外に行って、感覚を研ぎ澄ませるようにしていました。自分の感性の原点であったり、特徴でもあるので写真家個人としての感覚が失われていってしまうのではないかと考えているからです。
このような撮影は一人で行かないととてもできることではありません。そこはいつも修行の場で、自分自身と孤独に向き合わざるを得ない場所。とにかくストイックに取り組み、日常の些細な瞬間を狙います。でも、現地に着いた瞬間に感覚が研ぎ澄まされるような才能も実力もまだない。
リズムを掴むまでに時間がかかる場合もあるし、それまでは自分自身にピリつくし、疲れるし、落ち込むことが多いんです。撮影に行くと決めた日から行きの飛行機の中までイメージトレーニングを積み重ねてはいきますが、毎回上手くいくとは限りません。
友達とわいわい海外旅行に行って楽しい写真を撮ってくるのと違って、孤独で用意されていない環境で撮り続けるのは大変ですし、辛いのですが、そんな状況下でも静かで何も起こらないような世界観を人に見せられることが自分の持ち味だと思って撮っているし、そこにたどり着くまでには多くの辛いことを感じながらやっているから、それで得た感覚が仕事の現場でも活きていると思ってます。
どんなに大変な状況に遭遇しても、撮影時間が短いと言われても、緊張したり動揺したりすることもなく何食わぬ顔をして撮影に臨める。孤独な海外での撮影に比べたら仕事の撮影は仲間がいるし、やってできないことはないと自信を持って望めるメンタルを作っていけると思うんです。
カメラマンがあたふたしていて、動揺していたら、被写体のモデルさんや女優さんも不安になるだろうし、周りからも不信感を持たれるかもしれません。でも、「全然大丈夫です」というところにメンタルを辿り着かせれば、写真は撮れます。
だから、メンタルコントロールさえうまくできていれば、十分な経験を積んできているし、やれないことはない。自分の気持ちをどこまでコントロールできるか、平常の精神状態でいられるかどうかが重要なことだと思っています。
—— 第三回へ続く。