日常を綺麗に写し続けること #写真家放談 |相沢亮

「日常」といっても、その言葉から思い浮かぶ内容は人それぞれ違うものだと思っている。昨日と今日の記憶がどんなものであったのか、毎日の違いによっても日常の捉え方は変わる。

相沢

昔から日々の出来事、気持ちを言葉で表現するのは苦手だった。「この日はこんなことがあって嬉しかった」そんな内心を吐露することに恥ずかしさを感じる。しかし日々何があったかを聞かれることは多い。「昨日なにをしていたの?」という質問は、社会という場所での一種の挨拶、おはようございますの次に流れるように聞かれる言葉だ。この質問に対して、上手く返答できた試しがほとんどない。

そして、昔から自分の要望を伝えることも得意ではない。「あれが綺麗だから欲しい」「あそこに行ってみたい」そんな言葉を出すことも苦手。なぜ苦手なのか聞かれると正直返答に困ってしまうのだが、なんとなく奥底の心情を曝け出すことに一種の抵抗感があるのかもしれない。周りからは気を遣っているとよく言われるのだが、それよりも恥ずかしいという気持ちが勝っていると思う。とにかく心情を言葉で表現することが苦手なのだ。

カメラと出会ったのは、今から約5年前。自己表現の手段として始めた訳ではないが、過去の記憶を視覚として表現できる写真に魅力を感じた。言葉を添えなくても昨日どんな場所に行ったのかまずは視覚を通じ、相手に伝えることができる。もちろんカメラを持ち歩くようになった理由のすべてが「言葉での表現が苦手だから」ということではない。ただ、カメラを通して日々を写すことで、少しだけ自分を表現することが楽しくなった感覚がある。それは同時に、上手く自分を表現したい気持ちがあることに気付くきっかけにもなった。気持ちを表現するためには、言葉で上手く表現するということに縛られる必要はないと気付いたのだ。昨日この場所に行って楽しかったからシャッターを切った。そんなストレートな表現ができるところに、写真の良さがあると思っている。

そして、カメラを通して日々を覗いてみると、想像以上に魅力的な瞬間に溢れていることに気付く。今まで見過ごしてきた何気ない瞬間でも、カメラ越しに覗いてみると特別な景色に変わるような感覚がある。

「自分はこんなものに惹かれる、この日、この場所でこんな景色を見ていた」

光と影が綺麗な時、雲の流れ、人の営みを感じた瞬間など、そこに惹かれた理由を口に出さずとも好きだとストレートに自己表現できる。そんな日記のような写真の魅力に取り憑かれている。

「どうしたらこの瞬間をより綺麗に伝えることができるのか」

写真を続けていると、そんなことを思い浮かべることがある。

目の前にある、直感的に好きだと感じた瞬間を素直に切り取るのだけど、なぜか上手く撮れない。他の方の写真と比べると自分の写真の拙さを感じる。この悩みは写真を続けていくことで解消されていくのかとも思っていたが、そうではないらしい。常日頃、頭の中に思い浮かんでいるわけではないが、ふとした瞬間に自分の写真の拙さが目に付く。

写真には、波がある。今日良かった写真もなぜか次の日には普通だったかなと感じることがある。おそらくだけど、僕は写真を自己表現のツールのひとつだと考えているから、気分によって自分の写真の見方が変わるのだと思う。

他の方の視点に憧れを感じて、自分の腕の未熟さ、思慮の浅さに気付くような感覚。その感覚が自分の中の向上心を刺激しているのかもしれない。ただ、写真への気持ちに関して、他者との比較をする機会が多くなった時に気付かされたことがある。

「どうしてこの方はこの瞬間をこう切り取ったのか」という内面を探ることの重要性だ。他者との比較は向上心を刺激し、技術を磨く上で重要な要素のひとつであることに間違いはない。ただ、追い求め続けると内面から出る個性を潰してしまう。僕自身も「前の方が自由な視点で個性があった」と言われた経験がある。だからこそ、他の方の写真に憧れを抱くとき、どう向き合っていくかを考えることが大切だと痛感している。

例えば、旅の写真を見た時になぜこの瞬間を撮ったのかを聞いてみると、その人だけの視点を写したような瞬間があることが分かる。さらにその瞬間について深堀りしていくと、その人の個性を垣間見ることができたような気持ちになる。

そういった、他者への憧れから辿っていった先の内面を少しだけ知ることで、自分の知見に繋がるような感覚がある。そうやって少しずつ消化していく。「こんなものの見方、景色の出会い方があるのか」と思う。お気に入りの映画や小説に出会ったような気持ちに近い。決して自分の感性がその人の世界観に塗り潰されていっているわけではなく、むしろ。養われている感覚だ。

自分が出会いたい景色に影響を与えるのは、日々出会うすべての物事や経験だと思っている。そんな経験を大事にするために、他の方の内面に少しだけ挨拶をして、お邪魔する。

「旅先での一期一会を大事にしたい、自分の気持ちに正直でありたい」

旅先はいわば日常の延長線上。初めて行く場所で大事にしているのは、自分が感動した瞬間にシャッターを押し続けること。旅先は刺激に溢れている。初めて見る景色の中では、道行く人が見過ごしてしまいそうな瞬間でさえ愛おしく感じる。過去に受け身になりがちな経験があったことへの反省の気持ちがあるからこそ、自分に素直でいることを大事にしている。自分が好きな瞬間への出会いを素直に渇望すること。そんなことを考えているだけで少しずつ自分の写真がお気に入りに変わる。

「自分の好きな瞬間を素敵な記憶として残しておきたい。綺麗に切り取りたい」という気持ちが自分の原動力なのかもしれない。

旅の思い出を写真で振り返る。そのとき自分の心の琴線に触れるような感覚があると、その写真は良い写真だったなと思う。曖昧だった過去の記憶が少しづつ想起され形になっていく瞬間。そんな写真を撮ることが理想のかたちのひとつなのかもと今は思っている。その場の空気感を伝え、記憶の共有ができるような写真を撮ることができれば本望だ。

編集:竹本 萌瑛子