生涯写真を好きでいたい 市橋織江の写真が人の心を掴み続ける理由 #写真家放談

「写真さえあれば、一生退屈しないで暮らせる気がします」

そう語るのは、数々の広告撮影を手掛けてきた市橋織江さんです。「生茶」や「カロリーメイト」の広告を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

2001年に写真家として独立し、近年はドラマや映画の撮影など、活動の幅をさらに広げている市橋さん。写真を仕事にしたときから、一貫して“フィルムカメラ”で撮影するスタイルでも知られています。

「とにかく写真が好き」という彼女は、どんな思いでカメラを構え続けているのか。そして、彼女の写真はなぜ人の心を掴み続けるのか。お話を伺いました。

ゼロからではなく、すでにあるもので自分を表現するのが“写真”

——写真の魅力に気づいたのは、武蔵野美術大学に在学中の頃だったそうですね。

大学で「写真を使って自分の中にあるものを表現する」という講義があって。写真ときちんと向き合ったのはこのときが初めてだったのですが、純粋に「面白いな」と思いました。

それまでは、物作りって自分の中にあるものをゼロから引っ張り出さなければいけないと思っていたんです。でも、写真は「すでにあるもの」を切り取って表現する。それで自分の思いが表現できることに惹かれたのかもしれません。

——大学を3ヶ月で中退されていますが、写真を本格的に始めようと思ったのがきっかけで?

いいえ、大学を辞めたのが先で、そのときはまだ写真の道に進もうとは思っていませんでした。もともと、「ものづくりがしたい」と思って美大への進学を決めました。自分の中から出てくるものを、何らかの形で表現できたらいいなと思っていたんです。ただ、その方法をどうするかは固まっていなかったのですよね。

在学中にいろんな方法を試してはみたのですが、なんだかしっくりこなくて。他の学生たちがものづくりを楽しむなか、私は大学にいる目的すら見いだせず、大学に居続けることに違和感を抱くようになったんです。

——そこからどうして写真を仕事にすることになったのでしょう?

まず、大学を3ヶ月で辞めてしまったので、次に始めることは途中で辞めないようにしようと(笑)。そこで「講義で習った写真は面白かったな」と思い、カメラマンになるためにはどうしたらいいのか調べ始めたのがきっかけですね。写真関連のアルバイトをいくつか経験した後、スタジオマンとしてファッション・ビューティーがメインのスタジオに入社しました。

フィルムにこだわる理由は、“まだ”デジタルで納得のいくものが撮れたことがないから

——今は広告の撮影が多い印象ですが、写真家としてのキャリアのスタートはスタジオマンだったのですね。

約3年スタジオに勤務した後にカメラマンの専属アシスタントとなり、それからフリーのカメラマンとして独立しました。独立したばかりの頃はファッション・ビューティ系の雑誌の撮影を中心に行っていましたね。当時はカメラマンとしての仕事にどんな種類があるのか、あまり知らなかったんです。

——雑誌以外の仕事をし始めたきっかけは?

独立して1年ほど経った頃、スタジオジブリさんの映画作品フィルムブックの撮影をご依頼いただいて。本に掲載するイメージ写真や、スタッフさんのポートレート撮影を1冊まるごと担当することになったんです。そこで初めて、ファッションやビューティー以外にも表現の場はあるんだと知りました。

「ロマンアルバム 猫の恩返し」出版:徳間書店
「ロマンアルバム 猫の恩返し」出版:徳間書店

——どういった経緯でそのお仕事の依頼を受けることに?

当時自分の作品作りのために、よくモデルさんを撮影していました。その写真を見たデザイン事務所が声をかけてくれたんです。

——きっと、この頃にはすでに市橋さんらしさが写真に表れていたのですね。市橋さんの写真の大きな特徴として、「フィルムカメラで撮影する」ことがあげられると思います。それはこの頃から?

スタジオに入る前から自宅に暗室を作って自分で写真を焼いていましたね。もちろん、その後もずっと。

——市橋さんが考える、「フィルムカメラの魅力」とはどんなところでしょう?

そうですね……。フィルムカメラだからこその魅力というより、同じものを撮影してフィルムで撮ったものとデジタルで撮ったものを見比べたときに、「デジタルの方が納得のいくものが撮れた」と思ったことがまだないから、フィルムでの撮影を続けています。写真って“何で撮るか”ではなく、“何を撮るか”、“どう撮るか”が大事なはず。だから、デジタルの方が良いものを撮れるなら、デジタルで撮るべきだと思っています。

ただ、今のところ私が撮影する場合はフィルムの方が良いものが撮れるので、フィルムで撮影を続けている、という感じですね。

——お気に入りのカメラを教えていただけますか?

Mamiya RZ67と、35mmのライカは昔からよく使っています。もちろんどちらもフィルムカメラです。

あとは、最近ニコンのEMという小型一眼レフカメラを中古で買いました。近所をちょっと散歩するときにも持ち歩けるようなフィルムカメラが欲しくて。私が調べたなかで、このカメラが一番小さくて軽かったんですよね。マニュアルにもならないような低機能で正直使いづらいんですけど(笑)、どこにでも気軽に持ち運べて撮影できるところが気に入っています。

撮影中の市橋織江
撮影:鹿糠直紀

世界を楽しめば楽しむほど、写真にもそれが表れる

——市橋さんの撮影する写真には、澄んだ空気がこちらにまで伝わってくるような魅力があります。撮影するときはどのようなことを考えているのでしょう?

仕事でも仕事でなくても、「人の心がちょっと動いたらいいな」と思って撮影しています。撮影する私自身の心がまず動いて、その写真を見る人の心も動く。見た瞬間に“ザワッ”とした気持ちになってくれると嬉しいです。

——“ザワッ”というのは、ポジティブな感情ですか?

そうです。プラスの感情であってほしいです。“楽しい”とか“嬉しい”とか、はっきりとした言葉に表せる感情ではないのですが、受け取る人によっていろんな捉え方ができるような、余白のあるものにしたいと思っています。

——“ザワッ”とする写真が撮れるよう、意識していることはありますか?

自分を大事にすること、ですかね。

写真って、撮影する人の心がすごく表れるんですよ。何を見て、何を考えて、どういう瞬間に心が動いて、それはどういう感情なのかがすべて反映されます。「世の中つまらない」と思って撮影すると、そういう写真になる。だから、“ザワッ”とする写真を撮りたいなら、まずは自分の心を大事にすべきだと思っています。

市橋織江撮影ANA “Seattle Trip”の写真
ANA “Seattle Trip”より

——市橋さんが自分の心を大事にするためにやっていることは?

いろいろあるんですけど、写真に関わることでいうと例えば定期的に新しいカメラやレンズを使ってみるとか。最近、傷だらけの古いレンズをよく購入しているんですよ。どれも中古で3000円くらいで買える、本当に安いもの。傷の付き方によって、意図しない写真が撮れるのですごく面白いんですよね。

こういった、自分の心が動くものをたくさん知って日々楽しむことが、この世界を楽しく生きることにつながっていくと思うんです。

——生きていると、どうしても気分が落ち込むこともあると思います。市橋さんはそういったときはどうしているのでしょうか?

私、マイナスの感情になることがほとんどないんですよね。基本的に楽観的。プライベートや仕事でうまくいかないときはもちろんあるのですが、それ以上に心がプラスに動くことの方がたくさんあるから、落ち込む時間が少ないのかも。私のそういう気質が写真に出ているのだと思います。

ただ、「私の写真の場合は」というだけで、「楽観的な気持ちで撮ると良い写真になる」というわけではないです。激情的な気質の人が撮った写真は、激しさで人の心を掴むでしょうし。楽観的とか激情的とか、その人の気質を活かした写真を撮ることが、見る人の心を動かす写真につながるのだと思います。

一生写真と生きていきたいから、自分の心が動く瞬間を大切に

——「世界をどれだけ楽しんでいるかが、写真に表れる」とおっしゃっていましたが、最近見つけた楽しいことはありますか?

ここ2年ほど、毎日欠かさず道端に咲いている植物の写真を撮っています。

——なぜ植物の写真を撮るように?

母を元気づけたいと思ったのが始めたきっかけです。新型コロナウイルスが流行して、いろいろ環境の変化があったせいか、見るからに落ち込んでいた時期があって……。母は植物に詳しいので、植物の写真をやりとりできたら楽しいかなと思い、私から提案したんです。母はスマートフォンを持っていなかったので、iPhoneと接写レンズをプレゼントして、お互いに植物の写真を撮っては送り合うようになりました。

「今日は見た花はこんな様子だった」とか「この植物ってこんな構造していたんだ」とやりとりするうちに、私も植物について詳しくなってきましたね。冬のあいだは樹々の新芽ばかり撮って送り合っていました。

——植物の写真は、市橋さんもiPhoneで撮影しているのですか?

そうです。デジタルカメラでは撮る気にならないんですけど、iPhoneだと楽しくて。だから私も母と同じように、iPhoneに百均で買った接写レンズをつけて撮影しています。毎日いつでもどこでも撮影するから、接写レンズがなくなったり壊れたりしても大丈夫なように、近所の百均で20個くらい買い溜めしてあるんですよ(笑)。百均のレンズでも味のある写真が撮れてすごく楽しいです。

——仕事や作品撮りではなく、プライベートで写真を送り合うことはよくあるのでしょうか?

以前にも、元アシスタントの子と毎日携帯電話で撮った写真を送り合っていたことがありました。1年くらい毎日欠かさず、お互いに街でスナップ写真を撮っていましたね。そのときも1日100枚くらい撮りまくっていて、とにかく楽しかった記憶があります。

市橋織江がiPhoneで撮影した植物
市橋さんがiPhoneで撮影した植物

——市橋さんにとって、写真は仕事でありながら、心から好きなものでもあるんですね。

そうですね。本当に、写真がとにかく好きで楽しいんです。

実は、コロナ禍で自粛生活をしていたときも、写真のおかげで毎日が楽しくて。毎日ひとりで6時間くらい散歩して、ひたすら写真を撮っていました。歩数計を見たら、1日2万歩くらい歩いていましたね(笑)。

それまでももちろん写真は好きだと思っていましたけど、この時期を経て「私って写真さえあれば、一生退屈しないで生きていけるな」と自覚しました。もう、写真がない世界は考えられないですね。仕事ではなくても、一生撮り続けていると思います。

——最後に、今後新たに始めたいことはありますか?

ここのところ、写真はもちろん撮り続けているのですが、映画やドラマの撮影を長期でやったり、CMの撮影も多かったりと仕事の幅が広くなっていて。だからこそ、個人的な写真集を作りたいなと思っています。

とにかく一生写真を楽しんでいたいので、これからも自分の心が動く瞬間は大事にしていきたいですね。

■Interviewer / Writer

仲奈々

1987年、沖縄県出身・埼玉県在住。2021年にフリーランスのライターとして独立。現在は取材ライターとして文春オンライン、LIFULLSTORIES、DRESSなどで企画・執筆を行っている。

Twitter:@nanapan0728

■Editor

中村洋太

1987年、横須賀出身。海外添乗員と旅行情報誌の編集者を経て、フリーライターに。これまで自転車で世界1万キロを旅し、朝日新聞デジタルなどでエッセイを執筆。現在はプロライターを育成する活動もしている。

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