日本の風景 #写真家放談 |藤浪秀明

僕が育った家は窓枠にクルクル回す鍵のついた隙間風が吹き込む古い日本家屋だった。

風が吹くと窓がカタカタ音を立てる様子を風流と言えばいいのか、ボロいと言えばいいのか、ここでは避けるが唯一の利点は布団で温まった足を窓枠に持っていくと隙間風が心地よかった記憶は残っている。そう考えると足の指を自然に冷やす合理的な作りだったに違いない。

もう少し思い出してみよう。 

屋根は瓦、室内の壁は土壁、床は畳、軒下には漬物、庭先に蓋の付いた古井戸、回覧板を持ってくるおばちゃん、夕方には町内放送、そういえば鍵も夜しか施錠していなかったっけ。おばあちゃんと一緒に木製の雨戸を閉めて木枠のはめ込み式の鍵をカシャーン、コーンとかけて一日が終わる。 

当時、出かけるとご近所さんは僕の名前を呼んでくれた。「どこ行くんや。気を付けて行くんやで」と当たり前のように声をかけてくれたのだ。八百屋にお菓子を買いに行くと「好きなサッポロポテトあるで」と言われ「う、うん、じゃあそれ」とポテトチップが欲しかった僕は言い出せずにサッポロポテトを買うのである。よく言えばアットホームな地域と言えるのだが、そうでもない一面もある。

わかりやすい例として、高校時代女の子と一緒にいると10GbpsのWi-Fiより早く近所に噂が広まったのは本当に困った。そんな当たり前に感じた風景は昭和の日本でよく見かけたのかもしれない。 

小学校の帰り道に友人と新しいファミコンソフトの話で盛り上がった。ドラクエのレベル が上がった、スーパーマリオの隠しブロックはこのポイントだ、など話題は尽きない。

たしか帰りのホームルームの時間に先生から言われた「寄り道はしないように」という言葉は記憶からまるでトコロテンのように押し出され、友人宅に「お邪魔します」と駆け上がりファミコンの電源を入れるわけである。

ゲームに飽きると自転車を取りに帰り妄想マッハの速度で神社に集合、そして探検と題した冒険がはじまるのだ。

屋外へ遊びに行けない雨の日は憂鬱ではなかった。 

窓越しに見る雨が好きで水たまりに落ち広がる波紋を見続けていた。もしかしたら同じ場 所、同じ大きさに落ちる雨があるのではないか?

そんなことを考えながら雨の音が心地よく、数時間水たまりを見続けるわけだから、今思い返すと少し変わった一面があったのかもしれない。

大人になると「忙しい」が口癖になった。 
当時ファミコンで遊んだ友人もそれぞれの生活を始め、会う機会もなくなっていった。学生時代から「将来普通の生活をしたいよね」なんて話した何気ない会話を思いだし、普通ってなんだ、普通に生きるのってどうするの?と改めて考えた。

朝起きてご飯を食べ、汗水流して働いて寝る。世間で当たり前と言われる普通の日々は、とても難しく退屈に感じた。

そんな中、僕の手元にはいつもカメラがあった。最初は単なるあたらしい家電製品としての魅力を感じ購入したカメラ。いつしか日常に溶け込み、出かける度に持ち歩いては撮影するようになったのだ。お昼ごはん、コンビニで買ったペットボトルに付いていた玩具、庭で見つけた花、洗車したばかりの車……なんでも撮影するようになった。

そんな日々を過ごす中、SNSで美しい写真達を目の当たりにした。

自然と心に浮かんだのは「自分もこんな写真を撮りたい」という衝動にも似た感情。心臓の鼓動が少し早くなるのを感じた。

それからというもの、桜の季節になれば「桜 名所」、花火の写真を見れば「花火の撮り方」、紅葉を見れば「紅葉 撮影スポット」と検索する日々。カメラ片手に訪れた先々で驚きと発見を繰り返し、撮影に没頭していった。

日本にはこんな美しい場所があったのか。僕はそれを知らずに生きてきたのか、と。そして大人の冒険が始まったのである。

想像してみた。 

桜のライトアップが終わってから深夜に長時間露光で撮影したら、ライトアップされた普通の桜とは全く違う写真が撮れるのではないか、と。

布団に入ってから天気予報を調べると深夜は無風、これはチャンスとばかりに飛び起きて、車で片道3時間。当然のように静まり返り、誰もいないお堀で撮影した1枚は目を疑うほどの絶景が広がる。

無風は長い間揺れない枝を、堀に浮かぶ花筏(はないかだ)は弧の軌跡を表現してくれた。

想像してみた。

ある冬の夕焼けを撮影中に、「この鳥居の上に天の川が撮れそうだから流れ星が入るといいね」と友人と話して、夏に再訪した。
深夜、「天の川を横切るようにシャーっと流れ星が来て欲しいなぁ、こんなふうにシャーっと」と話していると、本当に流れ星が流れた。もちろん願ったのは「今の流れ星が撮れていますように」。うん、早くも夢が叶った。

想像してみた。 

吉野の地に鎮座する吉野神宮。上空から見れば吉野の山全体が見渡せるのではないか?様々な許諾を得て見たそれは想像以上の絶景が広がっていた。

そうか、こういう作りになっていたのだね。いつも絶景を見られる野鳥がうらやましい。

そして撮影をしていると気づいてゆく。 

日本の風景は素晴らしいということに。 

四季があり、その場所を守る人が暮らし、同じ場所でも様々な顔を持ち合わせ、どこかで見たことがあるような懐かしさも感じる。 
そうか、これは僕自身の記憶と照らし合わせた描写なのかもしれない。

それが見たことのある記憶なのか、ゲームの世界で見た景色なのかはわからない。もしかするとマンガやアニメ、ゲーム好きだった僕の想像の世界なのかもしれない。 

カメラ越しに見る世界はいつも美しく、また見たくなる衝動が生まれる。

気づけばいつの間にか、自分の口癖は変わっていた。

「今週末はどこへ出かけようか」。