水中で撮影することの意味 #写真家放談 |茂野優太
海の色は青い。それは半分正解で半分間違いだ。僕たちは海を想像するときに陸上から見た海を想像する。確かに、陸上から見る海というのは青色をしている。しかし、水面を隔てた海の中を覗き込むと、カラフルなサンゴや生き物たちの多様な色彩に驚かされる。
水面、それを越えた瞬間に僕ら人間にとって未知の世界となる。そんな水の中に溢れる色、見たことない世界を伝えるために僕は水中写真家をしている。
僕たちは海の中でモノを見る時、必ず水のフィルターを通してモノを見ることになる。つまり、同じモノであっても水を挟む距離によって違う色に見えるということだ。青が被ってくるのである。
モノと水が溶け合う瞬間がある。モノと水との境界が曖昧になり、青が滲み出てくるような世界だ。そこには無限のグラデーションがあり、1度たりともとどまることのない刹那的な色がある
この色と色とが滲みあい刹那的に生まれる色を、僕は”夢幻の色”と呼んでいる。
空気に色は付いていないけど、海には色がある。この海のフィルターを通して作る夢幻の色の美しさを表現することこそ、水中で撮影することの楽しさだと思う。
水中では僕ら人間はいつも小さい。
思うように体を動かすことも出来ないし、タンクの中の限られた空気でしか呼吸することができない。僕らは水中で、いつも弱者だ。
まさに大自然と相対している気分になる。しかも、その大自然が遠く人里離れたところではなく、水面を隔てた瞬間に始まる。すぐ身近な海でも感じることができるのだ。そんな極限の状態での撮影では常に自然に対して真摯になるし、逆らえないことがわかる。僕ら人間ができることは、本当に少ない。
だからこそ水中撮影は面白い。自然は常に僕たちの想像を越えてくるのだ。僕らは自然が微笑んでくれたときに、ほんの少しのエゴを出して自分の作品を作る。
僕らが住む日本という国は特殊な地理環境にあり、豊かな自然環境を持っている。
四季があり、春夏秋冬によって全く異なる景色を見せてくれること。そして、南北に長い日本列島において、北は流氷のやってくる氷点下の世界から、南はサンゴ礁豊かな南の島まで幅広い環境があること。サンゴ礁と流氷が同じ国で見ることができる国は、世界中見ても日本だけだろう。
流氷が見られるのは北海道のオホーツク海、知床半島のウトロというエリアの海だ。
この巨大な氷の塊はロシアのアムール川の淡水が凍り、それが海に流れ出て季節風に運ばれて遥々日本までやってくるのだ。写真の中央、黄色の部分は栄養豊富なアムール川の氷が溶け、そこに植物性プランクトンが群がり発生することでできている。
流氷の下での潜水は、気温マイナス20度、水温マイナス1.6度と非常に過酷な環境だ。水分を含むものは一瞬で凍りつき、僕らの体温を一瞬で奪い去る。さらには流氷で頭上が閉鎖された空間では水面に浮上をすることができず、特殊なトレーニングが必要となる。
撮影時にはカメラのシャッターボタンが凍りつくなどの機材トラブル、猛吹雪での撮影の中断など、とにかく一筋縄ではいかない環境だった。
そんな過酷な環境もあれば、逆に同じ日本でも沖縄県の慶良間諸島のように、キラキラとした美しい海にサンゴ、そして白い砂と、まさに天国を連想させるような美しい光景が広がった撮影地もある。
日本の海の振り幅の広さには、本当にいつも驚かされる。
環境だけではなく、生物という点で見ても日本の海は面白い。大型哺乳類でいうと、日本の近海には約40種類の鯨類が生息してる。毎年冬の時期になると、ザトウクジラが繁殖・子育てのためにシベリアや北極圏から日本の海にやってくるのだ。
普段生活していると、自分より大きな野生生物と接することはまずない。日常ではあり得ないことが水中では起こりうる。水中で見るクジラは畏敬の念を覚えるほどに神々しい。
もちろん大きな生物だけじゃなく、小さな生き物たちも日本の海には多く住んでいる。黒潮といった暖流、親潮といった寒流、その2つが入り混じる生物の交差点のような場所が日本には存在する。世界で見ることができる魚類の約15%以上の3900種が日本の海で観察されているのだ。
それほど豊かで、変化に富む環境が日本の海だということだ。
そんな日本の海の豊かな色をテーマに切り取りたい。
日本の海の豊かさというと、海産物や漁業などの「食」で語られることが多い。普段の生活で海の中を見る機会はほとんどないだろうから、多くの人が日本の海の美しさ、多様性を知らないのも当然だと思う。だからこそ、僕は日本の海の美しさを届けたい。そして、それがこの海を守るキッカケになるかもしれないと考えている。
いま、日本の海を含む世界の海は危機に瀕している。海洋プラスチックの問題はもちろん、平均水温の上昇が顕著だ。海水温というのは非常に繊細で平均水温がたった1℃変化するだけで水中の環境は全く違うものになってしまう。
海の中の世界というのは、見ようとしなければ見えない。見えないものを守ろうと思うことは難しい。僕の写真を通して少しでも海の美しさ、その楽しさを知ってくれたら嬉しい。