祭りを紡ぐ #写真家放談|吉岡栄一
降り注ぐ火の粉を浴びながら、神輿を地面や川に投げつける男たち。火傷を負う状況のなかで、彼らは心の底から熱狂し、そして楽しんでいるようにも見えた。初めてその光景を見たとき、「何のため?」、「どうしてそこまでするの?」と、思うと同時に、僕の心は大きく揺れ動き、そして今の写真活動に繋がっている。
「初めて撮った祭りの衝撃」。能登半島にこんなに迫力のある祭りが行われていたことを知らなかった僕にとって、それは「祭り」というものに興味を持つキッカケとなった。
社会人になって車を購入してからは、週末になるとドライブがてら、金沢から能登半島へ出かけ、観光スポットをまわって写真におさめていた。地元・石川県にいながらも初めて見る能登半島の風景はとても新鮮で、その美しさに驚くばかり。
個人がインターネットで情報を流すことがまだ主流ではなかった当時、写真を撮ってブログやSNSで発信していくなかで、もっと綺麗な写真を撮りたいと思うようになり、一眼レフを使い始めた。
純粋に能登の良いところを知ってほしい、多くの人に訪れてほしいという思いで無心で撮り続けていた。観光スポットだけではなく、イベントなどにも足を運ぶようになった頃に出会ったのが、能登・宇出津の「あばれ祭」だったのだ。
他にも凄い祭りが能登で行われているのかもしれないという興味から、「祭り」に焦点を当てることにした。実のところ、能登半島は「お祭り半島」とも呼ばれるくらい祭りが多いことで知られている。半島各地で夏から秋口にかけて開催される「キリコ祭り」は、大小100以上の地域で行われているほどだ。
「キリコ祭り」はあまり聞き慣れないかもしれないが、日本遺産に認定されている。巨大な燈籠(キリコ)を担ぎ出し、威勢の良い掛け声や太鼓・鉦の音に合わせ、町なかを練り歩く様は圧巻だ。地域によってキリコ祭りの毛色は異なるが、世代を超えて大切に受け継がれている祭りであることに変わりはない。
いつの間にか「祭りの虜」になってしまった僕は、能登で祭りを撮り続け、現地からその魅力を発信したいと強く思うようになっていった。
一念発起して、フリーランスに転身。金沢から、ルーツのある石川県輪島市へ移住し、広告デザイン事務所を開業した。写真やデザインなどを通じて能登地域の魅力を発信していきたいと思い活動し始めた。27歳のときだった。
移住先の輪島は、いわゆる「おじいちゃんの家」があるだけの場所だった僕にとって、知り合いがほとんど皆無の状態で始めた事業は、今振り返るとなかなかのチャレンジではあった。祭りなどの写真を通じて、少しずつ知っていただく機会が増えていった。色々な方との出会いや、祭りが繋いでくれた縁のおかげでもある。
前述した「あばれ祭」のような観光客を呼び込んで大々的に開催される祭りもあれば、地域の人しか集まらない小規模な祭りも多い。ご存知のように、地方は過疎化が進み、能登の過疎化も著しい。10年後、20年後には消滅する可能性のある集落も少なくないだろう。
こと祭りにおいては「人が少ない=担い手不足」となる。小さな集落では石川県内の学生を呼んできたり、様々な工夫によって存続している祭りはあるが、残念ながら年々規模は縮小しているのが現状だ。
年間80〜100件の祭りを10年近く撮り続けてきたが、こうした現状のなかでフォトグラファーとしていったいどのような役割を果たせるかを考えてきた。
豊作・豊漁を願う祭りや、災いを追い払う祭り、そして来訪神。各々の祭りには「どうしてその祭りは始まったのか」「どのように祭りが続いてきたのか」という背景があり、価値があり、これからも受け継がれていく。
祭りは必ずしも見せものではないが、写真のなかに綴じ込めた情景や人々の想いは時代を超えて継承される記録にもなる。過疎・高齢化が著しい地域を拠点にしている僕にとって「祭りの火」を絶やさないように撮り続けることは、「祭りを紡ぐ」一員にもなれると感じ始めたのだ。
地域の人たちにとって祭りは特別な日だ。普段静かに暮らしている人たちがたちまち無邪気な顔になり、全く違う姿を見せることからもいかに待ちに待っていたのかを思い知る。
そこに見ず知らずのフォトグラファーが写真を撮りに入ることは必ずしも歓迎されるわけではない。特に地域色の強い祭りは、正直入りづらい時もあるが、そこでいかに溶け込むか。地域の人たちと長い時間を共にすることで、一緒に汗を流し、時には火の粉を浴びながら、喜びをともにすることでたくさんのシャッターチャンスを与えてくれる。それはまるで祭りと一体化できたような感覚にもなる。
何度も足を運ぶことによって、地域の方々や子どもたちに「昨年も撮りに来ていた人だね」と覚えていただける。その心の距離の近づきによって、写真はより撮りやすくなるのだ。
祭りはその時々が一年に一度しか見られない貴重なシーンばかり。同じ祭りでも毎年違う表情を見せてくれる。予期しないハプニングはつきもので、一つとして同じ顔はない。何年も通うことで感覚的にわかってくる良い瞬間もある。祭りを待ち望んできた人々の熱量や気迫はすさまじく、地域の力が結集した「壮大なエンターテイメント」を見せてくれるのだ。フォトグラファーとして、僕なりの視点でそれらを切り取り、記録し、そして祭りを紡ぐ一部になれたら、と強く思う。
時代とともに祭りのスタイルも変わるし、伝え方も変わっていくだろう。人々の祭りへの想いを今、この時点で僕なりの視点で残したい。今後、僕はこの写真活動を能登半島や北陸地方のみならず、全国の祭りへと広げていけたらと思っている。僕の写真が時代を超えて人の心に受け継がれていくことを信じて。