扉から扉へ #写真家放談 |西山勲

横殴りの湿った雪が、深緑色の鉄の扉のほとんどを覆っていたので、僕は表札の部分の雪を払い落としてその名前を確認する。呼び鈴を押してみたけれど、壊れているのかカタカタとプラスチックが虚しく擦れる音がするだけ。僕は手袋を外して凍りついたように冷たい扉をコンコンとノックする。力加減が気になって、もう一度、強く叩く。扉の向こうで話し声がする。約束の時間より10分ほど早く訪れた来客に、少し慌てた様子が伝わってくる。なんだか申し訳ない気持ちになって、被っていたニット帽を脱いで髪を整えたりしていると、ギギっと鈍い音を立てて扉が開いた。部屋の中の温かい空気と白熱灯の黄色い灯り、そして紙をくしゃっと丸めたような人懐っこい笑顔。握手と、抱擁と、頬へのキス。その熱波のようなもてなしに、僕の全身のこわばりは瞬時に溶ける。

西山勲さんの作品

街から街へ、時々国をまたぎ、大陸を越え、さまざまな扉を叩いた。それが僕にとっての旅だった。その扉の向こうには、いつも強烈な個性を持つ人物が僕を待っていてくれた。皆それぞれに、聞くべき言葉を持っていて、写真を撮りたいという欲望を掻き立てる輝きを全身から放っていた。それぞれに、生涯をかけて探究するに値する題材を抱えていて、彼らは世界の動向を静かに眺め、あるいは遮断し、大なり小なり彼らだけの神聖な空間に身を沈めるようにして、途方もない時を重ねていた。

西山勲さんの作品

ニースの浜辺に敷き詰められた白い玉石の秘密、マラケシュのゴミ捨て場で見つけた一冊の詩集、火事で何もかも灰になったポートランドのスタジオ、アザやほくろを繋ぐことで立ち上がる星座のタトゥー、身体や指先の動きで自分だけに語りかけるわずか16秒の詩、紡ぐ嵐に見舞われ漂流した末に命からがら辿り着いたシフノス島の美しさ。彼らの話す、彼ら自身の物語。彼らは異邦の人である僕に、ゆっくりと丁寧に語りかけた。それは、なんだか大切な友人に対する打ち明け話のようでもあって、嬉しかった。聞き取れない発音や、知らない単語、難しい言い回しがあれば聞き直した。できることなら一言も聞きこぼしたくないと粘った。それほどに彼らの話は愉快で、悲惨で、壮大で。取り立てて語ることのない自分のことがちっぽけに感じることはあったけど、どうでもよかった。彼らの話は世界の広さを教えてくれた。その度、僕は軽快な気分になり、生きることの自由を感じた。

西山勲さんの作品

酒臭い暖房の効きすぎた寝台列車で、埃舞う荒涼とした大地を進む長距離バスで、窮屈な飛行機の座席で、僕はこれから出会う人物を思った。過去のインタビューや作品の批評があれば訳して読んだ。扉から扉へ。移動距離が長ければ長いほど、思いは募り、リサーチは深まった。彼らの住む街に到着すると、初めて訪れる土地なのにどこか懐かしい、親密な感じがした。宿に荷物を置いて身軽になると、僕はカメラを持って当てずっぽうに街を歩いた。まるで自分がそこで生まれ育ったかような気分で。道ゆく人に声をかける。まるで近所の顔見知りにいつもの挨拶をするように。そんなふうにして、僕は知らない街をカメラを持ってゆうゆうと歩いた。歩いて話す。恐れることは何もなくて、ただただ街との同化を試みる。それは、その街で暮らす彼らを訪ねるための密やかな儀式のようなものでもあった。

西山勲さんの作品

サンフランシスコの倉庫を改築した巨大なスタジオ、コルシカ島の朽ちた教会、バンコクの青い外壁のシェアハウス、ブカレストの旧ソ連式の集合住宅の一室、地中海に浮かぶ小型ボートの船室。それがどんな境遇だったとしても、ひとたびアトリエに足を踏み入れると、そこは芸術家たちが創造と向き合う神聖な場所だと理解できた。床に蓄積した絵の具の痕跡、天井まで積み重ねられた印画紙の箱、儀式のために生涯を通して集められた物たち、壁に付着した顔料のほとばしりが、濃密な創造の営みを記憶しているようだった。

西山勲さんの作品

そのような空間に身を置き、創作をはじめた彼らの傍に立ちカメラを構えると、あれこれと思いを巡らせて用意してきた質問や、写真の構成のイメージなどは、頭からパッと消滅してしまう。何にも考えられなくなって、僕ができることといえば、無心にシャッターを切るだけとなる。大きなシャッター音は、彼らの創作に何かしらの影響を与えてしまいそうで、痛みに似た感情的な苦痛を伴った。だけど、同時にまだ形容できる言葉すら持たない、なにかとても美しいものが生みだされようとするその瞬間に立ち会う恍惚は何ものにも変え難いものだった。僕は、カメラを盾に自分のエゴに気づかないフリをして、その神聖な空間を味わい尽くすようにまた、シャッターボタンに指を置く。

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A地点からB地点へ、さらにはその先のC地点へと移動をし、またA地点へ戻っていく。シンプルなその行いに、どうして人は魅了され続けるのだろう。その理由を、移動を制限された期間に何度も思った。「朝起きて朝食をとり、支度をしてアトリエの椅子に座り、キャンバスと向き合った時に、自分が今日どんな作品を生み出すのだろうかと考えると、恐ろしいような気持ちになる。」スペイン・アコルーニャで会った画家が話してくれた言葉を思い出す。アーティストは自身の内側から創造を生み出すのではなく、芸術に接触(コンタクト)するのだと聞いたことがある。きっと彼女は、自分にもわからない未知の領域にタッチする喜びを知っているのだと思う。少し乱暴な言い方だけれど、人が旅を決意するとき、同じような気持ちを持つのではないだろうか。“わからないことはおもしろい”。それは旅を愛する理由として、そしてそろそろ旅を再開する理由として、十分説得力があると僕は思う。

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