やっぱり、私がこの人生の運命を握っている。| 枝優花のかつての私と対話する旅。
私の名前は枝に優しいに花と書くのだけど、この業界に入って「芸名みたいですね」と言っていただくことが度々あった。自分では特に意識をしたことがなかったし、自身を優しいとはそんなに思わないし、花にも大して詳しくもないし、愛着があるのかもよくわからない。
それでも「優しくありたい」という気持ちは異常にあった。いや、今もある。そのくせ「優しさ」てのが、いまいち言語化できない。素敵なプレゼントを渡したり、ご飯を奢ったり、多分そういうことじゃない。相手から優しく思われたくて発した言動はどうしても卑しい自分を感じて「優しいね」と言ってもらった言葉をうまく受け取れない。なのに、優しくありたいんだ。名前の呪いに囚われちゃってんのかな。名前にはアイデンティティがあるって聞くし…。で、しかしきみ、相も変わらず本当めんどくさいね、その性格。
作品を作るたびに何度も自分が変容して、進んでいるのか戻っているのか、いや…を繰り返してはとにかく前だけを見ている。今が不安なのか希望に満ちているのかもわからない。それでも解りたい、知りたい、自分を。しかしどうにも過去をすぐ忘れてしまう。性に合わないが、 過去作と照らし合わせながらあの頃と今の私を掘り下げていこう、というのがこの連載だ。
さて、2回目ですね。すでに第1回目エッセイに存在していた私はもういません!誰それ!なのにそんな自分で過去を遡るっていうのだから、これバグるね。大丈夫か?まあ気にせず書いていきます!
PROFILE

PROFILE
枝 優花
映画監督・脚本・写真家
1994年群馬県生まれ。映画監督、写真家。2017年、主演に穂志もえかとモトーラ世理奈を迎えた初の長編映画『少女邂逅』を発表。「MOOSICLAB2017」で観客賞を受賞したほか、国内外で高い評価を得る。そのほかMrs. GREEN APPLE、マカロニえんぴつ、羊文学、anoなど様々なアーティストのミュージックビデオ撮影や、アーティスト写真撮影も手掛ける。また、ドラマフィル「コールミー・バイ・ノーネーム」(MBS ほか/演出)、ドラマイムズ「ゲレンデ飯」(MBS ほか/演出)、ドラマフィル「彩香ちゃんは弘子先輩に恋してる 2nd Stage」(MBS ほか/演出)など
自分が消えつつあった、2024年の夏
突然だが、私は基本ほとんどのことは「許す」で生きている。この世にはいろんな人間がいるし、予想できないことも起こるし、そこにいちいち目くじら立てていたらキリがない。だから全部忘れて許しちゃえばいいか~の人間。しかし、そんな人間にも許せないことがあった。それは「運命」ってやつ。「運命だから仕方ない」「縁がなかったんだよ」ってよく言うけどさ、その理論だと「努力すれば夢は叶う」の筋通ってなくない?もしも、この先の人生が決まってるのなら、どんなに努力しても意味ないじゃん!運と縁と神頼み?いやいや、私の人生なんだから全部私に決めさせてくれ!とイライラしていたのが2024年夏だった。
その夏、とある現場で顎が外れた。カットをかけようとしたときだった。歯を食いしばりすぎたことが原因。圧倒的ストレス。そのとき「もうそろそろ自分は終わりかもしれない」と悟った。忙殺に慣れ、たくさんの事情を汲み、皺寄せをまとめ、私は完全に不感症になっていた。何も湧かないのだ。焦って友人に電話。
「ちょっと今から怒ってみるから、サンドバックになってくれないかな?」
あまりに理不尽すぎる要望に友人は戸惑いつつもイエス。でも、怒れなかった。感情がわからなくなっていた。自分が消えつつあった。これは、もう、モノを作る人間として終わっている。私の魂はどこかへ行ってしまった。私ってなんだっけ。
そんななか、たまたまとある原作を手にした。「本当の名前を見つける物語」。何か強い焦燥感を感じ、この小説をもとにドラマをつくりたいと、すぐさまプロデューサーに連絡した。それから急ピッチで準備が進み、半年後の2025年1月に放送。たった半年間であったが、おそらく自分にとって生涯忘れることはないだろう、というほどに濃い日々だった。
それが「コールミー・バイ・ノーネーム」(以下、コルミノ)という物語だった。

あらすじ
「最初からわかっていた。本当の名前を呼んでしまったら、この恋は終わるのだと。」
大学生の世次愛(工藤美桜)は、ゴミ捨て場に捨てられていた女・古橋琴葉(尾碕真花)と出会う。琴葉を自宅に泊めるも、彼女の素性はわからないまま。友人になりたいと提案するも、琴葉はそれを拒否。そして琴葉という名前は、改名後のものであることを知る。代わりに琴葉は「本当の名前を当てられたら友達になる」という賭けを持ちかける。それは本当の名前を当てるまで、二人は『恋人』として過ごすというものだった。その賭けに乗ることになった愛は、琴葉と『恋人』としてぎこちなくも関係を深めていくが、彼女の名前に隠された過去が現在に牙を剥くようになり──。
「この作品は、ドラマではなく映画として撮ってください」とプロデューサーから一言。
ということで、私にとっては想定外のタイミングでコルミノとは長編映画を撮る気持ちで向き合うことになってしまったのだ。私は2017年に長編映画デビューをしてから、この8年間ずっと長編映画を撮っていない。代わりに広告やドラマやMVばかり撮ってきた。
周りから「いつ映画を撮るんだ」「ずっと待っています」と言葉をもらうたびに申し訳ない気持ちになった。正直プレッシャーだった。いつしかあれだけ好きで仕方なかった映画について、考えるのが憂鬱になった。私は逃げているのだろうか。この8年間何もしていなかったわけではない。何年も準備してきた作品が消えたことも幾度かあった。それでも常に企画は抱えていた。
映画は博打という言葉がしっくり。それが怖かったこともあるけれど、何より撮れなかった。それが正しい。心の底からやりたいと思えないなら映画は撮りたくなかった。うん、なかったんだ。魂が震えるほどに言いたいことも見たい世界もなかった。ならば、やらない。やれない。
たくさん映画を撮れるとか、興行収入、有名な監督になる、有名人と仕事をする、私にはすべてどうでもよかった。自分の魂が一番伝わるものが映画だった、ただそれだけ。だから私は、魂が震える自分ともう一度出会いたくて、この8年を過ごしてきた。本当の私がどこにいるのか、たくさんの人たちと過ごすなかで、ずっと探していた。
だけど、気づいたら魂の居場所がわからなくなってしまった。この失敗は8年のうちで何度も経験している。そのたびに仲間と別れ、自分に絶望し、ここに立っていたかったのか?何度も問いては軌道修正して。しかし、夏に顎が外れたとき明確に「これはもう終わりかも」と悟った。
そんなときコルミノと出会った。今振り返れば、私を突き動かした焦燥感はおそらく「ここで私を見つけなければ」というものだったのかもしれない。

コルミノの現場は8年かけて見つけた本当に心から信頼できる仲間と作った。私のいたらない部分も「あー枝さんらしいですね」と笑ってくれる。ときには嫌われたっていいと作品のために本気で喧嘩もした。ひさびさに感情が乱行化で、自分をコントロールできなくなった。
けど、わかっている。絶対に壊れない信頼がそこにあることを。そんな素晴らしい仲間に出会えるまで8年かかった。そこまでの間に何度も、逃げ出していじけたかった。もともと大人数も自己主張も苦手で飲み会は常に欠席人間だった。そんな自分が、なんでこの仕事をしてるのかわからなかったし、帰りたい気持ちを押し殺し無理やり現場まで身体を連れて行っていた。取材では楽しいなんて言ってたけど、本当は現場は地獄だった。自意識との戦い。
「こんな若い女が監督?」「どうせ今流行ってるだけでしょ」と思われているんだろう。実際そう言われたこともあった。被害妄想で膨らんだ重圧を背中で感じながら、みんなの前に立っている時間は苦痛だった。けれど、同時に変わりたかった。この自分で生きていくことは嫌だった。なりたい自分がいた。解決方法がわからなくて部活動精神でとにかく場数をこなす、失敗しても傷ついても無視して突っ走る。このようなスパルタで回避的な自己を矯正し、気がつけば、無鉄砲に相手にぶつかっていく世次愛のような人間になっていた。

迷いながらも自分を信じようとする愛と、自分の名前にかけられた呪いと運命に諦めを感じている琴葉。私の魂には愛と琴葉の2人がいた。だからこの作品と向き合うとき、身が裂けるほどに苦しかった。2人を見つめるたびに、今と心の奥底の自分がぶつかり合う。作品は鏡。脚本を読み込んでいるとき、現場、ロケバス、何度も対峙させられる。苦しい。逃げたい。現場裏で何度も目を瞑っては天を仰いだ。「ああこのまますべてが終わっていないかな」と。これは放送まで終わらなかった。すべてが終わった今だから言えるけども。

現場前に「どうしても」とお願いして脚本に加筆した所がある。それは、友人の束が迷う愛に向けて「愛ちゃんはどうしたい?これは愛ちゃんの人生だよ」というセリフだった。私は心底自分にそれを言いたかったのだと思う。運命だとか呪いだとか、そんなものに自分の人生をゆだねたくなかった。だって私の人生なのだから、全部私に決めさせろ!!って感じだったんだろう。

放送が終わり「本当の私は見つかったのか」という問いについては、半分イエス。半分ノー。今んとこの最善は見つかったけど、どうせまた見つけたくなるから曖昧にしておく。でも、ハッキリとわかった。やっぱり運命なんてない。これまでの人生を思い返した。そしたらびっくり。これまで私は願ったことはすべて叶えていた。良いことも悪いことも。絶対に叶うと信じきっていた夢はすべて叶っているし、無理かもしれないと信じたことは絶対に無理だった。そう、どちらも自分が決めていた。
何年もの間、私は自分で決めて映画を撮らなかった。こんなに辛いし苦手だと言いながら自分で決めて映像をやり続けると選んでいた。なのに、周りの声に勝手にブレて落ち込んで迷ったり。そういう目の前の現実に溺れ、振り回される自分がダサくて嫌だった。だから「お前が決めてやってることなんだから自信持てよ!間違ってないよ」と言ってあげたかったんだ。結果が出てるとか、世間がどうとか、目先のことなんて本当はくだらないってわかってるっしょ?そんな小さなことに一喜一憂したくて生きてるわけじゃないよね?って。
だから自分でコルミノを見つけてきて、映画が怖くなっていた自分を蘇生させたくて、心から信じた仲間と向き合って、もう一度戦いたいって全部全部自分で決めてたんだ。あの夏、「自分の魂を取り戻したい」と心の底から望んだ願い、全部叶えてたじゃん。そう、全て自作自演だった。なーんだ、じゃあつまり私がこの人生の運命を握っていて、神様は私の心の中にいたんだ。私が全部決めていいんだ!ようやくそれを思い出せた。私、夢を見ること忘れていた。他人や環境や、ありもしない運命に自分の人生を委ねて現実に振り回されてる場合じゃない。現実なんて夢だ!私の夢が現実だ!あっぱれ!まじ無限大の人生!

そういえば、母親に「私の名前、芸名みたいで素敵だねって言われるんだ」と伝えたら「画数で選んだから気づかなかった!」と拍子抜けする返答。名前にアイデンティティがある、なんて言ったけど、まあ名付け親はそんなノリだったりする。運命はいつだって自分次第っていうのなら、じゃ私は優しくあろう。決めた。私が思う、優しい私でいるよ。もう他人も過去も関係ない。今しかないんだ。
▼information
「コールミー・バイ・ノーネーム」
FOD見放題にて独占配信中
【原作】斜線堂有紀「コールミー・バイ・ノーネーム」(星海社FICTIONS)
【出演】工藤美桜、尾碕真花
中井友望、三原羽衣/さとう珠緒/橋本涼
【監督】枝優花
【脚本】松ケ迫美貴
【音楽】原田智英
【プロデューサー】上浦侑奈、瀬島翔、馬渕修
【インティマシーコーディネーター】西山ももこ
【LGBTQ監修】五十嵐ゆり
【制作】スタジオブルー
©︎「コールミー・バイ・ノーネーム」製作委員会・MBS
ドラマ公式X:@dramaphil_mbs
ドラマ公式instagram:@dramaphil_mbs
ドラマ公式TikTok:@drama_mbs
Edit:田畑 咲也菜