私は私の写真を諦めない #写真家放談 |柘植美咲
misaki tsuge 柘植美咲
写真家。2000年三重県生まれ。高校1年生の時から写真を撮り始める。18年、ポカリスエットの広告を撮影。 20年、IMA nextの「LOVE」をテーマにした回でグランプリを受賞。yonige「健全な社会」にアートワークを提供。羊文学、20th Centuryのアーティスト写真を撮影。
私にとって、写真とはまだ何ものかわからないもの。
そんな私が写真のことを語るなんて、生意気だと思います。しかし、写真はどれも正解だと思っています。
私にとっての写真が何なのかを語るにはまず、今日に至るまでの私についての話が重要なポイントになります。自信と運と、自分の写真を信じることについて、少し長くなりますが、お話しさせてください。
私は小学生の頃から「制服を着たい」という漠然とした憧れがあり、小学校卒業後は中高一貫校に進学しました。写真を撮り始めたきっかけは、簡単に言えば、周りに勧められたから。詳しく話すのは、あまりにも恥ずかしすぎるので本当に気になる人は私に会った時にでも聞いてください。
高校進学前に中古のデジタルカメラを買い、写真を撮り始めましたが、カメラが大きくて重たかったので、1年生のころは学校行事でしか写真を撮っていませんでした。それに、そのときに撮った写真は自分の中ではあまり納得いかず、好きではありませんでした。
2年生に進級すると今度は、写ルンですを使うようになりました。写ルンですを遠足に持って行ったり、修学旅行に持って行ったりして写真を撮っていました。すると、知り合いから「フィルムやってみたら?」と提案されたので、ハーフカメラを買うことにしました。
それからは常に、私の制服のポケットには写ルンですとハーフカメラが必ず入っていました。撮り終えて現像したとき、ちゃんと写っている写真は少なかったのですが、何よりもその写真が私はとても好きでした。そこで初めて、自分の撮りたい写真が分かるようになりました。それからすぐにデジタルカメラを売って、お年玉と合わせてフィルムカメラとフィルムを買いました。登下校、友達、校舎、授業、学校行事、放課後、たくさん写真を撮っていたと思います。私にしか、この写真は撮れないと思っていました。私が大好きなこの写真を嫌いな人がいるわけがない、恥ずかしながら自信満々でしたね。
3年生に進級して、受験勉強が始まると同時に“高校を卒業したら写真をやめよう”と、思うようになりました。撮りたいものがなくなる、というのが理由でした。勉強も大変だったので、少しだけ現実逃避するかのように写真を撮っていました。母からは「くだらんことして~」と怒られたこともありました。撮れば撮るほど卒業が近づいているようで、苦しかった記憶があります。
もうすぐ写真が撮れなくなる…と思っていた矢先、知り合いから「やってみなよ。」と“ポカリスエットの広告カメラマン”を勧められました。応募するとうれしいことに127名の高校生の中から広告カメラマンとして選んでいただき、高校生にして企業の広告を撮影するという大きな経験をすることになりました。当時のエネルギーは凄まじかっただろうな、と少し大人になった今、そう思います。
そして、その撮影のなかでポカリスエットの広告の AD、CDである正親篤さんに「柘植はカメラマンにならないのか?」と聞かれました。それまでカメラマンになる、という発想は全くなかったのですが、私はすぐに「なれるならなりたいな」と言っていました。
でも、そのときすでに看護大学に進学することが決まっていたので、「私には向いていない」と思い込ませることにしました。しかし、大学に進学してからも「カメラマンにならないのか?」という言葉が頭から離れませんでした。高校を卒業したら辞めるつもりだった“写真”が撮りたくて撮りたくて、たまらなかったのです。その気持ちがあまりにも大きくなったので、大学は一年通って退学しました。写真の学校に通ったり、スタジオに就職したり、誰かのアシスタントになるわけでもなく…。今後のことは何も決めずに退学したので、両親にはすごく反対されました。写真家やカメラマンとして食べていけるのは、ほんのひと握りの人間なんだと私もちゃんと分かっていたし、今でも分かっています。ただ、本当に写真が撮りたかったんです。
大学を辞めて少し経った頃、IMA nextというフォトコンテストに挑戦し、“LOVE”というテーマで募集していた回でグランプリをいただきました。受賞したのは、私が高校の時に撮った写真。そのときの審査員だったチャド・ムーア氏から「ミサキの写真、好きだよ」とお褒めの言葉をいただき、とても嬉しかったのと同時にこれからも写真を撮り続けられるんじゃないか、と思いました。
その勢いのまま上京して、写真のお仕事をしてもよかったのですが、20歳の私にはその勇気がありませんでした。写真を撮りたい、と大学を退学する勇気はあっても家を出る勇気はなかったのです。ちょうどその時は2020年、コロナウイルスが猛威を奮い始めたことも大きな要因でした。
三重県という場所を拠点としていても、徐々に写真のお仕事が増えていったのは、やはり高校生の時に撮っていた写真やポカリスエットの写真のおかげかと思います。ポカリスエットの広告を撮ることができたのも、高校生の時に撮っていた写真のおかげ。その後にいただいたいくつものお仕事も、今まで撮ってきた写真のおかげ。全て写真のおかげなんです。カメラを手に取り、シャッターを切っているのは私ですが、一枚の写真が生まれるのは私だけの力ではない、ということを仕事として始めるようになって改めて実感しました。私が写真のお仕事をいただけるのは「写真そのものがもつ力」があるからなんです。写真という存在に本当に感謝しています。
さて、ここまでが写真を始めてから今までの私の話。
自分のことながらあまりにも恵まれた話ですごいな、と思われる方もいるかもしれません。しかし、今までやってこれたのは、運と自信がほとんどです。たくさん失敗もしてきましたし、これからもたくさん失敗すると思います。運はめぐりあわせやタイミングに左右される部分もあるかと思いますが、自信という武器を最大限に生かすためには「自分はできる!」という自信がなければ挑戦はできません。そして、挑戦しなければ失敗もしません。どんなときでも、新しいことに挑戦するということはすごく怖くて勇気がいることだけど、少しでもいいから自信を持ってほしいんです。
そして、わたしと同じように写真を撮っている人に伝えたいのは、写真と向き合うことを恐れないでほしいということ。私も今、写真と向き合うことを恐れているので、事あるごとに自分で自分に「できる!」と言い聞かせています。見えない何かに押し潰されそうになるときもあるけれど、自分が生きている間に一枚でも多く、写真を世の中に出したい。ポカリスエットの広告を撮った時から、ずっと抱き続けている信念がいつも私を救ってくれています。
ただ、私は今のままではダメだということもわかっています。なぜなら、さっきも話したように今までそのほとんどを運と自信に任せてきたから。
私はまだ自分についても、自分の写真についても理解できていないし、自分のスタイルも確立できていません。個展を開催したこともなければ、写真集も出していない。柘植美咲の“作品”と呼べるものがほとんどありません。だから、まだまだたくさん挑戦しなくてはならないし、私は私の写真を諦められないのです。夢はでっかいんです!
“柘植美咲”の写真がこの先どうなっていくのか分からないから、今日も明日も10年後も不安な気がします。ただ、諦めずに数ミリずつでも進もうと思っています。だから、今まさに何かを諦めかけている人も私と一緒にもう少しだけ、挑戦してみませんか。少しだけ勇気を出して踏み出した先で、きっと何かに出会うはずです。