映画『霧の淵』村瀬大智監督×写真家・百々武対談インタビュー「フレームの外にある川上村を想像しながら観て欲しい」
4月6日(土)にユーロスペースにて先行上映、4月19日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国順次公開が決定した、若手クリエイター・村瀬大智監督による長編商業映画デビュー作『霧の淵』。
奈良県南東部の山々に囲まれたある静かな集落。かつては商店や旅館が軒を並べ、
登山客などで賑わったこの集落で、代々旅館を営む家に生まれた12歳のイヒカ。
数年前から父は別居をしているが、母の咲は、父との結婚を機に嫁いだこの旅館を義理の父・シゲと切り盛りしている。そんなある日、シゲが姿を消してしまう。
旅館存続の危機が迫る中、イヒカの家族に変化の時がやってくる――。
今回は、村瀬大智監督と撮影監督を務めた川上村在住の写真家・百々武氏の対談インタビューを実施。『霧の淵』制作の背景や、画角や撮影手法に込められた想いを詳しく伺った。
PROFILE
PROFILE
村瀬大智
滋賀県の信楽、映画館のない町で生まれ育つ。父親が所有していた映画がほとんどアメリカ映画だったため、アメリカ映画を観て少年時代を過ごす。京都造形芸術大学への入学を機に映画制作の道へ進む。19歳の時初めて監督した『忘れてくけど』が2019年カンヌ国際映画祭ショートフィルムコーナーにて上映。卒業制作『ROLL』は、なら国際映画祭NARAWAVE部門に選出され、観客賞を受賞。最新作「霧の淵」が第71回サンセバスティアン国際映画祭New Director部門、釜山国際映画祭「アジア映画の窓」部門、ソフィア国際映画祭インターナショナルコンペティションに選出。
@daichi_murasse77 @OreKanpiPROFILE
PROFILE
百々武
1977年大阪生まれ、奈良育ち。1999年 ビジュアルアーツ専門学校・大阪卒業。1999年 イイノメディアプロ入社。2000年 ZIGEN氏に師事。日本の離島を北から南へと巡った作品で、2009年に東京都写真美術館、パリ・ポルトガル・メキシコで写真展開催、写真集「島の力」刊行。同年より活動拠点を東京から奈良に戻す。奈良県南部を中心に撮影した作品の写真展を東京・大阪などで開催、写真集「草葉の陰で眠る獣」2015年刊行。2017年、家族で奈良県川上村に移住。川上村での暮らしで体現する真っ新な時間を撮影した作品を東京、名古屋で写真展開催、写真集「生々流転」を2021年刊行。東京2020オリンピック公式記録映画スチール撮影。長編映画「霧の淵」撮影監督を担当する。
@dodo_takeshi @100_100_t何度も川上村に通い、作り上げた物語
——まずは、映画『霧の淵』の制作のきっかけを伺えますでしょうか。
村瀬監督(以下村瀬):この映画は「NARAtive(ナラティブ)」というなら国際映画祭と奈良の市町村が連携して映画を作り上げていくというプロジェクトで、2020年になら国際映画祭 2020NARA-wave部門の学生部門観客賞をいただいたことがきっかけとなり撮らせていただくことになりました。川上村が舞台ということは元々決まっていて、何度も川上村に通わせていただき、そこで出会った人たちの話を実際に聞きながら、村に即した物語を作り上げました。
——百々さんは2017年から川上村に移住されたそうですが、移住された理由はどういったところにあったのでしょうか。
百々武さん(以下百々):僕は以前ビジュアルアーツ専門学校という大阪の写真の専門学校に教員として勤めていたのですが、それと並行して2003年から日本の離島を巡って作品を制作していたんですね。ただ、あまり旅行客も行かないような小さな離島に行っても長くて2泊3日くらいなので、やっぱり旅行者視点というか、旅の視点だからこその面白いところももちろんあるとは思うのですが、こういう場所で実際に暮らしながら撮る写真というのはどんなものになるんだろうという考えをずっと持っていました。
例えば、写真家の東松照明さんは実際に沖縄で暮らしたり長崎に拠点を置かれてそこに暮らしながら撮っていくということを続けてこられたんですが、そういった先人たちの被写体に対する関わり方や捉え方、そしてそこから生まれる写真に対する憧れがあったので、40歳になる時に思い切って川上村に移住することを決めました。
実際に暮らしてみると、玄関を開けたらもうそこには撮影したくなるような大自然が広がっているので、これはやはりすごいなと。最初はデジタルカメラで朝起きて出かけてから帰ってくるまで仕事もしながら写真撮影をしていました。そうして川上村に住む方々のポートレートも撮影していくうちに、1枚ずつプリントして残したいと気持ちになり、カメラをハッセルブラッドに変えて、フィルムカメラで撮影とプリントを繰り返す日々となりました。
川上村で暮らすようになってから、自分が思っている以上に、季節や時間というのは、早く過ぎ去るものだというものを痛感するようになりましたね。お祭りや行事を撮影する機会もあるのですが、本当に僕が撮影したいのは、そういう行事やハレの日の姿だけなのかっていうことを自問自答したりもしました。そうした多くの気づきや学びを得る中で、試行錯誤を繰り返して出来上がったのが『生々流転』(Case Publishing)という写真集となります。
——監督が、写真家である百々さんに映画の撮影を依頼されたのはどういったいきさつがあったのでしょうか。
村瀬:川上村には『匠の聚』というカフェなどもある村の施設があるんですが、そこを訪れた時に百々さんの写真がちょうど展示されていたんですね。先ほど話に出た『生々流転』も置かれていて、そこで撮影者である百々さんと会話したのが最初の出会いとなります。
その時、百々さんの写真にすごく感銘を受けたと言いますか「そう、この距離で映画が撮りたいんだ!」という自分の中のイメージととても合っていたというのがあったのですが、その時点では百々さんが写真家ということもあり、撮影監督を依頼するという発想には全く至っていませんでした。
ただ偶然にも、今回脚本指導をしていただいたのが、百々さんの前職であるビジュアルアーツ専門学校のとしおか先生という方だったのですが、脚本を書いていく中で百々さんの写真のような距離感で撮りたいといった考えを話していたところ「それなら百々さんに撮影をお願いしてみたら?」とアドバイスいただき、そのままお願いするに至りました。
——百々さんは、初めてそのお話を受けた時いかがでしたか?
百々:自分が暮らしている川上村で映画を撮るということに非常に興味がありましたので、それを自分自身が撮ることができるというのは、もう2度とないチャンスなんじゃないかと思い、ぜひ撮影したいと思いました。
観客に川上村の暮らしをそっと覗き見て欲しい
——霧の淵では、定点で撮影された映像やまるで写真のような表現が印象的でしたが、定点的に撮ったことに対してはどのような意図があったのでしょうか。
村瀬:定点的に撮ったこととそれに関連して言えることは、画面比を4:3と狭く撮ったことですね。
映画において、今って情報量がすごく多いんですよね。前提として僕は元々ハリウッド映画やスターウォーズがすごく好きなのですが、ただ一観客として観ていても現代の映画は端から端まで全部映すみたいな、そしてカメラでパン(首振り可能なカメラの基本動作の一つで、カメラを左右に振って撮像範囲を変えること)していくというような映像が多用されてきていると感じています。僕は世代的にある意味そういった情報量が多い映画のネイティブ世代だと思うんですね。
だからこそ、見えないところに人は想像力を働かせたり、感じるものがあると思っているので、霧の淵では何を映すかというよりも、何を映さないかということを考えました。
そして、僕が映画の勉強をし始めた時には、登場人物が身の上話をしている時や専門用語が行き交うような話をしている時に、カメラが必ず動いているというセオリーがありました。おそらく1番最初にカメラを動かした人は「説明シーンでカメラが動いたら画的にも情報的にも退屈せずに進められるんじゃないか」という意図があったと思うのですが、それがセオリーになったものを習っている僕たちにとって、動かすというのは当たり前で、とりあえず動かしとけみたいなところがあったので、僕は学生時代動かす意味をよくわからないままその手法を使っていたところがありました。
だからこそ、今回の制作にあたっては自分に制限をかけて、動くような画がほとんど無い映像を撮りたいと考えていました。
また、映画の現場ではハリウッド映画のような大きな商業映画は別として、基本的には現場にカメラが1台しかないことが多く、同じ会話を役者さんに何度もしてもらってその中でいろんな角度から撮っていくことが当たり前なのですが、この映画は会話の内容というよりも川上村の空間や時間というものを覗き見ている、見つめているということを表現したかったので、何回も同じことを繰り返さずに、その瞬間を大事にしたかったという想いもあります。
そのため、画面をパンするところも一箇所だけありますけどそれ以外はありません。百々さんは、映画を撮るということで「カメラ動かそか?」みたいな感じだったんですけど、僕の方から「いや、やめましょう」みたいな(笑)。
写真という本当に一瞬の世界を見つめてきた方と一緒に何かを作るということになった時に、写真のようにとまではいかなくても、瞬間を見つめて捉えていくということをやりたいと思い、そういう撮影方法になっていったといいますか、元々やりたかったことや映画のテーマ、写真家の百々さんが撮影されることなど、様々なことが重なってこのような表現方法になっていきました。
“距離感”を大切に行った撮影
——ありがとうございます。監督のイメージする世界観を映像として落とし込む中でお二人の間でどのようなすり合わせを行ったのでしょうか?
村瀬:元々百々さんの写真と僕が捉えようとしている距離感のイメージが合っていたことと、映像においても距離感の捉え方や考え方が一致していたので、自分としては全く違和感を感じずに撮影ができたと感じています。
百々:そうですね、ある程度カメラをセッティングする前にどこをどう切り取っていくのかということを二人で話しながら決めていました。その上で基本的には手持ちもしないし、カメラを動かさないという感じで。監督に禁止されていたので(笑)
また、写真は後でトリミングができたりとか、今はデジタルの時代なので切ったり貼ったりとか消したりとかもできてしまうのですが、映像の場合は逆に後からの加工があまりできないので、撮影した時の意図が写真以上に強く反映されると感じました。
その上でフレームの外側にある登場人物の背景だったりとか、その土地にある何かを想像させるフレームっていうのはどこにあるのかということを探りながら撮影に挑みました。
観てくださった方の変化のきっかけになれば
——お二人とも、映画監督と写真家という異なる立場でそれぞれ“撮る”ことを生業としていますが、“撮る力”は、どんな影響や豊かさをもたらせると考えていますか?
村瀬:映画は“時間と空間の芸術”とか言われたりもするのですが、僕も映画は時間というものを操れるものというか、時間というものを司るものだなと思っています。
というのも、良い映画を観てすごく美味しそうなご飯が出てきた映画だったら、その後、美味しいご飯屋さんに行きたくなったりとか、これから観る映画をすごく楽しみにしてたら、ちょっと早めに映画館に行ったりしますよね。
映画は観ている途中の時間だけではなくて、そうした観る前後の時間の過ごし方が豊かになる可能性も秘めていますし、ひょっとしたら一生心に残るものになるかもしれません。上映時間はたったの数時間ですが、その後のすごく巨大な時間というものに作用する可能性のあるものだと思っています。
そうなった時に、自分が映画を“撮る”ことを通して、見てくださった皆様の今後の時間に影響を与えるまではいかなくても、何かちょっと変化であったり少しでも心に残るものを作れたらいいなと思ってます。
百々:この映画は、第72回サン・セバスチャン国際映画祭で上映されたのですが、スペインのサン・セバスチャンも高齢化が進んで人口が減少しているような小さな街なんですね。日本と言ったら東京や京都しか知らないであろう方々が、全く聞いたことのない川上村という小さな村で撮った映画をものすごく共感を持って観ていただいたという話を聞いた時にとても胸にくるものがありました。
高齢化や人口減少、自然のものがそのまま野ざらしになっていくなど、田舎の抱えている問題というのは日本だけではなく世界中で起こっていることだと思うのですが、今生きている僕たちが未来を考えていく上でキーになるようなことがこの映画の中には詰まっていると思います。それを説明するとか押し付けるとか答えを出すのではなく、“撮る”こと、映像を通して何か少し心の中に届いてくる映画になっていると思うので、そういった意味でも世界を含め多くの方に見ていただけるといいなと思っています。
▼作品概要
監督・脚本:村瀬 大智
出演:三宅 朱莉、三浦 誠己、堀田 眞三、杉原 亜実、中山 慎悟、宮本 伊織、大友 至恩、水川 あさみ
エグゼクティブプロデューサー:河瀨 直美 プロデューサー:吉岡 フローレス 亜衣子
撮影:百々 武 録音:森 英司 照明:藤江 立 美術:塩川 節子 助監督:福嶋 賢治 制作担当:濱本 敏治 編集:唯野 浩平 音楽:梅村 和史 ヘアメイク:南辻 明宏 衣装:山上 順子 製作:なら国際映画祭
助成:奈良県、川上村、奈良市
配給:ナカチカピクチャーズ
©2023“霧の淵”Nara International Film Festiva
予告編
Text 浅井智子