写真が紡ぐ物語、北海道での生活と探求 #写真家放談 |安彦嘉浩
PHOTOGRAPHER PROFILE
PHOTOGRAPHER PROFILE
安彦 嘉浩
1989年生まれ、山形県出身。北海道上富良野町在住。約10年前、フィンランドへ短期留学した際にカメラを手にし、2016に道民になって以来、写真の世界に夢中になる。北海道の風景や野生動物を美しい光とともに表現することを心がけて撮影している。書籍、企業広告、各種メディアに作品提供中。東京カメラ部10選2019選出。
@y.abiko.photography @yoshihiro_abiko https://www.yoshihiroabiko.com写真との出合い。そして、写真を愛する者にとって飽きることのない土地へ
「見たことのない街並みや景色、触れたことのない文化、遠い地での経験をぼやけさせないよう鮮明に残したい。」
2011年2月中旬、フィンランドの首都ヘルシンキへの短期留学に向かう直前に、エントリークラスの一眼レフカメラを購入したのが写真との出合いだった。
あの冬はかけがえのない宝物となった。氷点下20度の肺をさすような寒さ。青く眩しい透き通った空。歴史が息づく街並みとモダンな建築物が調和した景観の中での人々のくらしの心地よさ。帰国するとき、「いつか、この街に住む。」と心で強く誓った。あの頃の写真を見返すと、胸の高鳴りに合わせて、石畳の街並みをすり抜けていくトラムの音までも鮮明に思い出される。
2023年。僕はまだ日本で暮らしている。2014年、カメラも製造しているメーカーに就職した。2016年、同じくカメラも製造しているメーカーへ転職し、北海道千歳市へと配属された。その会社を退職し、2023年から北海道上富良野町に引っ越した。上富良野町は四季折々の表情が豊かだ。写真を愛する者にとって、飽きることのない土地だと思う。
ハイライトは白銀の世界が広がる冬。凍(しば)れた朝は、かつてフィンランドで感じた寒さを思い起こさせる。氷点下20度を下回り、平地部でもダイヤモンドダストが舞う。先日仕事を共にした映画の元プロデューサーは上富良野の景観に北欧のそれを重ね合わせているようだった。僕は、今、北欧に一番近い町に住んでいるらしい。
写真を撮ることは、人生の幅を広げるということ。
僕は他人との付き合いは得意ではないし、自分の感情をうまく伝えることも、正直に言って得意ではない。便利な言葉に逃げるならば、シャイな性格と言えるのかもしれない。
もちろん、他人とは適切な関係性を構築していきたいし、自分の感情をうまく伝えていけたら良いと思っている。だから、カメラと写真は僕にとって最高の相棒だ。僕が好きな風景と野生動物と向き合う時は、ひとりで自分の世界にどっぷり浸かることができる。ストレスはどこにもない。写真を通してなら、楽しさや美しさ、驚きや哀しさ、愛おしさ、怒り。それらを直接的な言葉よりも深く人々の心に届けられる気がする。「私のために撮られた写真だ。」そんなふうに感じてもらえたら最高だと思っている。
写真のおかげで、出会うはずのなかった人々とも繋がることができたし、感情を表現する方法を見つけた。人生の幅が確実に広がった。
写真家として大切にしていること
「発散」と「収束」。
発散は、何か新しいことを始めた初期に生じる。あれもこれもと経験し、自分にとって本当に心を打つものを見つける。2016年、北海道千歳市に住み始めてから、本格的に写真にのめり込んだ僕は、天気やSNSの情報から、週末ごとに最適だと思える撮影地へ足を運んだ。湖が凍ると聞けば、片道4時間も運転して向かい、珍しい動物を見つけるためなら北海道の端まで移動することも厭わなかった。道内はどこでも近所のような感覚で、さまざまな土地を訪れ、新しい視点を得た。
収束は、発散から得た経験を元に、自分の考えや価値観を具現化する。散りばめられた要素から、自分にとって最も重要な部分を見極め、そこに集中する。道内約120の市町村を巡り、上富良野町の風景、雰囲気、暮らしに心惹かれ、移住を決断した。日々、変化に富むこの町は、息をのむような美しい光景を見せてくれたと思えば、何日も雲に覆われ、思い通りに撮影できないことが続いたりもする。0から100まで多面的な表情を感じ、その魅力を素直に本質的な部分で表現できると信じている。発散で広がりを持ち、収束で本質を求める。そしてその先に、また新たな発散と収束が待っているのかもしれない。
写真を見てもらえるようになった運命の一枚
もう5年以上前に撮った一枚の写真の話だ。
山間部(標高1300mくらい)に車で行けるスポットがあり、そこにはキタキツネがよく現れた。厳冬期の朝、ダイヤモンドダストを狙って平地部での撮影を試みた。晴れ予報は見事に外れ、空一面に広がる薄い雲に、氷結の舞は邪魔されてしまった。気を取り直し、キタキツネが待っているだろういつもの場所に向かった。薄雲越しに見える太陽の周りには、美しいハロが出現していた。そして、主役のキタキツネが姿を現した。
ダイヤモンドダストの代わりに、ハロとキタキツネの組み合わせという既視感の全く無い贅沢な写真が撮れた。この写真は後に、各都道府県の一枚を決める大きなフォトコンテストの激戦区北海道で授賞し、渋谷で展示された。それがきっかけとなり、僕の写真が多くの人に見てもらえるようになった。
今思えばこの写真も、上富良野町で撮った一枚だ。
写真を通じて、地域を探求する
上富良野町に住み始めて、季節はまだ一巡していない。何かを残したわけでもないし、何かをやり切ったわけでもないが、良い意味で想像通りの生活を送っているので充実している。今は、写真を通して上富良野という土地を広く知っていく段階だと思って日々の撮影と向き合っている。
撮影の観点で考えても、今日は今日、明日は明日という具合に1日1日が離散的に存在しているのではない。昨日からの流れの中で、今日が存在するし、今年があって、来年に続いている。連続的な環境に身を置けているのだから、日々の変化に気づけるようになり、「住んでいるからこそ撮れた写真」、「住んでいるからこそ意味を付加できた写真」、そんな風に言われる一枚を探求していけるようになりたいと思っている。