光を追い続けて開いた道 石田真澄が切り取る「忘れたくない」瞬間 #写真家放談
「カメラを持つ前から、光を目で追っていました」
そう語るのは写真家・石田真澄さん。高校時代にフィルムカメラで収めた学生生活を集めた、自身初となる写真集『light years -光年-』を19歳で刊行。柔らかな光を切り取ったノスタルジックな世界観が話題を呼び、翌年には、大塚製薬のキャンペーン「部活メイト」(部活に励む学生たちをバランス栄養食「カロリーメイト」で応援する企画)のフォトグラファーとして抜擢されました。
人を撮るときは表情よりも光を優先しちゃうくらい惹かれてしまう、と笑う石田さん。なぜ彼女は、そこまで「光」に魅了されるのか。そして、石田さんならではのスタイルや価値観はどのように培われてきたのか。これまでの経験を軸にお話いただきました。
少しずつ写真の魅力に引き込まれていった中高時代
——写真を撮るようになったきっかけは、中学生で持ち始めたガラケーだったそうですね。
小学生の頃から「写ルンです」で運動会や遠足の様子を撮る機会はあったのですが、自分だけのカメラという意味では、中学入学時に買ってもらったガラケーが初めてです。撮りたいタイミングで撮れることがすごく嬉しくて。「写真楽しいかも」と思い始めたのはその頃ですね。ガラケーの不完全なカメラだからこそ、次は本格的に撮ってみたいという気持ちが生まれて、中学2年生のときに一眼レフのLUMIXを買ってもらいました。
——初となる写真集『light years -光年-』は高校時代の写真を集めたものですが、この時期にはフィルムカメラで撮影されていますよね。
フィルムカメラを持ち始めたのは、高校入学後の海外研修がきっかけでした。LUMIXのほかに別のカメラも持っていきたいと考えていたとき、昔使っていた「写ルンです」の存在を思い出したんです。ドイツ、フランス、オーストリアを周る2週間ほどの研修だったので、フィルム数に制限があるなかで少しずつ撮っていましたね。
そこでフィルムカメラの魅力を改めて感じて、普段の生活でも使い始めました。なので『light years -光年-』に収められているのは、海外研修から帰ってきたあとの高校1年生から、卒業するまでの3年間にフィルムカメラで撮った写真です。デジタルと違って撮れる枚数が限られているし、その頃は現像も気軽にできなかったので、特に撮りたい瞬間だけを選んでいました。
好きなものを撮り続けることが自信に繋がる
——中学、高校とカメラがある生活を送っていたとのことですが、写真家を目指し始めたのはいつ頃ですか?
最初から「写真家になるぞ」と意気込んでいたわけではなく、高校生の頃は雑誌や広告など写真家の人とお仕事できる環境に進みたい、という感じでした。もちろん、写真を撮る仕事に就けたらいいけど、さすがに難しいだろうと思っていて。当時の私には、「大学受験して就職するのが一般的なルート」というイメージがあったので、夢を諦めるとかではなく、写真家っていう選択肢が頭になかったという方が近いかもしれません。
写真を仕事にするという意味で転機になったのは、大学1年生の頃に開いた写真展ですね。私のインスタグラムを見て、とあるプロップスタイリストの方が連絡をくださったことをきっかけに開いた写真展なんですけど。「勤めていたギャラリーで5月に1週間空きが出ちゃったんだけど、石田さん展示してみない?」と。編集者の方から写真集を作る話をいただいたのも、その写真展が終わったあとでした。
——写真のお仕事が始まったのも、その時期ですか?
そうですね。大学2年生になる直前くらいに写真集を出したあと、ちょこちょこ写真の仕事が増えて、雑誌のお仕事にも携わるようになりました。その頃には、周りに写真関係の仕事に就いている方が増えたことで、「写真家」という仕事のイメージも鮮明になってきていました。それでも就職活動をしていたし、まだ広告代理店や出版社に進む道も視野に入れていましたけど。
ただ、実際に雑誌の編集者の方の仕事を近くで見ていて「自分にはできないかも」って思うようになりました。自分が憧れているような雑誌を作るのって、特殊な美的センスや圧倒的な知識量が必要だと感じたんです。もちろん、仕事をしていくなかで身についていく部分もあるでしょうけど、私は写真を撮っているほうが自信を持って良いものを生み出せる気がしたんです。
——自分が生み出したものに自信を持てるって、素敵です。
自分が好きなものを撮っていることと、自分の写真が好きだという感情が、強いイコールで繋がっている感覚です。ほかの人の写真も、それはそれで好きだからこそ、自分と比べるってことはあまりしたことがなくて。私は私の写真が好きだけど、逆に周りの多くの人が私の写真を好きだとは限らないという意識もずっとあります。
良い写真とは、前後の記憶が蘇る一枚
——写真展の開催や写真集の出版など、石田さんは10代という早い段階で注目を集められていました。ご自身では、どのような部分が評価されていたのだと思いますか?
当時インスタグラムで公開していた写真では、同級生の顔をほとんど載せないようにしていたんですね。もし、顔もハッキリと写っている「ポップな女子高生の写真」ばかりを公開していたら、そのときは広がるかもしれないけど、すぐに消費されていたんじゃないかと思っています。どこか俯瞰的な空気がある写真だからこそ、見る人が冷静な気持ちになれて、光に注目してくれたり、ノスタルジーを感じてくれたりしたのかなと。
——「俯瞰的」というワードは石田さんの写真において特徴的な部分ですよね。思い出として残すとしたら、ついみんなが笑っている写真を中心に撮ってしまいそうです。
もちろん、しっかり顔が写った笑顔の写真も撮ってはいますよ。ウェブに載せる際に外しているだけで。ただ、みんながワイワイとやっている渦中で写真を撮るより、そこから一歩引いた目線で撮っているほうが、その時の感情を忘れないという感覚がありました。文化祭とか、旅行とか、一瞬で過ぎていく時間を「忘れたくない」って思った瞬間に撮ると、自然と後ろ姿や、人物を取り巻く環境も撮っていることがあって。
——たしかに、誰もカメラ目線じゃないのに撮った何気ない写真を見返すと、なぜこの瞬間を撮りたかったのか覚えていることが多いです。
そうそう。シャッターを切る前後を思い出せたり、一枚の写真をきっかけに話が膨らんだりする写真が「良い写真」だと、私は思っています。写真展を開いているときなどは「どういう時期に撮った写真ですか?」って聞かれることがあるんですが、ついついワーッと思い出を話しちゃいます。
写真家としてステップアップするきっかけとなった『部活メイト』
——石田さんの代表的なお仕事といえば、大塚製薬「カロリーメイト」の広告。私も当時目にしていて、素敵だなあと思っていました。
『部活メイト』の広告ですよね。当時、私は大学2年生で、本格的な広告写真の撮影は経験がありませんでしたし、写真家として大きなステップアップになりました。写真集を出した半年後だったこともあって、すでに作風を理解していただいていましたし、実際に使用された写真も自分のイメージに近いものでした。すごく良いチームで、朝5時に集合して夜に帰るというハードな撮影を週に何回もしていました。「自分たちが部活みたいだね」なんて言って笑いながら。
——良い雰囲気で仕事ができると、アウトプットの質も自然に上がりますよね。とはいえ、現場によっては天候や、人との相性などが絡んで、自分のこだわりを貫けない場合もあると思います。チームの一員として意識されていることはありますか?
写真に対するこだわりはもちろんあるんですが、自分のことは割と柔軟な方だと思っています。衣装とかメイクとか、それぞれの分野のプロにお任せしつつ、写真家としての言葉があったほうがイメージしやすい場合は適宜伝える、みたいに。現場によって主張の強さは変えています。
仕事するうえで「自分で自分のことを冷静に見ている人」って、とても魅力的だなと思うんです。私は光を撮ることが好きだけど、それが求められていない場面もあります。そういうときに自分なりの意見は持ちつつも、今回適しているのはこっちだな、とか冷静に判断するようには意識しています。
好きなものを撮っていたら、いつの間にか光の写真が集まっていた
——石田さんのスタイルである「光」を主役とした撮影手法に行き着くまでには、どういった背景があったのでしょう?
正直、最初は「光」を追っている自覚がありませんでした。写真展や写真集を通して感想をいただく機会が増えて「光を撮るのが好きなんだね」という言葉をもらったことが、気づいたきっかけです。
とはいえ、そこから意識的に光を撮るようになったかと言えば、そういうわけでもなくて。草花や人を撮るときも、被写体自体というよりは、被写体に写った光を見ていることが多くて、自然と目で追ってしまうのが光なんです。人を撮るときに表情よりも光を優先しちゃうくらい、惹かれてしまいますね。
——光を目で追うようになったのは、カメラを持ち始めてからですか?
振り返ると、カメラを持つ前からです。教室の窓から見える電線とか、雨上がりのアスファルトとか、光を受けてキラキラ輝いているものがもともと好きでした。
初めてカメラを持ったところを想像してほしいんですが、最初はみんな自分が好きなものを撮ると思うんです。それが、私の場合は光だった。レンズ越しに見る光が好きだからというよりは、好きなものを撮っていたらいつの間にか光の写真が集まっていた、という順番ですね。
——あえて言語化するとしたら、光の魅力はどこにあると思いますか?
光って、意識しないと気づかない存在だと思っていて。例えば太陽の光だと、どの時間帯に、どこから見るか、さらには何に反射するかによっても形が変わってしまいますよね。変化が大きい分「いま撮らないと無くなってしまう!」という意識が働いて、つい追いかけてしまうんです。さっき言った「忘れたくない」という感情に近いのかもしれません。
迷っている姿を見せない。信頼関係を築くうえで大切なこと
——お話を聞いていると、物腰は柔らかいのにとても芯の強い方だなと感じます。幼い頃から自分の意見を持っている方でしたか?
もともとの性格もありつつ、仕事をしていくなかで培った部分もあると思います。撮影中は自分で判断しなければいけない場面が何度もあって、繰り返していくうちに迷いがなくなっていくというか。アシスタントもおらず基本的にひとりで動くことが多いので、写真家としての意見は自分が責任を持たなければいけません。自分で決断する回数に比例して、より強くなっていったのかも。
——シャッターを切る、という行為もいわば決断のひとつだから、悩んでいる暇もないですよね。
悩んでいたり、不安に感じていたりする様子って、周りにすぐ伝わってしまうじゃないですか。もちろん悩むことが悪いわけではなく、例えば人物を撮影するときなどは、撮影者が迷っているとモデルさんを不安な気持ちにさせてしまうと思うんです。私はフィルムカメラを使うので、現場ですぐに写真を見せることができません。だからこそ「今すごく綺麗に撮れています」と言葉で伝えたうえで、そもそも迷っている姿を見せないことが大切だと考えています。
——インタビューにも共通する点がありますね。相手に壁を感じさせてしまうと、言葉を引き出せなくなりますから。
うん、同じだと思います。相手に一度でも不安や違和感を抱かせてしまうと、そこから信頼を取り戻すのに時間がかかってしまう。私の場合は自分の意見を強く持つ、というのと同じくらい、決断のスピードも大切だと思っています。
「透徹している」編集者からもらった言葉が、背中を押してくれた
——これまで受けた写真に対する評価で、印象に残っている言葉はありますか?
2冊目の写真集『everything with flow』の最後で、編集者の方からいただいたコメントである「透徹している」という言葉は印象に残っています。澄んでいて濁りがない、筋が通っていてハッキリしている、というような意味の言葉です。
『everything with flow』はアイスランドで撮影しているんですが、私はどこに行っても撮りたいものがあまり変わらないんです。どうしても光を受けた水を美しいと感じるし、どこへ行くかより誰と行くかのほうが大事。でもそれがネックになって「このままでいいのかな」って不安になることもある時期だったので、周りに流されていないという意味で使ってくださったその言葉はすごく嬉しかったです。「ありのままでいる」という自分の理想に対して、それでいいんだよって背中を押してもらえた言葉ですね。
——最後に、今後チャレンジしてみたいことがあれば教えてください。
最近、「ZINE」を作ったんですが、それがすごく楽しくて。仕事で出会ったファッションデザイナーとアートディレクターの方々と3人で作りました。自分たちで自由に写真を撮って、選んで、デザインして、袋詰めして、販売は限定90部にして……、みたいな手作り感がワクワクします。写真集となると壮大ですが、そういう小さなものを積み上げていくのも、今後やっていきたいことのひとつですね。
■Interviewer / Writer
竹本萌瑛子(たけもこ)
1996年生まれ。株式会社アマヤドリにて広告制作・SNS運用・メディア運用などの業務に従事しつつ、複業でライターやモデルとしても活動している。
Twitter:@moeko_takemo
Instagram:@moeko_takemoto
■Editor
中村洋太
1987年、横須賀出身。海外添乗員と旅行情報誌の編集者を経て、フリーライターに。これまで自転車で世界1万キロを旅し、朝日新聞デジタルなどでエッセイを執筆。現在はプロライターを育成する活動もしている。
Twitter:@yota1029
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