【写真家エッセイ】写真を作品にするということ|たしろゆり #写真家放談
PHOTOGRAPHER PROFILE
PHOTOGRAPHER PROFILE
たしろ ゆり
1989年愛知県生まれ。二人の男の子の写真を撮る母。2022年1月、個展「きみはいいこ」をNAGOYA ON READINGにて開催。2022年5月おやまだ文化の森「僕、私が永遠に抱きしめたくなるほど大切な一枚展」、2023年5月にはKYOTOGRPHIE 京都国際国際写真祭サテライトイベントKG+「JAPAN PHOTO AWARD+INTUITION2023」へ参加。
ひっかかりを手繰り寄せる
私の周りにはいつも「ひっかかり」がある。たぶん私だけでなく、みんなにもあると思う。
それは例えば、心の中に潜む感情であったり、想像上の見たことのない世界だったり、気が付かないだけで私たちの生活に当たり前にあるものだったり。
そのひっかかりを、なぜだろうと考えてみたり、よく見てみようと、糸を手繰り寄せ、さらに深く掘っていく。どんなに些細なひっかかりでもいい。
そこから私の作品づくりは始まる。
作品ってなに?
写真にタイトルがつけば、それは一枚であろうが100枚であろうが、作品なのだろう。大きな美術館に展示されているものも、SNSなど画面上でお披露目されるものも。
ただ芸術は、そのものの美しさだけでなく希少性や物語性、歴史や政治、その時代の流行で価値が決まる。Instagramの「いいね」はまさにその例だろう。作品は誰にでも自由であり平等である。
なぜ作るのか。なぜ写真を撮るのか
人に喜んでもらうため? 思い出にしたい?
それもあるけれど少し違う。
私が写真作品を作る理由は、私が見たことのない世界を見てみたいから。私の見たいという欲望の先に、作品(写真)がある。
逆に意識的に目を背けているものに向き合う──見たくないものをあえて見る──時もある。本当に見たくない、というよりは怖いもの見たさで見たいとか、知らないといけないという思いから目を向けることのほうが多い。
自分が見たいもの、向き合うべきものと向き合って作ったものが、誰かの希望になったり、その人の新しいひっかかりになったりしたらおもしろし、やっぱり嬉しい。
作ったものをどうするのか
作品は自由だ!と言ったけれど、では作ったものをどうするか。
もちろん撮った写真をアルバムに貼るもSNSに載せるも自由。
私は本も好きだけど展示空間が大好き。だから自分の作った作品を展示で見たいし、見てもらいたいと思うので、展示に向けて作品を作っている。
展示の好きなところは、大きさに捉われないこと、五感を使って見ることができること、作った人の声が聞けたり、見にくる人の顔が見れること。記憶にしか残らない──つまり形に残らないこと。でも、とてもお金がかかるし、時間もかかるのでそこは痛いところである。
過去の展示といま作っている作品
私には二人の小学生の息子がいる。そこそこ手もかからなくなったものの、いつも頭の8割が息子たちのことで埋まっている。息子たちが大好きだから、心配もするし悩みもする。
だから私のひっかかりは息子関連がとても多い。違うものも撮りたいけれど──それこそ一人旅しながら写真を撮るなんて憧れるけれど──こんな気持ちも今しかないのだろうと、とても大切にしていることでもある。
過去、NAGOYA ON READINGで「きみはいいこ」という作品を展示した。
「きみはいいこ」は私の初めての展示で、とても学びとなったし楽しかった。写真を撮るだけでは見えなかった、見てくれた人の世界もまた垣間見ることができた。
ありふれた日常にひそむ影、表からは見えない心の内側、そうした世界に秘密に対峙したような作品。親のまなざしを感じる人もいれば、子供だったころの自分を見つける人もいて、あたたかいとか怖いとかさまざまな言葉が作品を膨らませてくれました。
(ON READINGオーナー 黒田さんより引用)
現在はそんな息子たちの過去を遡って生まれる前の記憶、胎内記憶についての作品を作っている。展示は2024年7月に東京で行う予定。ぜひお楽しみに。
これから作品を作る人へ
子どもがいるから、時間がないから、お金がないから、自信がないからと、やりたいと思うことを諦める理由はいくらでもあって、私自身も、子どもを言い訳にしてしっぽを巻いて逃げてしまうことがよくある。
だけど私のようなただのお母さんも、ほんの少しの勇気と亀のようにゆっくりな行動力で、見たことのない世界を見せることができると信じているから、重い腰を上げる価値はあると思っている。
まずは、いろいろな展示を見にいくことは本当におすすめ。目の前の見たことのない世界は、心の病む人には救いになり、心の健やかな人には問題提起となると思う。自分自身と向き合うきっかけにもなる。
そして「ひっかかり」を見つけることから、作品にするということは始まるのだ。