「一枚撮らせてくれないか?」という一言は世界が広がる可能性に満ちた言葉|安井達郎 #写真家放談

PHOTOGRAPHER PROFILE

安井 達郎

PHOTOGRAPHER PROFILE

安井 達郎

モデルとして雑誌広告等に出演する傍ら、映像作家としてnever young beach、indigo la EndなどのMV監督を務める。近年は自身のYouTubeにて日常を切り取ったVlogを発信している。2023年より写真家としての活動をスタートさせる。

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写真を始めたのは18歳の頃。

高校までサッカーに明け暮れていた僕は、ボールを追いかけることに区切りをつけ、大学では何か別の夢中になれることを学びたいと思っていた。

簡単な自己分析の後、映画やドラマが好きだった僕は、映像制作っておもしろいかも!と、ふわっとした感じで京都にある大学の映像学部に入学した。

しかしいざ入学してみると、すでに映画を作っている者や放送部出身、シネフィル、アニメにやたら詳しい者などが多数おり、映像の知識や特技が何一つなかった僕は1年生ながら競争心が芽生えた。

そこで、サークルも少しでも映像に関わりがあるところがいいと考え、写真サークルを選んだ。また、そのサークルを選んだ別の理由として憧れの先輩がいた。

ロン毛をお団子に括って、古着にスキニーパンツを履きこなし、フィルムカメラをぶら下げている先輩は大学内でも異質な存在で、“かっこいい”“この人と知り合いになりたい”とミーハー心が働いた。

サークルには師弟制度があり、新入生にはランダムに師匠という名の上級生が付くのだが、幸運にも憧れの先輩が僕の師匠になった。一見強面だけど彼はとても優しく、一緒にカメラ ――初めてのカメラはニコンFMだった―― を買いに行ったり、フイルムの入れ方、露出、暗室作業についてひと通り教えてくれた。今思うとスタートが恵まれていたからこそ今でも写真が好きで続けられているのかもしれない。2年生になる頃には僕も髪を伸ばし古着を身に纏いカメラをぶら下げて登校するようになった。

大学卒業後、CM制作会社を経て、学生の頃からやっていたモデル業を本格的にスタートさせた。自分がプロのモデルになったことにより、ファッション写真に興味が湧き、モデル仲間をよく撮影させてもらっていた。

また、当時、俳優の永島敏行さんが主宰する八百屋でバイトをしていて、その法人が全国の生産者を招いて定期的にマルシェをおこなっていた。永島さんから何度かそのイベント撮影を頼まれ、お客さんと接する生産者の様子などを記録していった。

自分の撮った写真を喜んでもらい、プロフィール写真や宣材写真に使ってもらえることが嬉しかった。誰かのために撮る写真で得ることができた自己肯定感によって僕はさらに写真が好きになった。

28歳のときに念願叶って海外へ留学した。語学が目的だったけど、あまり勉強はせずよく写真を撮っていた。知らない土地の風景や人々は魅力的で、留学先のバンクーバーからカメラを持って頻繁に旅に出た。語学の先生には「またどこか行くのか?」とよく驚かれた。もちろん留学のために貯めたお金は使い切った。授業を受けるよりカメラを持って写真を撮りに行くことの方が何倍も価値があるような気がしていた。

カリブ海のセントマーチンには着陸する飛行機が頭上ギリギリを通過するマホビーチという有名な場所がある。ネットで検索すると水着姿の観光客と巨大な飛行機が一緒に映った写真が多く出てくる。しかし実際に訪れて楽しかったのは、着陸時より離陸時だった。滑走路に隣接したビーチは離陸する飛行機のジェットエンジンの真後ろに位置する。したがってエンジンの爆風が強烈で、何かに捕まってないと立っていられないほどだった。

飛行機が離陸準備に入るビーチの観光客たちはわざわざ爆風を受けやすい場所に移動する。そしてみんなで爆風を受け飛行機が飛び立つと一斉にビーチが湧き上がる。そんなクレイジーな場所で撮った写真が印象に残っている。

撮影してはバンクーバーのフィルム現像所に通い、現像所のおっちゃんに名前を覚えてもらったり、写真の話をしてると現地の人になれた気がしたりして嬉しかった。

ある日、バンクーバーでイケてるスケーターがいたので、声をかけてポートレートを撮らせてもらった。そこから彼と仲良くなって、彼のアパレルブランドのムービーを撮影させてもらったり、逆に僕がモデルをしたりした。英語でのやりとりがまだまだ未熟だった僕にとって「一枚撮らせてくれないか?」という一言は世界が広がる可能性に満ちた言葉だった。

さて、僕は写真同様に映像を撮ることも好きである。
留学中も映像用のカメラを持っていた。しかしその使用頻度はさほど多くなかった。映像制作は写真に比べて手間が多い。企画やコンセプトを考え、撮影し、編集をする。特にアカデミックに映像を学んでいた僕にとって、映像はこういうものだ、という頭でっかちな部分があったから気軽に撮影するということがあまりなかった。

そんな時、留学の後半にYouTubeでCasey NeistatのVlogに出会い、そのスタンスが大きく変わった。日常を映像で撮影し作品化するVlogは衝撃的で、モデルであり映像制作者でもあった自分にとってピッタリな映像表現方法なのではないかと希望が沸いた。

それからはメインのカメラを映像用のものに持ち替えてVlogを撮るようになった。

Vlogには綿密な脚本が必要なく起こったことを記録する。そういう部分では写真のスナップと似ているが、Vlogは自分が主役だから自撮りが中心になる。

当初はカメラに向かって喋ることに慣れなかったが、始めたのが海外だったのが救いで、日本語で一人カメラに向かって話していてもそこまで恥ずかしくはなかった。もし日本で始めていたら挫折していたかもしれない。

昨年結婚をした。
結婚を機に写真を撮る頻度がかなり増えた。というのも妻も表に出る仕事をしていて、SNSの更新頻度も多い。ライフスタイルの投稿が人気のようで、投稿の素材になったらいいなと、妻の私服や料理、ふとした日常の写真を撮っている。

それもあってか最近ではありがたいことに僕がフォトグラファーとして妻を撮影する仕事もさせていただいている。写真を撮ることが好きな夫と映ることが生業の妻。なかなかいいチームワークかもしれない。夫婦間でも写真を撮るという行為がいいコミュニケーションツールになっている。

というわけで、僕は写真を始めた頃から現在に至るまで、写真を撮り続けている。撮り続けてこられたのは、写真が僕の人生を豊かにしてくれたからに他ならないからだと思う。
写真を通じて、知らない土地へ赴き、人と出会い、コミュニケーションを交わす。たったひとつのカメラが日々を楽しくしてくれる。写真という存在に出会うことができて本当によかった。そして、今後も撮り続けていきたい。

今までもそうだったように好きなことを継続していると思いがけないことが起こる。今回このコラムを書かせていただくことになったのもそう。写真を介した新たなきっかけに感謝し、これからもカメラと共に人生を歩んでいきたい。