クリエイターが影響を受けた一枚 vol.17 #決定的瞬間
“編集思考”とアートディレクションを武器に、新たな価値を生み出すデザインコンサルティングファームDynamite Brothers Syndicate。
そこで活躍するアートディレクターやデザイナーが、影響を受けた写真家を紹介する連載企画「クリエイターが影響を受けた一枚」。
第十七回は、デザイナー玉城 野乃子が「決定的瞬間」をテーマにお話します。
株式会社ダイナマイト・ブラザーズ・シンジケート
東京港区にあるデザインコンサルティングファーム。
ブランディング、デザインコンサルティング、ロゴマーク開発など幅広いフィールドで事業展開中。
THEME :決定的瞬間
写真における「決定的瞬間」
ライカを手に、歴史的瞬間や感動的で美しい景色を求めて世界中を放浪した写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソン。国際的写真家集団「マグナムフォト」の創設者であり、20世紀を代表する「スナップ写真を芸術にした」人物とも言われる芸術家です。
彼の写真集『Images à la sauvette』が日本へ輸入されたとき、その邦題から「決定的瞬間」という考え方について、写真評論においてよく語られるようになりました。(実際には英語版タイトル『The Decisive Moment』が日本に持ち込まれ、「決定的瞬間」という言葉が定着したそうです。)
しかし、その原題『Images à la sauvette』は、簡単に翻訳してみると「移ろいやすきイマージュ」あるいは「消え去るイメージ」「不意に得たイマージュ」とあります。また、ブレッソンのドキュメンタリーのタイトルでは「瞬間の記憶」と訳されていて、私はその翻訳が一番美しく、腑に落ちると感じています。
私の思う「決定的瞬間」
私の大学時代に所属した写真部やデザインを勉強した専門学校のフォトグラフの授業での課題において、「決定的瞬間を撮る」という課題が何度かありました。スポーツ写真や報道写真においては、「事実」という意味での「決定的瞬間」が存在しています。ですが、私にとっての「決定的瞬間」とは何でしょうか?
その頃から私はこの「決定的瞬間」についてよく考えるようになりました。それから10年以上、仕事や趣味で写真を撮り続けているなかで、私はひとつの考え方に辿り着きました。
私はいま、「決定的瞬間はない(無数にある)」と考えています。
旅先でたまたま遭遇したベンチに座るなんかおしゃれな若者も、ずっとそこに咲いているかのような花も、いつでも見ることができる空だけど今日しかない夕暮れの雲も、狙っていた決定的瞬間を逃したけれどとても良い笑顔が撮れた、ということも。全てが「決定的瞬間」であり、連続する瞬間を不意に切り取った一枚とも言えるのではないでしょうか。
今回は、私の思う、それぞれの「決定的瞬間」を捉え続けている写真家の方々をご紹介します。
西島篤司
1998年に渡米し、ニューヨークを拠点に雑誌、映画、カタログなどで活躍する日本人写真家、西島篤司さんのInstagram(@jimagraphy)掲載作品のうちの一枚。
キャプションには「I saw them walking in the alley. She was eating her watermelon. I ran after and said “excuse me!” They stopped and turned around for me for this family portrait.」(路地を歩いていると、スイカを頬張る少女とその父親とすれ違う。私は不意に彼らに声をかけ、この家族写真を撮らせてもらった。)とあります。
私はこういった、どうしても撮りたくなってしまうような瞬間や人々に遭遇した時の気持ちの高揚感がとてもよくわかりますし、それが誰かが撮った写真であっても、「たしかにこれは残すべき大切な瞬間だ」と感じることがよくあります。この家族の時間はこれからも続いていくけれど、このシチュエーションの彼らに出会うことはもうありません。
三村健二
兵庫県出身で、現在は東京を拠点に広告、ライフスタイル写真など幅広く活躍するフォトグラファーの三村健二さん(Instagram @mimuken_photo_works)。
私は彼の撮るTravelシリーズが好きで、その中でも特に、そこに生きる人々のスナップに深く魅せられています。
旅先のレストランで出会ったのでしょう老夫婦。そこに大きなスマイルがあるわけではありませんが、夫婦が刻んできた歴史や何気ない日々の会話が伝わるような距離と、それを輝かせる夏の光や美味しいブレックファストが印象的な一枚です。
旅で出会った(見かけた)人たちや景色が、未来の自分に与える影響はとても大きいと私は思っています。
石川祐樹
ブラジリアン柔術の道場「カルペディエム」の代表を務めながら、中判フィルムで撮影した家族写真をInstagramに投稿している、石川祐樹さん。2014年には先天性の心臓疾患を持って生まれた愛娘との日々を綴ったフォトエッセイ『蝶々の心臓』を発表し、話題を呼びました。
私が彼の写真を知ったのはInstagramの投稿でした。中判で撮られた写真の空気感はもちろん、彼の見つめる先が、写真を見る者にも伝わるような写真。この写真も、旅先での彼の娘を撮った一枚です。キャプションには「Thank you for being you.」と、娘が彼女自身でいることへの感謝が伝えられていました。
彼自身が「奇跡」と言う、娘が心臓疾患を克服して強く生きていること。彼が写真を撮る理由は、趣味という側面もありながら、同じ境遇にいる子どもや親にこの奇跡を伝える使命感もあるといいます。
生きることは当たり前に続くわけではなく、瞬間が奇跡。私は、石川さんが撮る家族の写真を見ると、どんな瞬間でも「決定的瞬間」なのだと感じ、いつも心が震わされます。
ホンマタカシ
1999年に『東京郊外』(光琳社出版)で第24回木村伊兵衛写真賞受賞した、日本を代表する写真家のひとり、ホンマタカシさん。彼の著書『たのしい写真 よい子のための写真教室』では、「決定的瞬間」という言葉を使い写真の技法について説いています。
ホンマタカシさんの写真集『New Waves/新しい波』。ハワイのオアフ島で波を撮り続けてまとめたこの写真集においては、帯に「ここに決定的瞬間はない」と書かれていました。無限に繰り返す波の、ある一瞬を切り取って集めた写真集です。
繰り返す波も、ひとつとして同じ波はなく、同じ場所に立ったとしても誰も同じ写真を撮ることはできません。それは「ここに決定的瞬間はない」けれど、「Images à la sauvette」とも言えるのではないでしょうか。私の思う「無数にある決定的瞬間」は、彼のこの作品や、写真の考え方にも影響されていると感じています。
ありふれた瞬間や、繰り返しているように見える時間も、写真に残すことで事実として記録することができます。相手やその現象が、または撮った自分がそこに居たことの記憶になります。
いまの私と「決定的瞬間」
写真を撮るとき、デザインをするとき、絵を描くとき、料理をするとき、人とコミュニケーションをとるとき…自分の考えも、目の前の風景も、絶えず変化しています。「これ以外ない」と思っていた瞬間や考えも、数秒後には変化したり、なくなってしまったりしている可能性があります。「決定的瞬間」とはそういった曖昧な瞬間からも生み出されるものだと考えています。
クリエイターとして、作り出すその時にしか作れない完璧なものももちろん存在するけれど、移ろうことを恐れる必要はなく、むしろそれを楽しむことができるようになって、私は「作ること」や写真を、または時間をとても面白く感じ、より好きになることができたように思います。
道を歩き続けたり、手を動かし続けたりしていると、不意に生み出される自分だけの「輝き」や「瞬間」があります。それぞれの「決定的瞬間」を捉え続ける写真家たちの仕事は、いつも私にその感覚を思い出させてくれます。
writing
玉城 野乃子 / Nonoko Tamaki
Designer / Dynamite Brothers Syndicate