撮りはじめた、あの頃。 vol.2 齋藤陽道〜前編〜

現在、第一線で活躍する写真家たち。

その誰しもに必ずある、写真を撮り始めたばかりの頃の写真。

あの写真家が駆け出しの時に見ていたものはなんだったのか、そして変わったこと、変わらないこととは?

第二回目は写真家、文筆家、そしてまんが家として幅広く活動し、現在BAG-Brillia Art Gallery- 「+1」で個展『齋藤陽道 絶対』展 を開催中の齋藤陽道さん。デビュー写真集である『感動』の中から、特に印象深いと語る5つの作品を振り返ってもらい、撮影を通して得た気づきがその後の人生や写真にどのような影響を与えたのか、当時の想いとともに語ってもらった。

PROFILE

齋藤 陽道

PROFILE

齋藤 陽道

1983年、東京都生まれ。写真家。都立石神井ろう学校卒業。2020年から熊本県在住。
2010年、写真新世紀優秀賞(佐内正史選)。2013年、ワタリウム美術館にて新鋭写真家として異例の大型個展を開催。2014年、日本写真協会新人賞受賞。写真集に『感動』、続編の『感動、』(赤々舎)。
著書に『育児まんが日記 せかいはことば』(ナナロク社)、『異なり記念日』(医学書院・シリーズケアをひらく、第73回毎日出版文化賞企画部門受賞)、『声めぐり』(晶文社)、『日本国憲法』(港の人)がある。

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Vol.2 齋藤陽道〜前編〜

“写真の嘘”を知り、より写真にハマった一枚

齋藤陽道-1

この写真は、僕のデビュー写真集『感動』の冒頭にある写真です。いのちの寄る辺なさとか、心細さとか、生老病死をかかえるひとつの人間としてのあり方を、言葉でなく、写真のみで端的に表せているなと思いました。なので、この時に連続で撮った写真たちを写真集の一番最初に持ってきました。

この写真を撮ったときは、実は写真のことをなんにも知らなかったんですね。写真の初心者にも及ばないくらい本当に無知な時に撮ったものでした。スナップや記念撮影以外で、テーマというか“自分の持つイメージを写真にする”という過程を意識して撮った初めての写真です。

なんでかわからないのですが、10歳とかそのくらいの頃からずっと「海に車椅子に赤ちゃん」というイメージがありました。写真を撮り始めて少し経った頃に、三脚での撮影や長時間露光の技術を知って「あ、今ならあのイメージを写真にできるかも」と思い、姪っ子に協力してもらって撮りました。長年頭の中にあったイメージを形にする時の高揚感は今でも覚えています。

スナップ以外の写真の面白さをこの写真を撮ることを通して知ることができました。

あと、この写真は車椅子に乗っている子どもが今にも波に攫われてしまいそうに見えるんですが、長時間露光でそのように見えているだけであって、実際にはゆるやかな波なんですよね。

写真を学ぶまでは、写真は真実をそのまま写すものというか、嘘がないものだと思っていました。作為をこめて撮るという過程を経て、穏やかな波が激しい波のようにも見える“写真の嘘”を知って、いくらでも嘘をつけるんだなあと実感しました。そこから、より写真にハマりました。思い入れのある一枚です。

コミュニケーションのあり方を教えてくれた恩人たち

齋藤陽道-2

こちらの写真は2枚組で、二人がハグをしている写真と、僕のほうを見ている写真の2枚でセットの作品です。

彼らはダウン症を抱える人たちで、ダウン症を持つ方は、ハグとか、手を繋ぐとか、触れ合うとか、そうした接触を好む方が多いんですね。

この場所は体育館で運動会をやっていて、僕は運動会を撮影しつつ見ていて、座っていた目の前に彼らがいて、運動会の最中、スーッとハグをしあったんですね。それが本当に自然でなめらかで。その自然さに心動かされたんです。そこでまず撮ったのが左の写真でした。

撮っていたカメラがPENTAX67で大きなシャッター音なので、その音に彼らが反応して、僕のほうをみて左の彼がニッと笑ったんですね。それが右の写真です。

そして、そのあと僕にもハグをしようと誘ってくれました。彼らとは初対面で、ここまで一言も言葉を交わしていないんです。でも初めて会った僕にもそうしてくれるのかという驚きがありました。そしてハグしてみると、優しいというか、たくさんの人を抱きしめてきたであろう経験の深さが伝わってくる、深いハグでした。

人と人とのコミュニケーションというものは、言葉で話してわかりあわないといけないと思っていました。でも、言葉を交わさずとも、最初からその人をそっくりそのまま信頼して接してもいいんだ、ということを彼らとの触れ合いを通じて教わったんですね。

この“無条件にそのまま受け入れることから始める”という態度は、今の僕の写真の撮り方の大きな根底になっています。そんなこともあってとても大切な写真です。

ぼくは、社会的には「聴覚障害者」で、一般的なやりとりが難しいです。だから別のやりとりを考えなくてはなりませんでした。そして、いろんな体を持つ人と出会いながら、いろんなコミュニケーション方法を知っていきました。よく「障害者をメインに撮っているのね」と言われるんですけど、そうした考えは全くないんです。結果的にそうなっただけであって、障害がある方々を、新しいコミュニケーションの方法を教えてくれた恩人として僕は認識しています。

猿の眼差しに射抜かれた瞬間

齋藤陽道-3

あるとき、たまたま猿回しの舞台の裏口に来てしまったことがありました。まあいいかとそのまま見ていたら、猿が突然振り返ってこちらを見たんですね。時間にすると結構長く、たぶん10秒くらいでしょうか。その間、猿まわし師の師匠の呼びかけも無視して、そのままじっとこちらを見ていて、その眼差しに射抜かれました。

それまでの僕は、”動物の意思”というものを軽んじていました。その考えを根底から改めさせられました。

猿がそのとき何を思っていたのかは、僕が勝手に言い表せるものではないですが、ただ厳しい師弟関係である猿まわし師の師匠の言いつけを無視してまで「見たい」という強い意思がそこには明らかにありました。

それからは、「動物にも意思はある。眼差しに意思は表れる」ということを前提にして、いろんな動物ともまっすぐに向き合いながら撮るようになりました。この写真における出来事のおかげです。

———後編に続く