忘れられない猫達 #写真家放談 |山本 正義
PHOTOGRAPHER PROFILE
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山本 正義
写真家。主に瀬戸内海の島で撮影している。インスタグラムに投稿している島猫の写真が人気となり。各局のテレビで紹介される。2019年に初の写真集「立ち猫」(ナツメ社)を出版。二本足で立つ猫「立ち猫®」や迫ってくる猫「ずんずんずん」シリーズなどがユニークでかわいいと好評。その後もイギリスのTIMES紙に立ち猫の写真が掲載されるなど、SNS、テレビ、雑誌、カレンダーと活動の幅を広げつつ、猫の写真を撮り続けている。
私のこれまでの人生で、寂しい時や苦しい時に、友達として、あるいは師匠として(?)猫が助けになってくれたような気がしています。
それが、私がよく周りの人に話す「猫のおかげ」です。振り返ってみると、何匹も印象的な猫がいました。
バイクで待つ猫
20年ほど前でしょうか。当時住んでいた家の前のバイク置き場に猫がいました。私は当時集合住宅に住んでおり、一階の階段脇に各戸のポストがまとめて設置されていて、そのポストから見える位置にバイク置き場がありました。
ふと見ると、わたしのバイクのシートにぺったり猫肉球の足跡がついていました。その猫は、わたしを見るなり、「なんだよー、あんたがこのバイクとやらの持ち主?うちには関係ない」と言わんばかりの顔をしていました。
当時、街中や友人の家などで猫を見かけたりしていましたが、幼稚園の時に黒猫に噛まれて以来、猫のことがあまり好きではなかったように思います。若干、猫恐怖症ですらあったかもしれません。その日はバイクを置いて外出し、帰宅すると、わたしのバイクにずうずうしくも猫が乗っていたのでした。
その後も度々その猫を見かけることがありましたが、ある日、何げなく、郵便ポストから郵便物をとろうとした時、その猫が、「にゃーん」という、甘えた声で近寄ってきて、身体をすり寄せて来たのでした。なんだか、最初はびっくりしたのを覚えています。
それからというもの、その猫は、わたしを見るなり「にゃーん」と高い声を上げてわたしに、身体すり寄せて来るようになりました。
今思えば、当時わたしは猫に対する知識があまりに乏しくて、猫の「ぐるぐる」という音も、喜んでいる時に出すんだということを知らず、えっ、「この子もしかして、寒いからぐるぐる震えて、病気じゃないの?」と心配になり、膝の上に載せて長い時間見守っていたこともあります。
その猫はその後、毎日のようにバイクの上に座っていましたが、ある日、姿が見えなくなりました。しばらくは気になって、家の前にあるシャッター付車庫の中から猫の鳴き声が聞こえた時には、例の猫が閉じ込められているのかもと思い、急いでシャッターを開けたのですが、全く別の猫が「ニャー」っと鳴きながら飛び出してきただけで、がっくりしました。
ルーティンのように帰宅を待っている猫がいたのに、と私は多少寂しく感じていたと思います。最初は全く興味の無かったその猫に対して、そんな気持ちになったのも不思議でした。
その何日か後のことです。私が通りかかると、例のバイクの上に居た猫がシャッターから飛び出してきた猫と一緒に現れたかと思うと、私の足の周りをちょうど三周回って走り去って行きました。
その後、もうその猫たちを見かけることはありませんでした。連れ合いができたと私に挨拶しにきてくれたのでしょうか? 何人かの友人にこの話をしたことがありますが、「ありえない、猫がそんなことをする訳がない」と、取り合ってもらえませんでした。今でもあれはなんだったのだろうと不思議に思う猫との思い出です。
瀬戸内海の島で出会ったしまちゃん
猫写真を撮影するようになってしばらく経った頃、一週間肉体労働をした後、金曜日の夜にそのまま夜行バスに乗り、瀬戸内海の島に通って猫の撮影をしていました。時には、金曜日の夜に瀬戸内海に向かい、月曜日の早朝に帰宅し、朝7時30分に会社に出社するようなこともありました。
早朝の船で向かうと、40匹ぐらいの猫が浜に集まっていました。その中でもシマ模様の茶の雄猫、通称しまちゃんが特に私のお気に入りでした。
しまちゃんは、とにかく、マイペースで人懐っこく、絶対爪をたてたりしない優しい子。ふと気づくと足元にいたり、お腹を見せて甘えてきたり、そういう控え目なところも好きでした。
私はしまちゃんと遊ぶのが大好きで、遊びながら撮影をしていました。
しまちゃんがジャンプした写真がインスタグラムジャパンで紹介されたりしましたし、また、しまちゃんがお気に入りの猫を連れて私に会いに来てくれた時には、晴天の青空を背景に、嬉しそうにその子にキスをしている写真を撮ることができましたが、その写真があるコンテストに入選したこともありました。
2017年以来、しまちゃんは姿が見えなくなりました。島中を探し回ったりもしましたが、結局会えませんでした。しまちゃんにもう会えないのを、私は今でも本当に寂しく思います。
優しくて賢い太郎
職場がどうしても合わず、そこでの人間関係に疲れ切っていた頃のことです。知り合いのおばさんに、「気分が沈むんだったら猫にでも会っておいで」と言われ、その日私は休暇を取って近所の野良猫がいる川沿いのスポットに何も考えずに遊びに行きました。
すると、甲高い声で「ニャー」と聞こえたのです。えっ、幻聴かなと思い、疲れているのかなと思っていたら、子猫がこちらを見ているのに気づきました。私は元々その地域の猫とは仲良くしていて、その子猫を見て、体の模様から何となくあの猫の子かなという予想はつきました。
その子猫は私のことをとても警戒している様子だったので、私も「ニャー」と鳴き返してその日は一旦帰ることにしました。
私はその子猫が気になって、次の日も会いに行きました。前の日にはあんなに警戒していたのに、猫じゃらしで誘うとすぐに遊び始め、一気に距離が縮まりました。それからしばらく、毎日会いに行っていましたが、ある日、その子猫が私が斜めがけにしていたバッグの中に自分から入ってきて、「連れて帰って」とでも言いたげにこちらをじっと見ているのでした。
結局、私はその子猫を連れて帰りました。当時も今も、私は岡本太郎さんに傾倒しているので、太郎と名付けました。そして、しばらく一緒に暮らしていたのですが、太郎は優しくてとても賢い猫でした。私と遊んでいるときにも爪を立てたことは一度もありませんし、ある時など排泄した糞を新聞紙を自分で四つ折り(!)にした中に始末したりしていました。
太郎はその後、知り合いの沢山猫のいるお家に貰われていきましたが、病気の猫に寄り添ってあげたり、子猫と遊んであげたり、優しくて賢いのは相変わらずだそうです。私も時々会いに行きます。現在太郎も大人になりましたが、今でも知り合いのお家で元気に暮らしています。