レテに浮んで |熊谷直子 #写真家放談
PROFILE
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熊谷 直子
20歳でパリへ渡り写真・芸術を学ぶ。雑誌や広告の撮影をしていくうちに自分の写真とかけ離れていくような気持ちになり、撮りためていた写真を発表しなくてはと2008年に初の個展「anemone」開催し同名写真集も出版。
それ以来仕事の撮影と並行して作品を撮り続け個展を重ねる。2024年2月に新作写真集「レテに浮かんで」をTISSUE PAPERSより発売予定。著書に「anemone」「赤い河」、「月刊 二階堂ふみ」、「杉咲花ファースト写真集 ユートピア」などがある。
忘れることの大切さ。
いま制作中の写真集「レテに浮かんで」。このタイトルを提案された時、編集者の意図が最初は分からなかった。
レテとはギリシャ神話に登場する冥界の川のことで、その水を飲んだものはそれまでのことを完璧に忘却してしまうのだという。私は忘れたくないから写真を撮っていると思っていた。だから「忘れる」ことと写真が私の中ですぐには繋がらなかった。
先日15年住んだ家を引っ越すにあたり、独立して以来はじめて写真の整理をした。
コンタクトシートやプリントを一枚ずつ確認し、手放してもいいものはもう手放そうと決めて作業しはじめたのだけど、案の定なかなか作業が進まず、色んなことに想いを馳せ、嬉しくなったり、悲しくなったり……さまざまな記憶が蘇ってきた。
とくにコロナ禍で会えなくなっていた母とモニターで面会した時のことや、大切な友達の最後の笑顔。写真を見返すと心の奥底にしまっていた感情が溢れてきて涙がとまらなくなった。
私自身、自分の撮った写真に関しては覚えている方で、いつ何処でどんなシチュエーションで、どんな気持ちで撮ったかまで覚えていたりする。
けど、時々本当に思い出せない写真が数枚出てくる。自分のテイストではあるし、前後の繋がりから見ても私の写真で間違いはないのだけど、どうしても思い出せない。
遥か忘却の彼方に追いやってしまった美しい瞬間。
もしかして自分が撮った写真ではなかったとしたら……と想像することもまた楽しい。けれどやはり思い出せないことはモヤモヤして「あぁ、思い出せない思い出せない……迷宮入り」なんて思っていたら、翌朝目覚めた時にあっさり思い出すこともある。
「写真」にはその人自身の考えていることや感じていることがとても反映されると思っている。
言い換えるなら「写真とはその人そのものである」と。だから忘れてしまった写真を見て、想いを馳せることも時には必要なのかもししれない。
覚えていなくても想い出は私の一部となっていて、そのあと撮っていく写真に大きく影響しているのだと思うし、時折こうして思い出すことによって、その記憶はより色彩豊かに、はっきりとした輪郭をともなって浮かび上がってくる。
無事引越しも終え、すぐに久しぶりのパリへ旅立ち、留学していた時のことを思い出した。
昔住んでいたアパート、バゲットを買っていたパン屋、家の裏にあった八百屋……
あれ?
地下鉄の駅名だったり、習慣だったり、思っていたよりも沢山のことを忘れていることに気付き「私、色んなこと忘れてるやん!」って笑いさえも込み上げてきた。
忘れてしまっていたあの頃の思い出に浸りながら、まるで自分がそこにいるかのような錯覚さえ覚えるのだから、思い出すという行為のために忘れるのではないか。
そんな経験から、人間に与えられた「忘れる」という機能は、とても素晴らしいのではないかと思うようになってきた。
レテの川。その水を飲んだものは、すべてを忘れてしまうという。私たちは生まれたときから忘却を宿命づけられて、この生を流れているのかもしれないと、引越しとパリでの経験から思うようになってきた。
全てを覚えていたら忙しすぎて前に進めないだろうから、嬉しいことも悲しいことも同じように忘れて、そして身体の奥底から時々思い起こして。「いつかすっかり忘れてしまう」ことは時に必要な行為なのだろうなと。
私は子供の頃から一見すると退屈に感じてしまうほんの些細な日常に目を向け、美しい瞬間を逃すまいと目を凝らし、忘れたくないから写真を撮り続けて来た。
そして、これからは「忘れてもいいよ」という気持ちも込めてシャッターを切っていきたいと思う。
▶︎Info
2024年2月に新作写真集「レテに浮かんで」をTISSUE PAPERSより発売予定。