瞬間ではなく、時間を残す写真 #写真家放談 |浅田政志

写真家が語る写真、と言うとなんだか格式高く聞こえてしまうかもしれません。しかし、僕にとって写真とは身近で、シンプルなものです。多くの現場や被写体と向き合う中で、改めて写真の持つ意義とは何か考えてみたときに、大げさに聞こえてしまうかもしれませんが「誰かの人生が刻まれていること」が写真の持つ一番の魅力であり、意義だと僕は思っています。

浅田政志さんの作品

中学生の頃、父親の一眼レフカメラを触ってみたいと思ったのが、写真に興味を持つようになったきっかけでした。最初は写真に興味を持ったというより、カメラに興味を持った方が先だった気がします。それからしばらくは、近所をフラフラしながら写真を撮ったり、友達を家に呼んで撮影会をしたり、遊びとしてカメラを持ち歩いていました。高校入学後は写真部に入部、高校を卒業してからは大阪にある写真の専門学校へ入学。選択を振り返ると間違いなく写真に魅せられてはいたものの、初めから「写真で食べていこう!」と意気込んでいたわけではなく、過程の中でだんだんと「写真に携わる仕事ができたらいいな…。」という想いが強まっていった、というのが正直なところです。

浅田政志さんの作品

そんな学生生活でしたが、僕にとっては大きな転機になった時代でもあります。今でこそ「浅田政志といえば家族写真」と言ってもらうことも増えましたが、きっかけは専門学生時代に撮った1枚の写真。”はじめて撮影した自分の家族の写真”です。専門学生時代に先生から出された「一枚の写真で、自分を表現しなさい」という課題で撮った写真でした。課題のためだから、と家族にお願いして夜の病院でモノクロに撮影。これをきっかけに家族写真の魅力にハマってしまったので、今でも自分にとって一番大切にしている写真です。

浅田政志さんの作品

今では年間150~180回ほど撮影に取り組んでいます。もちろん、すべてが家族写真というわけではないのですが、被写体が人物である依頼は多く、人を撮り続ける中で僕の中にひとつ理念と言うか、目指したいもの生まれました。それは「家族写真のイメージを拡張していきたい」という想いです。撮影する中で、血縁だけが家族ではなく、例えば同じ地域に住む人、同じ職場で働いている人、そのような共同体の中に、家族と同じような関係性の深さを発見することがあります。今までは家族写真として捉えられなかった写真も、見方を変えればもしかしたら家族写真になるかもしれない。「家族写真のイメージを拡張する」とは、写真を通して絆を捉えなおすことで、人と人とのつながりの可能性を広げていくことです。だからどのような撮影をしている時も、できる限り等しく被写体と向き合いたいと思いながら、撮影に臨んでいます。

浅田政志さんの作品

さらに、僕が撮影する「家族写真」は1枚を完成させるのに、労力と時間がとてもかかります。非日常的な設定で撮る演出写真は特にそうですが、目指すイメージと意図を被写体もしっかりと理解していることが重要になってきます。被写体が能動的に写ることで、どんな演出にも溶け込んでいくからです。目指すのは、撮影に関わる人全員が協力して写真を作り上げること。カメラを持つ人と撮られる人、双方でイメージを共有し、一緒になって撮影に取り組むためにはそれなりに時間がかかるのは必然ですし、その過程は楽しいものです。「記念日に撮る写真」ではなく、「撮影した日が記念日になる記念写真」になれば、僕が撮影した意味があったなと思えます。

浅田政志さんの作品

また、写真の話をするときに、つい忘れてしまいがちな視点が「見返す」という行為。写真は、見返すことにより、持っている力を発揮するものです。さきほど「家族写真を撮るのに時間がかかる」というお話をしましたが、撮影が大変であるほど、見返すときには良い思い出になっていたりします。あるタイミングで見ると、写真の見え方がこれまでとガラッと変わったり、撮影者さえも気づかなかった”味わい”が隠れて存在していたり。僕のオススメは、お気に入りの写真を額装して家に飾ることです。毎日そばにあり、一緒に長い時間を共にすることで、写真の魅力が最大限表れるのではないでしょうか。

浅田政志さんの作品

20年以上カメラを持ち続けてきて思うのは「なにも写真家やプロのカメラマンが撮った写真だけが特別ではない」ということです。そんなことを言うと、「じゃあなんで写真家続けているの?」と笑われてしまいそうですね。けれど20年の間で遂げたカメラの進化は凄まじく、現代は1人1台スマホのカメラにまでなりました。この瞬間にも数えきれないほどのシャッターが切られていることでしょう。写真は1枚1枚、手触り感のあるものではなく、なんだか”膨大なデータ”化している気さえします。しかし、その中に本人にとっては”かけがえのない大切な1枚”がどこかに必ず存在しているはずです。

浅田政志さんの作品

そのようなことに気付いてから、自分じゃない誰かの撮った写真にも目を向けるようにしています。写真家を志し始めたころは「自分にしか撮れない写真」を模索していましたが、今では「誰にでも撮れる素朴な写真」に心を惹かれます。たとえ他人が見てつまらない写真だとしても、持ち主にとっては特別な輝きを放っていたりする。誰かにとってのかけがえのない1枚になり得る瞬間は、言葉を選ばずに言うと、誰にでも撮ることができるのだと思います。

浅田政志さんの作品

だからこそ、写真をあえて仕事にするのであれば、まずは自分が気になる対象や、どのようなものを撮っている時が夢中になれるのかを探ることが大切です。それは他人から教えてもらえる類のものではありません。例え10年かかっても自分で見つけなければならないことであり、その過程の中で自分のスタイルや作風というものが、自然に出てくるのだと思います。この記事を読んでいる方の中に写真家を目指している方がいるとして、1つポイントを挙げるとすれば、決して諦めないことです。当たり前すぎて、少しいうのは恥ずかしいのですが。諦めたら追い求めていた自分のスタイルも見つかることは叶いません。逆に諦めなければいつの日か、必ず自分のスタイルは自然に表れてくると信じています。

編集:竹本 萌瑛子