リアルとバーチャルの融合 #写真家放談 |Amatou
写真とは何か。そう問われた人の中にはきっと、読んで字のごとく「真実を写すもの」と答える人もいるだろう。その回答はもちろん正解である。
では、「Photograph」という単語について考えてみよう。「Photograph」の語源は「Photo(光)」と「graph(描くこと)」に由来している。そう、「Photograph」とは「光を描く」ということなのである。日本では、まだ多くの人に受け入れられてはいないが、写真は真実を写すだけでなく、もっと自由でアートであっても良いと私は考えている。ただ、かく言う私も、このような考えを最初から持ち合わせていたわけではない。
カメラを始めたのは大学生の頃。旅行が好きであった私は「せっかく旅に行くのだから見た景色を綺麗に残したい」と思いから一眼レフを購入した。一眼レフで風景を撮影していくうちに「せっかく綺麗な景色を記録として残したのだから多くの人に見ていただきたい」と言う気持ちが芽生え、SNSに撮影した記録をアップするようになった。それをきっかけに、SNSで他の人が挙げている写真を見るようになったのだが、そこで大きな衝撃を受けた。海外のフォトグラファーがアップする写真はまるでアートのようで、真実を写しているとは思えないものであったからである。
そこから私はどう撮影すればアートのような写真が撮れるのか調べた。結果、カメラの設定というのはあくまでもシャッタースピードや絞りなどの最適な数値を定めるものであって、どんなにカメラの設定に詳しくなっても海外フォトグラファーのアートな写真にはならないとわかった。では、何ができるようになればよいのかと、さらに調べた先に出会ったのが「レタッチ」である。
どうやら「日の出や日の入りの写真は明暗差があるためシャドウの数値を上げて、ハイライトの数値を下げよう」「夜景の写真はパキッとさせた方が良いため、明瞭度やシャープの数値を上げよう」というのがレタッチの考え方らしいと、勉強するうちに分かってきた。
それまでレタッチについて知識がなかったため、撮った写真を現像ソフトで後処理をするということ自体に新鮮さを覚えたものの、一方で「撮影時、より綺麗な写真を撮るために適切な設定を決めるのと同じように、レタッチもある程度決まりがあるのか」と窮屈さも感じてしまったのである。
私がやりたいのは「適切な設定で写真を撮り、適切な数値でレタッチする」というものではなかった。当時、日本には「自己表現のためにどう写真を作っていくか」のフローについてまとまっている記事や動画がほとんどなかった。そこで日本ではなく、海外のフォトグラファーについて調べてみると、チュートリアル(撮影からレタッチのワークフローをまとめた動画)を販売しているフォトグラファーが沢山いることを発見した。私はそれを手当たり次第購入し、海外フォトグラファーのワークフローについて勉強した。
チュートリアルでは構図の組み立て方や設定についてなど、撮影時に関する新しい学びもあったが、なによりレタッチについて新しい視点を得られたのは大きな収穫だ。「こういうシチュエーションだからこのように数値を動かす」ではなく、「こういう風に表現したいからこのツールを使ってこのように実現させる」といったで、「写真」=「真実を写す」という考えを持っていた私には目から鱗であった。
チュートリアルを一通り見終えた後、「自分は写真でどのような表現をしたいのか」という問いに対して答えを出すことにした。最初に撮影やレタッチについて考えてしまうと、それらが目的になってしまい、写真での自己表現は難しいと考えたからだ。ここで大事なのがHow(”どのように”実現するか)ではなくWhere(“どこ”を目指すか)である。私は自分自身の興味・関心から「リアルとバーチャルの対比を超越した世界観」を目指すことにした。これが今の私の写真の根幹であり最重要項目になっている。
私は小さい頃からSF作品が好きであった。SF作品は、現実味を感じられる部分と、経験からは想像のできない部分の両方を一度に感じられ、自分なりの考察が出しやすい。
例えば、私がSF作品でも特に大好きな『AKIRA』では、格差問題、政府に対する大規模なデモ、政治と宗教のつながりなど頭にスッと入ってくる部分があるが、明らかに私の経験からは想像できない部分もある。例えば、ユビキタスにより集合体から個々の時代になっている現代で、誰の中にも力として存在する生命体が登場することなど…。SF作品のようなリアル(現実)とバーチャル(非現実)が融合し、見ている人に納得と疑問を与えてくれる世界観を表現したいという答えを導き出せた。
では私にとってリアルとバーチャルとは何か。写真を始めた当初は主に自然風景を撮影していた。もちろん現在でも自然風景は撮影するし、好きな被写体である。ただ、「リアルとバーチャルの対比を超越した世界観」を表現するとなると、私にとって自然風景はバーチャルに寄りすぎるのである。
私自身、それなりに大きな街で育ってきたため、大自然の中にいるだけで非現実を味わうことができるのである。逆に言えば、すでに被写体が非現実的な要素を含んでいるため、レタッチで非現実的な表現を加えることは、必要のない、困難なことなのである。
それに対して、都市風景は私にとって現実的であり、レタッチによる非現実な表現を付け加えやすいため「リアルとバーチャルの対比を超越した世界観」を実現しやすいのである。実際に私の写真を見た人からは「行ったことある、もしくは知っている場所だけど、初めて見たような感覚になる」と言っていただくことが多い。
リアルな都市風景写真に対して、バーチャルな色味・光・影などをレタッチで加えることによって、リアルとバーチャルが融合し、見ている人に納得と疑問を感じていただけるような写真を作り出すことができるのである。
ではそのような世界観を表現するためにどのようなことを意識しているのか?私は1枚の写真を作り上げる過程、つまり、策定・撮影・レタッチにおいて完全に自分の世界に潜り込むことを意識している。これは「リアルとバーチャルの対比を超越した世界観」のみに焦点を当て、リアリズムや写真文化の慣習などの外的要因を排除した、完全なる私の妄想の世界である。
妄想の世界を表現するために高度な技術は必要不可欠である。撮影については長時間露光を多用するため、フィルターの選択やシャッタースピードの調整には敏感になる必要がある。レタッチについてもPhotoshopにてレイヤーを50個ほど作成したり、時にはピクセル単位にまで気を遣ったりするなど、「ここまでやるのか」というレベルまで追い込む。ただし撮影もレタッチもあくまでも自己表現のためのツールということを常に念頭におく必要がある。
レタッチによって写真で芸術的自由を表現するという考えは全ての人に同意いただけるとは思ってはいない。ただそのような考えもあるということを少しでも多くの人に知っていただきたいというのが私の思いである。 そして重要なことは、一度、芸術的自由な表現に傾倒したからといって、真実を写す写真を撮ってはいけないことはなく、その逆も然りである。なぜなら写真は自由で、他者がそれを制限する権利はないと考えているからだ。
編集:竹本 萌瑛子