極寒の地球 #写真家放談|高砂淳二

Junji Takasago

高砂淳二(たかさご・じゅんじ)

自然写真家。1962年、宮城県石巻市生まれ。熱帯から極地まで世界中の国々を訪れ、地球全体をフィールドに撮影活動を行っている。「PLANET OF WATER」「Dear Earth」「night rainbow」「夜の虹の向こうへ」「光と虹と神話」ほか著書多数。テレビやラジオ、雑誌等メディアや講演会などで、自然のことなどを幅広く伝え続けている。自然写真の世界最高峰といわれる「Wildlife photographer of the year 2022」“自然芸術性”部門で最優秀賞を受賞。

HP:http://junjitakasago.com/
Instagram:@junjitakasago /facebook:JunjiTakasago


37年前にプロとして写真を始めた時には、メインは水中写真だった。海のそばで生まれ育ち、海が大好きだったことから、毎日海に潜って好きな写真を撮って暮らしていけたらどんなに楽しいことだろう、という想いから始めた仕事だった。

やがて、海の生き物や海辺の風景、そして自然全体に好奇心が広がっていき、その全体の繋がりへと興味が変化していった。そんな流れから、南の島々での撮影が中心だったものが、撮影の舞台は極地を含む地球そのものへと変化していった。

今は、地球全体を被写体と捉えているとの同時に、宇宙の中の地球、という視点も芽生えている。これまで長年に渡って地球を駆けずり回り、時差を超え、緯度をまたぎ、大陸間を数日の間に移動しているうちに、”地球はあまり大きくない球”である、ということを実感してきたからだ。そしていろんな場所で、太陽や月や星々が刻々と位置を変える中で夜通し撮影をしているうちに、地球を取り巻く天体の位置関係が、何となく立体的に感じられるようになってきたのだ。

Junji Takasago
美しい形のキルキュフェットル山。夜間でも上昇気流が発生するのか、山の上に小さな雲がポツンととどまっていた。
グルンダルフィヨルズル・アイスランド
氷河の下に入り込むと、そこはまるで海底のように、氷を通ったブルーの光で満たされていた。氷はおそらく何千年も前の氷。
ヴァトナヨークル・アイスランド

冬の風景写真とも、そんな流れの中で必然的に接点が生まれた。冬の風景を撮るというよりは、地球のもつひとつの表情として、雪や氷のある世界や、澄んだ空気の中で見る夜空やオーロラ、そしてそこに棲む生き物などを、自分の目で見て、感じ、自分なりに写真で表現するというスタイルで向き合っている。

僕が冬の風景のなかで一番好きな要素は、“静けさ”である。極寒の大地では、雪や氷が大地を覆い、微生物をはじめ、うごめく大地が発するすべての音波を被い尽くし、静寂な世界を作り上げている。もちろん小動物が雪の中で細々と活動を続けていたり、植物が雪解けに向けて準備を進めていたりはするけれど、四季のサイクルの中で、“冬”は陰と陽の“陰”、動と静の“静”であり、太陽の影響よりも月の影響を受ける時期でもある。生命活動の鎮まる季節であるだけに、その静寂さや闇の時間帯を味わうにはもってこいの季節なのだ。

パキーンと冷たい空気が張りつめた冬の空は、透明感があり、混じりけがなく、静謐できっぱりしている。大地には氷雪以外のものはほぼ見えず、ひたすらその空気感や、煌めく星々、オーロラの揺らめきに集中することができる。だれもいない真っ暗な氷雪の上でただただ宇宙に耳を澄ませ、遠くからやっと届いた微かな光を、大事に大事に、まるでピンセットで丁寧につまんではカメラの中に置いていくように撮影していく。この、寒いけれど内側がじっくりと熱くなるような感覚はたまらない。

地平線の上に明るいオーロラが出現した。明るさがさらに増すにつれ、下側に赤や黄の帯が、珍しいほど鮮明に現れた。
ホワイトホース・カナダ
Junji Takasago
海に出た後、また海岸に打ち上げられた氷河。太古の氷と太古の星の光だ。空には天の川と一緒に、オーロラの色が滲んでいる。
ヨークルサルロン・アイスランド

水中写真から始まり陸上へと撮影対象が変わってきた中で、常にそこにあり続けてきたのは“水”だ。僕はプロになって間もないころ、モルディブの海に海パン一丁で浮かんでいたとき、海と自分の体の境界が曖昧になるような、水と同化するような感覚を味わったことがある。それをきっかけに、人間やほかの生物の体のほとんどは水でできていること、生物の中の水は入れ替わりながら地球上を循環していることなどを実感することになった。それ以来、水の循環も、常に意識して撮影を続けている。

水は、蒸発して気体になり、雲を作り、雨となって地上に戻り、土中や動植物の中を通り抜けて海に還っていく。寒い地方では水分は雪や氷となり、場所によっては何千メートルもの厚さにまで折り重なり、少しずつ少しずつ、陸地から滑り降りるようにして海に還っていく。そんな氷は何千年も前の気泡などを含んでいて、まるでタイムカプセルのような面ももっている。夜空に瞬く、何万年も前に放たれた星々の光とともに、海岸に押し戻されたそんな太古の氷河の欠片を見ていると、自分の人生の短さや、宇宙の無限さなどに、つい想いを馳せてしまったりする。

Junji Takasago
海を埋め尽くすほどの流氷。地球温暖化の影響で、年々氷が少なくなっている。陸や海中の天敵から子を守るため、母アザラシたちはこの上で出産・子育てを行う。セントローレンス湾・カナダ

カメラという機械は、僕にとっては人生の道しるべのようなものだと思っている。何かに興味をもって撮影していると、そのうちにそのことに関連する次なる興味が現れてそれを撮影することになる。またやがてそのことに関連する次なる興味が出現し、そのことを深堀りしながら撮影していく。気づいてみると、以前に興味をもっていたことと関連付いてきて、さらに面白いことに発展することになったり…、という具合だ。

極寒の世界の撮影をするようになって何年か経ったころ、世の中では地球温暖化が叫ばれるようになっていた。確かに地球は変化してきてしまっていると僕も思い始めていたころで、南国のサンゴの死滅とともに、氷雪に覆われた地域では特に変化が大きいことを感じていた。氷の存在だけでなく、氷の存在に頼って永いこと生き続けてきた生き物たちの生存が危うくなる、という問題も重大だ。僕の仕事は、図らずも目撃者、あるいは伝達者として、見て感じたことを報告することにも繋がってきている。

もしかしたら、このまま氷がどんどん減っていくのかもしれないし、一転して氷河期に向かい始めるのかもしれない。どんなふうに地球や人が変化していくにせよ、これから先も、カメラが道しるべとなって僕を先導してくれるものと思う。その時どんな風景にカメラを向けているか、僕にも皆目分からないが。

Junji Takasago
南極海に浮かぶ巨大な氷河。比べるものがなくて分かりにくいが、横幅は300メートルはあるだろう。水面下にはこの9倍ほどの大きさの氷が隠れている。長い年月をかけてゆっくり溶けていく。南極海
Junji Takasago
オーロラは、思ったよりも動きが早く、みるみる形を変えていく。天頂部分に昇りつめたオーロラが、一瞬龍の形を描いたように見えた。ホワイトホース・カナダ