シャッターを切る瞬間 #写真家放談 |岩倉しおり
写真を生業としている方であれば誰しも一度は、なぜ写真を撮るのか、について考えたことがあるのではないでしょうか。私もふと、考えることがあります。しかし、どれだけ考えても最後にはよく分からなくなるのです。なぜなら私は、自分自身のために写真を撮っているから。
私の場合「写真を撮る」という行為の前に「表現したい」という気持ちがあります。子どものころから、物を作ったり、絵を描いたりすることが好きでした。明確に何かを生み出したいというよりは、自分の目で見たものを、自分が美しいと思う形で表現したいという欲求に近かったと思います。
一眼レフを持つようになったきっかけは、高校生の頃に友人に誘われて入った写真部です。とはいえ、本格的に写真を撮り始める前から、私にとって写真を撮ることは自然な行為で、日常的に携帯のカメラで写真を撮っていました。学校からの帰り道を照らす夕焼けや、まぶしく光る空や海の青。写真を撮り続けるうちに、子どものころから抱いていた「表現したい」という欲求は、カメラを通してできるのではないかと思うようになりました。
写真を撮る上で重要なのは、「美しい」という感覚を自分の中で研ぎ澄ませることだと考えています。現在は香川に住んでいて、よくドライブをするのですが、車の中からも常にアンテナを張っています。「あそこに桜の木があるから、春が楽しみだな」とか「この時間にこの場所で雨が降ったら、幻想的な景色になりそうだ」とか。忘れないようにグーグルマップのピンを立てて、メモをしたりもしています。自分の中にある「美しい」という感覚がイメージを膨らませていくことで、目の前にある景色を、より自分らしく表現することができるのではないかと思うのです。
そのためには、写真以外の表現に触れることも必要です。私が特に影響を受けるのは映画で、岩井俊二監督の映画作品を鑑賞したときは、とても影響を受けました。光の入れ方や、空間の切り取り方がとても気持ちよくて、空間をうまく使えるようになりたいと思うようになったきっかけです。その他にも絵や、音楽やアニメなど、さまざまな表現を自分の中に取り込みながら、自分らしい表現を探し続けています。
私の写真を見た方から「懐かしい」という感想をいただくことがよくあります。見たことがないはずの景色に対して、そのような感情が溢れるのは五感が関係しているからではないでしょうか。温度や、湿度、空気感、匂いなどの感覚が呼び起こされ、記憶と繋がっていく。光の角度や全体の色味バランスを考えることで、目に見えるもの以外の要素も写真で表現することを意識しています。
モデルさんの顔を隠している写真が多いことも、理由のひとつかもしれません。そこに明確な理由や意図があるわけではなく、自然とそういう写真が多くなっていきました。たぶん、私がそういう写真が好きなのだと思います。顔が隠れていると、自分や大切な人に置き換えて見ることができるから。たとえ人物が入っている写真だとしても、景色に溶け込ませるようなイメージで撮影しています。
とはいえ、思い出として写真を撮ることも好きなので、顔が隠れた写真ばかりを撮っているわけではありません。撮影時に意識していることを聞かれることもあるのですが、答えはとてもシンプルで「楽しむ」ことです。そもそもモデルとカメラマン、として関係性を捉えることがあまり好きではなく、一緒に感動を共有する仲間だと思っています。「楽しい」の延長線上にある写真は、自然と自分らしい写真になっていきます。景色を撮影しに行くとしても、仲間と一緒に行くことが多いのは楽しむためです。
いつも見ている景色に、季節や天候や光、ときには人物など、さまざまな条件が加わって美しく見える瞬間に心が惹かれます。時間帯が違うだけで、光の入り方が違うだけで、こんなにも美しい場所が近くにあったのかと感動する。シンプルなことですが、これはカメラを持つまでは気づかなかったことだと思います。今まで見えなかったものが見えるようになって、外へ出かけることが楽しくなりました。
美しい光景を見たら、心が救われるような気持ちになります。この世界に、そしてこんな身近に「美しい」が広がっていることは幸せなことだと。冒頭に「自分のために写真を撮っている」と書いたのは、そういう理由からです。
今では多くの人に私の写真が届くようになり、もしも私の写真で同じように救われる人がいるのであれば、とても嬉しいことだと思っています。だけど根底にある動機は変わらないので、本当に心が満たされたときには写真を撮らなくなってしまうのかもしれないな、と考えることもあります。それでもやっぱり、シャッターを切りたくなる瞬間がこの世界に存在する限り、私は写真を撮り続けるのだと思います。
編集:竹本 萌瑛子