遥か街を切る、額装写真 #写真家放談 |福森翔一

福森翔一

写真家  鹿児島県出身。フリーランスとして独立して10年目。

東京にて広告やファッション等の撮影、ミュージシャンのライブツアーに同行しての撮影等で活動している。ライフワークとして、依頼に応じてフィルムにて撮り下ろした世界に一枚だけのプリントを額装する「 撮り下ろし企画 」を行い、200名を超える方に届けている。

Instagram:@shoichi_fukumori


僕自身は写真というものにそれほど執着がありません。

記事にしていただくにあたり、そう書き出すことである種の歪みが生まれるかもしれませんが、素直に言葉にするのであれば、写真を撮るという行為はあくまで手段であり、ツールであるという心持ちで今日も変わらず過ごしています。

福森翔一さんの作品

写真との出会いは学生時代に京都の友人宅でふと触れたフィルムカメラから。いつしか、青春時代に憧れた人と仕事をするためのひとつの選択として商業的な写真を選びました。「その瞬間は対等で在りたい」という思いが、自然とこの選択の後押しをしてくれていた気もします。写真という四辺形に写るものは撮った人だけのものになり、そこに写る人は誰であろうと僕のものになる、そんな勘違いにも似た感覚を覗き窓付きの武器でも手にしたかのように大切にしています。

福森翔一さんの作品

「机上で思い付いた事を出来事にする」

2020年頃だったかと思います。世の中が不安定さに押し潰されていく、そんなとき。撮影を終えた商業的な写真が世に出て受け入れられていく一方で、商業的な写真はいとも簡単に消費され、過去になっていく。そんな様子に少しの寂しさを覚えました。

実家に帰れば、玄関や階段に誰が描いたのかは分からない額装された画が飾られていて、その壁の触り心地やそこに差す夕方の光はどことなく覚えている。そしてなにより優しく暖かい。

真夜中、机上で思い出したその記憶を頼りに「撮り下ろし企画」を人知れずはじめました。依頼者から自由にテーマをいただき、僕なりにそのテーマを噛み砕いて理解し、中判フィルムにて撮り下ろした、世界で一枚の写真に額装を施してご依頼者にお届けするというものです。

企画のお約束は二つ。額装された写真については自宅で開封するまで見る事ができないということと、価格については自由に提示していただくということ。

滑稽さすら通り越した、このアナログな企画をライフワークとして始め、小さな渦は少しずつ波となり、3年という言葉ごと懐かしくなるほどの時間をこの企画の依頼と過ごし、200名を越える方のご自宅にお届けする事が出来ました。

福森翔一さんの作品

まるで匂いの違う話をつらつらと並べているかのように思われるかもしれませんが、僕の中では紛れもなく写真についてのことを「出来事」にして書かせていただいています。

憧れの人を写した商業的な写真と、ありのままに風景を写した額装写真、両者とも撮る立場である僕が目を凝らして見たものであり、息を殺して撮ったものであり、そして誰かに向けたものであるということです。

福森翔一さんの作品

話は最初に戻りますが、冒頭の「写真に執着がない」というのは、「憧れの人と仕事をする事が何よりの指針となっている」と言い換える方が、もしかしたら僕なりに咀嚼して腑に落ちる表現かもしれません。

幼い頃からカーステレオで耳にしていた音楽、高校生の時に死ぬほどカバーしたミュージシャンの存在、二十代の深夜を共に過ごしたラジオのパーソナリティーの声…。僕は、それらすべてと同じ空間に居る日のために写真を続けています。

執着という言葉の着地点は曖昧なままに、写真という手段にはその可能性がすぐ側で寄り添っている気がするのです。

福森翔一さんの作品

その先で、憧れの人を撮る商業的な機会を手放したときに手元に残るのは、僕自身の視線だと思います。旅に出るために写真をして、写真をするために旅に出る。東京を少し離れる時間を作ることもこの数年、意識しています。

すごく単純な事ですが、シャッターを切るためには心臓の隅が締め付けられるほどの胸騒ぎが必要で、その繰り返しと積み重なりが撮るという行為の個性になっていくものだと思います。そのために、これからも移動を繰り返し、視線を確かめるようにまた新しい胸騒ぎを切り取っていこうと思っています。

福森翔一さんの作品

2023年5月からまるっと一ヶ月、アイスランドを旅します。二十代の深夜を共に過ごしたラジオのパーソナリティーが何度も訪れた地でもあり、あれから十年間僕自身が言葉にして発してきた場所でもあります。

今回の旅で、パーソナリティーにカメラを向けて対等に向かい合うわけではありませんが、アイスランドという遥か街で切るシャッターには意味がある気がしてならないのです。

写真というものに執着はしていないけれど、写真で掴めるものには誰よりも執着していたいなと思います。

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