ヤングトゥリーラジオ×CURBON RADIO「vol.02福田喜一」アシスタントに伝えていることと、ギャランティーの話

CURBON+で連載していた写真家・若木信吾さんと歴代アシスタントたちによる「ヤングトゥリーラジオ×CURBON RADIO」を記事化。若木さんのアシスタントを卒業後、アシスタントたちはどのようにして一人のカメラマンへと成長を遂げたのか、その仕事術は?その対談の一部をお届けします。第2回のゲストは福田喜一さん。

photo by Kiichi Fukuda

profile

若木信吾 Shingo Wakagi

写真家/映画監督。1971年、静岡県浜松市生まれ。ニューヨークロチェスター工科大学写真学科卒業。
雑誌・広告・音楽媒体など幅広い分野で活動中。浜松市の書店「BOOKS AND PRINTS」のオーナーでもある。映画の撮影、監督作品に「星影のワルツ」「トーテム~song for home~」「白河夜船」(原作:吉本ばなな)などがある。


Instagram:@shingowakagi 

福田喜一 Kiichi Fukuda

東京綜合写真専門学校卒業。 写真家·若木信吾に師事後、2007年に独立。
ポートレイト·風景·料理写真を中心に雑誌、広告で活動中。
ライフワークとして友人が行っている中国内モンゴル自治区とモンゴルでの緑化活動を記録中。

また近年はCMやWEBの動画撮影で撮影監督としても活動中。

現在ドキュメンタリー映画を制作中、2024年完成予定。

Instagram:@kiihi.fukuda
HP:http://www.kiichifukuda.com/

photo by Kiichi Fukuda

■アシスタント卒業後に最初にしたことは?

若木:今回はふくちゃんがどういう感じで仕事をゲットしていったかとか、今何やってるかとかを聞いていきたいと思います。まず、卒業後にすぐにしたことっていうのは何だったか、っていうのを聞きたいですね。

福田:すぐにしたことは、やっぱり営業ですかね。営業に持って行くポートフォリオはできていたので。今でも若木さん、卒業するアシスタントにブックを渡してるんですか?

若木:あのブックね、渡してる、渡してる。だけど、次卒業する日野くん(現在は独立)の準備はまだしてなかった。そういえば(笑)。前回のいのくんの時もちょっと遅れて渡したんだけど、もう最近特に、円安で…。いくらぐらいになるのかなってドキドキしてる。うん、結構やばいなと思ってるんだけど…(笑)。

福田:若木さんのところを卒業するときにもらえるブックがあるんですよ。自分の作品を入れて営業に持っていけよ、っていうポートフォリオを。

若木:その、キットというか。

福田:名前入りなんですよね。

若木:箔押しでね。そういえば今思い出したけど、福ちゃんが卒業するとき、ブックの名前の表記はどうする?って話になったよね。じゃあ独立したらカメラマン名で、みたいなことを考える人もいたわけよ。 でもまあ結局は最終的にみんな本名なんだけど。そういうのも面白いよね、みんなやっぱり準備段階として色々考えるんだから。

福田:だから、すぐにしたことっていうとその本を持って、まずどこに行こうかっていうのを考えましたね。考えたというか、 アシスタントのときに知り合った編集さんを訪ねました。そこしかなかったので。

若木:そのためにアシスタントやってるようなところもあるからね。

福田:片っ端から、とは言い切れないですけど、電話をかけたりとか、あとはやってみたいなっていう 雑誌の編集部に電話をかけて「見てください!」っていうことをまずしましたね。

若木:今だとメールとかもあるけどさ、昔は電話だけだよね、ほとんど。

福田:そうですね。まずメールアドレスが分からなかったというか…。昭和マインドだったから電話だったのか…。

若木:名刺にメールアドレスを書いてる人って少なかったよね。そんな気がする。

福田:編集部の電話番号が書いてありましたね。携帯も書いてなかったですね、あの当時は。なので、まずそこに電話をして、「若木信吾のところを独立した福田です。ポートフォリオを見ていただけませんか」っていうのをまずやったかなあ…。

若木:いいね。自分も同じようにやってたから、すごく親近感が湧くね。

福田:今だともうちょっと違うアプローチがあると思うんですけど、あの当時独立したてのカメラマンがやることっていったらたぶん営業だったんじゃないですかね。

photo by Kiichi Fukuda

■念願の初仕事は…?

若木:そのあと、その営業後に1番最初にゲットした仕事って、なんだったんですか?

福田:結局、営業からゲットできる仕事ってあんまりなくて(笑)。

若木:すぐにはね。大体体3ヶ月後とか半年後とかだよね、そうそう用意されてないもんね。

福田:1番最初の仕事は、スタイリストの伊賀大介さんに、伊勢丹の浴衣のリーフレットみたいなものの撮影あるからって声かけてもらって…。素人のモデルさんに来てもらって、 その浴衣を撮るっていうのがありましたね。僕は素人の方を撮るのも好きなんでよかったですね。

若木:伊賀くんは『原宿百景』とかで一緒になることが多かったもんね。

福田:そうですね。若木さんの『原宿百景』は僕がアシスタントの頃から始まったんじゃないですかね。

若木:10年やったからね、あの後。「星影のワルツ」のときも伊賀くんがスタイリストやってくれたからね。

福田:そうでしたね!服の汚し方と、スタイリングは、伊賀さんがやってくださって。

若木:そういう出会い方ってあるんだね。

福田:そうですね。だから「独立します」っていうのを、多分その撮影現場でお会いしたときに話したのを覚えててくれて。で、電話してきてくれて…みたいな感じでしたね。その後すぐに野村友里さんの映画「eatrip」があるということで、その現場写真と、あとポスター写真の撮影をしましたね。

若木:なんかその頃の話になると、すごい最近のことのように感じてきた。「星影のワルツ」のときはすごい昔だなと思ったけど、ふくちゃんが「eatrip」を撮影するって聞いたのは、ついこの間のような気がする。早いね。

photo by Kiichi Fukuda

■仕事を続けていく上で大切にしていることは?

若木:フォトグラファーとして、仕事を続けていく上で1番大事にしてることってなんですか?

福田:常に自分の中で新しいことができてるかな、っていうことですかね。先週の撮影よりも新しいことができてるかなっていうのは、 大切にしてることっていうか、常に自分に課してることみたいなところではあります。

若木:最近思うのは、やっぱり自分が楽しくなきゃ面白くないからさ。そうするために何か新しいことをやってみたりとか。でも、それがあんまり図に乗っていきすぎるとさ、 その枠からはみ出ちゃう時あるじゃん。広告の場合だと、ある程度リピート性というか、こういう写真を撮る人だから、ちゃんとした繰り返しを求められる、みたいなこともあるね。

福田:ありますね。

若木:そういうのに、割と最近俺も気がついて(笑)。常に自分で楽しく現場を驚かしながらやって、みたいなマインドって割と最近まであったからさ。やっぱちょっとやっぱダメだな。仕事としては、ちゃんとしてないなと思った。今更だけど。

福田:俺は思ってませんよ、今更なんて。

若木:そういうところが、ふくちゃんはちゃんとしてるなと思うんだよね。

福田:意外と堅い仕事が多いので…。でも、その中でできる範囲の更新をしていきたいなっていう。もちろんできないことの方が多いんですけど。特に広告とか。ベネッセの広告をずっと8年ぐらいずっとお願いしていただいていますが、教材を売っている会社となると、ある程度のところまでしか崩せなかったりするじゃないですか。

若木:そうだよね。教育系の仕事はやっぱりちゃんとしないと…。

福田:子どもが頑張ってる姿って、結構姿勢が悪かったりとかするんですよね。でも、そういうところが子どもっぽくて、そういうとこが惹かれるポイントだったりするんで、そこはせめぎ合いですね。現場の人と話しながら「これは綺麗ですけど、もうちょっと子供っぽいところ出せたらいいですよね」みたいな試行錯誤をやりつつ、その枠内でもちょっとずつ新しい角度だったり、視線が作れたらいいなって思って、現場に入ってます。

若木:俺がADだったら、ぜひふくちゃんに頼みたいな。めちゃめちゃ仕事しやすそう。

福田:ただ、葛藤もあって…。自由じゃないですか。若木さんって。

若木:めちゃくちゃ自由にやってるっていう(笑)。

福田:それへの憧れは常にあります。だから、仕事によって出せる時は出したいなと思ってるんですけど。

若木:その住み分けができるのはいいよね。

福田:できてるかどうかは分からないですけどね。やっぱり引っ張られるときもあるんで。あと「大切にしてること」で言うと、僕が若木さんのアシスタントになる前に「どれだけ自分の目を信じられるか、自分の目を信じてください」って言ってくださったんですよね。僕が中国に4ヶ月作品撮りに行くっていうときにメールで。「色々周りの声があるけど、自分の目を信じてください」っていう内容のメールだったんですけど、それは未だに常に、自分に問いかけるところではあります。広告だとしても、 自分の作品だとしても、色々雑音が多い状況下で現場とか、セレクトの段階でも、そこがどれだけ信じられるかなっていうのは、常に問いかけつつやってます。

若木:そんないいこと言ってたとは…(笑)。

福田:メール残ってますよ(笑)。

若木:その時代の俺にもう1回俺、アシスタントにつきたいわ(笑)。

photo by Kiichi Fukuda

■人を「雇う」ということ

若木:仕事が増えてくると、自分でもアシスタントを雇うことになるじゃん。そういうときに気を付けてることってありますか?

福田:アシスタントを選ぶときにってことですか?

若木:あとは、アシスタントとして、自分の現場に来てもらってるときに、アシスタントにどういうことに気を付けてほしいか、もしくは、自分がアシスタントに対してどんなことに気を付けてるか、とか。

福田:ここ5ー6年ぐらいですかね、六本木スタジオの卒業生に来てもらってるんです。結構固定で来てもらってるんですけど。 そんなに言うことはなくて…。

若木:現場はね。ライティングとかそういうことに関しては、すごく知識も経験も豊富だし。

福田:彼たちもそのうち独立したいと思ってる子たちなので。なるべくいろんなことを伝えてあげたいなと思っていて。ギャランティーのこととか。内部のことを…。そういうことの方が実際役に立つなと思って。

若木:精神的なことってやっぱり言っても伝わらないしね。

福田:僕の方もまだそんな伝えられるほどでもないと思ってるんで、 どちらかというと、実践・実務のところ、せっかく週に2、3回来てもらってるので、 今回この仕事はこれぐらいのギャランティで、っていうのはなるべく全部伝えてあげてますね。独立した時にギャランティーを聞かれることもあるので、そのときの指標になるなと思っていて。

若木:経理関係はどうしてるの?

福田:経理は今税理士さんがいますけど、あとはフリーです。もう全部僕の電話に入ってきてっていう。

若木:じゃ、マネージメントはもう1人でやってるんですね。最終的には税金関係は税理士さんに?

福田:税理士さんですね。で、ギャラ交渉は自分で。やっぱり自分のギャラを決めるっていうか、交渉するってのは結構難しいじゃないですか。あと、金額を吊り上げちゃったらちょっと煙たがられたりとかの場合もあるし。で、いろんなことを考えると、なんか指標って大切だなって。若木さんのときとは時代も違うんで、ギャランティーの値段も違ったりとかするので(笑)、そこが1番独立してから、何を指標にしていいのか分かんないなと思ってたところですかね。

若木:俺も当時マネージャーいたからね。そのときは、自分ではギャラの交渉は一切してなかったから…。

福田:そうですよね。だから、若木さんからギャラの話ってあんまり聞いたことないですね。

若木:だから、自分で請求書もその当時は書いたことないし、銀行の通帳すらも手元になかったし、 何も管理してなかった。

福田:独立して1番困ったのは、ギャランティーの交渉ですね。あと、大体の相場ですよね。雑誌は決まっちゃってるんですけど、 広告とかだと値段の幅があるので…。

若木:今って会社にしてるの?

福田:会社にしてないです。

若木:そうすると…インボイス制度の対応はどうしたの?

福田:ナンバーは税理士さんに取ってもらいました。

若木:そういうのが分かんないよね、1人だけでやってるとね。

福田:だから、なるべく実務っていうかそういうことをは、リアルに伝えたいし大事にしてます。だから、仕事帰りに今日のギャラこれぐらいで、このカット数だったよね。みたいなのまで話してあげてるんですけど…。そしたらまあ、独立した時に参考になるかどうか分かんないですけど、1つの指標になればいいかなと思ってます。

photo by Kiichi Fukuda

今回は福田喜一さんのラジオ後編をお届け。
前編のアシスタント時代のエピソードはCURBON RADIOにて。
若木さんとアシスタントの対談シリーズはまだまだ続きます。
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