切手サイズのモノクロ写真から #写真家放談|伊藤徹也

伊藤徹也(いとう・てつや)

東京都出身。日大藝術学部写真学科卒業後フリーランスフォトグラファーに。エディトリアルを中心に活動し、ポートレート、ランドスケープ、建築、インテリア、フードなどジャンルを問わず撮影。2014年に写真展「NORTH,SOUTH,EAST and WEST」を開催。

Instagram:@ito_tetsuya


写真との関係を振り返ってみると、自らの意志というよりも周りの方々に導かれて今ここにいるんだなぁ、と改めて感じます。媒体、ジャンルを問わず、本当に色々なものを撮影させていただきましたし、飽きっぽい性格なので、対象を一つに絞っていたらとっくに写真はやっていなかったかもしれません。

伊藤さんは何を撮る時が一番楽しいですか?実はその質問をされると本当に悩んでしまいます。旅、人、料理、建築、インテリア等々、どれも違う楽しさがありますし難しさや新たな発見もあります。コロナ以前は圧倒的に旅の仕事が多く、年の半分以上は家にいない生活が何年も続いていました。コロナ禍で移動が制限されると旅に代わって料理の撮影が飛躍的に増え、その週の撮影全てが料理だったということも珍しくなくなりました。自分の肩書は日本語では写真家ではなくカメラマンだと思っています。定義は人それぞれ違うでしょうが、クライアントさんからの要望やテーマを咀嚼して表現することに特に楽しさを感じるからです。

マガジンハウスの雑誌『BRUTUS』とはもう四半世紀以上のお付き合いになります。特に同社の『&Premium』の現編集長をされている芝崎さん、同じく『BRUTUS』現編集長の田島さんが現場に出ていた頃は、特集毎に様々な課題、テーマを与えられ相当鍛えられました。撮影のための打ち合わせはしますが、あくまでそれは方向性の確認作業のみ。実際の現場では想定外の連続なので決め込んでも全く意味がないからです。

「テツヤさんは条件の悪い所でもきっちり撮ってくるよね。」そんな声が聞こえてくることが多くなりました。暗い、狭い、時間がなければまずテツヤさんに連絡してみようか、そうやってどんどん条件が悪い現場が増えてきました(笑)。自分にはそのような瞬発力勝負の現場が刺激的で楽しく、向いていたのでしょう。

写真との出会いは大学生でした。日大の付属高校に通っていた僕は何とかギリギリ推薦で大学に行ける程度の成績でした。楽してそのまま上がろうと、数ある学部の中で輝いて見え、響きも良かった芸術学部、俗に言う『日藝』にギリギリ合格、カメラも持っていなかった僕が通うことになりました。

大学は想像していた以上に退屈だと気付いたのが入学して間もない5月頃。高校の先輩に誘われアルバイトを始めたのがマガジンハウスとの出会いでした。世間はバブル絶頂期、見渡せば潤沢な資金で作られた広告は町を埋め尽くし、雑誌は飛ぶように売れていました。僕が所属していた編集部は女性誌初のSEX特集の企画や表紙に大相撲の貴花田を起用したり、とにかく斬新で勢いがあり、編集者の方々も個性派揃いで面白い人ばかり。毎日が新鮮で早朝から深夜までくたくたになるまで働いていました。週刊誌なので毎号テーマがガラリと変わります。ありとあらゆる現場を見ることができました。ときには簡単な物撮りをこっそり撮らせてもらうこともありました。学校よりもバイト優先、授業より現場、そんな毎日を過ごし何とかギリギリ卒業できたのでした。

気がつけば卒業前にバブルは弾けていましたが、自分の生活には何も影響がありませんでした。就活ではバイト先であるマガジンハウス1社しか受けていなかった僕は見事フリーターになり、大学の友人達といえば半数以上は写真以外の道に進んでいました。卒業してから2年後のある日、ドタキャンしたカメラマンの代わりを探しているんだけど伊藤くん暇?と声をかけられました。切手サイズの大きさで掲載されるモノクロ写真。ある日突然カメラマンデビューが決まりました。

学生の頃からモードの世界に惹かれ、ファッションフォトグラファーを目指していましたが、色々な方にブックを見ていただいても反応はいま一つ。今考えれば至極当然なのですが、特別服が好きでもない人間が撮れるほど甘い世界ではなく、その服の背景や時代性も考ず単に海外の有名写真家に憧れ、確固たる信念もない人間がシャッターを押しても心を揺らす写真になるわけではないことに気づかずにずっともがいていました。

撮りたいファッションの世界ではありませんでしたが、暇そうにしていた僕に声をかけてくれる方が徐々に増え、お仕事をポツポツいただけるようになってきました。デビュー戦と同じ切手サイズで掲載される写真が主戦場でしたが、ありがたいことにその小さな写真を見た編集者さんのお声がけで新たなポートレイトの連載をいただくことができました。

モノクロながら写真はめでたくハガキサイズです。その大きさになると見てくれている方も増え、新たな仕事に繋がり、ポートレイトだけでなく対象も多岐に渡ってきました。見ている方の手をどうやって止めるか、それがどれほど重要か。当時はもっといいページを貰いたい一心でそう考えていましたが、今ではライターさんが書いた文章を読んでもらうのもカメラマンの役割の一つだと思っています。

仕事が増えてくると撮影前は毎回不安の連続でした。師匠につくこともせず、スタジオでの経験もほぼないままカメラマンとして現場に出るわけですから当然かもしれません。30年たった今でも、じつは何ら変わっていません。お酒を飲んでいるとき以外は殆ど撮影のことを考えています。それは、ほぼ我流でやってきた強み以上にやはり不安なんだと思います。

今ではそれを楽しむ余裕は少しは出てきたのかなと思います。修行の経験値の少なさは数多くの現場で補うしかないと考え、とにかく戴けるお仕事は断らないスタンスでやってきました。それも今だに変わらないところです。今後も色々な方からの課題を自分の色で応えていく、そう思って写真を撮り続けていきたいと思っています。