「私は初めてみた光を覚えていない」井上佐由紀 #写真家放談

PHOTOGRAPHER PROFILE

井上佐由紀

PHOTOGRAPHER PROFILE

井上佐由紀

1974年福岡県柳川市出身。東京都在住。97年九州産業大学芸術学部写真学科卒業。
主な個展:18年「私は初めてみた光を覚えていない」(nap gallery、東京)、13年「くりかえし」(nap gallery、東京)。 主な企画展:20年「高松コンテンポラリーアート・アニュアルVol.09」(高松市美術館)、19年「日本の新進作家展 vol.16」(東京都写真美術館)など。コレクション:上海多倫路現代美術館、サンランシスコ近代美術館、フランス国立図書館、東京都写真美術館

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最低限の技術を学んだら、あとは自分で撮ってみないとわからない

中学生の頃にテレビで見たカメラマン(加納典明さん)を見て、かっこいいなと思った。それが、写真を撮るということを認識した最初のこと。

カメラマンという職業を知って以来、修学旅行ではコンパクトカメラで写真をたくさん撮った。その写真を友達に褒めてもらえたことで、写真の道を意識し始めた。

その後写真の技術は、大学の写真学部、東京のスタジオ、カメラマンのアシスタントで機材やライティングを学んだ。決して優秀な学生でも、スタジオマンでも、アシスタントでもなかったが、アシスタント時代に師匠に言われた「最低限の技術を学んだら、あとは自分で撮ってみないとわからない」という言葉を大切にしている。

この言葉を聞いた時には深く意味も考えていなかったが、自分の写真を撮り始めてから、師匠のこの言葉がゆっくり響いてきたのだ。それはきっと、技術だけではない要素が撮影にはたくさん含まれているのだということを改めて感じたからだろう。

始まりの目を見たい

作品を制作するうえで、「私ははじめてみた光を覚えていない」というテーマに辿り着いたのは、祖父が寝たきりになり、言葉も交わせなくなっていく中で、写真を撮るということが対話になっていた時期があったから。

その時に、私のことを見る祖父の目だけを撮影したら、祖父も喜んでくれるのではないかと思い、祖父の目のアップだけを撮り始めた。祖父は私がカメラマンになれたことを喜んでくれた。カメラを向けると、恥ずかしそうに照れながらもまっすぐにカメラを見てくれたのだ。

「私は初めてみた光を覚えていない」井上佐由紀さんの作品

長く寝たきりになった祖父が私に泣き笑いのような表情で「もうよか」と言った言葉が忘れられない。

それは、もういつ死んでもいいという意味の言葉だった。自分が祖父の立場だったら、同じことを思うだろう。それでも、祖父に生きていてほしいと思うことに罪悪感のような気持ちがあった。

そのうちに祖父の終わりに向かっていく目の光ではなく、初めて世界を見る、始まりの目を見たいと思うようになった。死に向かって、感情の無くなっていく祖父の目は何も映していなかった。その目を見るうちに生きるためだけに開く目を見たくなったのだ。

撮影し終えて、思うこと

「私は初めてみた光を覚えていない」という作品を制作するにあたって、大切にしたことは赤ん坊が生まれてきた直後から、5分以内だけ撮ると決めたこと。

たくさんの出産に立ちあい、なんとなく肌の質感などがこの世のものではない気がするのが、私の中では生まれてからの5分間だった。5分以内に目を開けない子もいたが、それは作品としては入れないことにしている。

「私は初めてみた光を覚えていない」井上佐由紀さんの作品2
「私は初めてみた光を覚えていない」井上佐由紀さんの作品3

20名以上の出産に立ち会い、赤子の目を撮り続けた過程で、とにかく元気に生まれてきてほしいと願った。5分以内に目を開けてくれたら嬉しいけど、と思いつつ。

「おそれ」と向き合い続ける理由

これまでの作品において、共通している「おそれ(恐れ、畏れ、怖れ)」と、作品をとおして向き合い続けている。

私にとっての「おそれ」は単純に怖いものだったり、畏怖の念を抱くものだったり、色々あるが、「おそれ」を感じるものは、なぜ自分がおそれるのかを知り、見たいのだと思う。

そして今は、人が見ている「色」が気になっている。というのも、時々自分が見ているものの色と、他人が見ている色は、本当に同じなんだろうかと疑問に思うことがあるのだ。

なぜ「色」を見たいと思うのか。

わたしはそれを知るために、今日も撮り続けている。