NHKの連続テレビ小説『ばけばけ』のキービジュアルに込められたものとは。川島小鳥が捉えた“うらめしい。けど、すばらしい。”世界
NHKの連続テレビ小説「ばけばけ」のキービジュアルは、写真家・川島小鳥さんに撮影された、主演の髙石あかりさんが演じる松野トキとトミー・バストウさんが演じるレフカダ・ヘブンの自然な表情と距離感が印象的な一枚です。
本インタビューでは、このビジュアル制作を担当したNHKディレクターの小島氏とプロデューサーの橋爪氏に、撮影の舞台裏について詳しく伺いました。通常のドラマ撮影とは一線を画す、自由度の高い撮影手法と、その結果生まれた温かみのある写真の数々が、どのようにして「ばけばけ」の世界観を表現するに至ったのか、その制作秘話に迫ります。
プロフィール
PROFILE
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小島東洋
ディレクター。2017年NHK入局。連続テレビ小説「ブギウギ」、鹿児島発地域ドラマ「この花咲くや」で演出を務める。「ばけばけ」では演出のほか、キービジュアル・タイトルバック制作を担当している。ディレクターとしての他の制作番組は「ブラタモリ」「歴史探偵」など。
PROFILE
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橋爪國臣
NHKのプロデューサーとして「ばけばけ」の制作統括を担当。過去には「青天を衝け」や「ブギウギ」などのプロデューサーを務めた。
川島小鳥さんの撮影スタイルを最大限に生かす。
5ヶ所の撮影場所で衣装も複数用意し、自由度の高い環境を整えた
━━今回どのような経緯で今回のキービジュアルの表現にたどり着いたのでしょうか?
小島:まずは「ばけばけ」という作品をビジュアルで表現するにあたり、どういう方とご一緒していくのがいいのかをチームでブレストしました。その中で川島小鳥さんとご一緒できることになったことが大きなポイントです。最初からなにか仕掛けを考えていたわけではなく、川島さんの表現を最大限に生かすことを考えながら制作を進めていきました。
━━川島小鳥さんに依頼した理由はどのようなものだったのでしょうか?
小島:私は32歳で、この世代はそうかもしれませんが、大学生のときに手に取った川島さんの「未来ちゃん」の写真集がとにかく印象的でした。「ばけばけ」の「うらめしい。けど、すばらしい」というコンセプトや、何気ない日常を描くという方向性が決まったとき、川島さんの写真の世界観が浮かびました。「未来ちゃん」で切り取られた何気ない、けれど全てが愛おし未来ちゃんの表情。佐渡島に暮らす少女をみんなが好きになっていくあの世界観がぴったりだと思い、ファーストチョイスとして提案しました。川島さんにはそうした気持ちを手紙にしたためてオファーしました。
━━撮影にあたって、どのような伝え方をされていったのでしょうか?具体的なイメージを細かく共有していったのか、それともざっくりとしたコンセプトだけを伝えて川島さんにお任せしたのでしょうか?
小島:最初の打ち合わせでは、私が持っている川島さんの写真集を見ながら「こういう写真が好きです」「こういうイメージはどうでしょうか」と川島さんの世界観のなかでも、私たちが求める空気感をお話ししました。川島さんからも「参考文献があればぜひ教えてほしい」と質問がありましたので、「ばけばけ」のヒロインのモデルである小泉セツさんが書かれた「思い出の記」という本をお伝えしたら、その場でネット注文されて「明日には届くので読みます」とおっしゃっていました。

その後、実際に松江に赴き、川島さんと私の二人で松江の街を1日かけてロケハンして回りました。ゆかりの場所を回るだけでなく、二人が暮らした松江の街そのものを知るためにご飯を食べたりといったことも含めて時間をかけようと思っていました。
川島さんも街の景色を見ながらイメージを作っていかれたのだと思います。小泉八雲さんの旧居を訪ねたときには一人で歩き回ったり、寝転がったりしながらなにかを感じていらっしゃったようです。終わったときには「夫婦の何気ない1日」を撮影コンセプトにしようと自然となっていたように記憶しています。

印象的だったのは、川島さんが、遠くにかかった虹や木漏れ日、飛行機雲などを見つけるととにかく立ち止まってシャッターを切っていたことです。とにかくアンテナが鋭くて、私が素通りするようなところでも葉に溜まった雨粒などの綺麗なものを見つけてしまう。なにかと立ち止まるから、ロケハンがスケジュール通りに進まない、進まない(笑)。ただ、これが写真家としての目なんだなと実感しました。
━━ロケハンから撮影日までの間に何か準備はされましたか?
小島:具体的にどの場所で撮影するかももちろんですが、衣装についても川島さんと着物の生地を見ながら決めていきました。川島さんの世界観を「ばけばけ」に取り入れたいという思いもありましたので。
━━キービジュアルのために特別に衣装を用意されたのですか?
橋爪:キービジュアルのために6着の衣装を用意しました。 写真としては1枚しかキービジュアルで使わないけれど、川島小鳥さんの自由度を高めるためにたくさんの衣装を用意しました。
━━そういった自由度を高めることが重要だったのですね。
小島:そうですね。川島さんの「未来ちゃん」の写真もそうだと思いますが、日々を一緒に過ごした時間があるからこそ輝く1枚を撮っていらっしゃるという印象がありました。決まりきった構図やポーズで1枚撮るというやり方ではなく、長い時間を過ごしてもらった中で生まれたものをメインビジュアルにしたいと思いました。 それぞれの場所や衣装に合わせて「休日のお出かけ」とか「仕事終わりの待ち合わせ」みたいなストーリーを私なりに込めて、川島さん、トキさん、ヘブンさんにもお伝えこそしましたが、あとは自由にお過ごしください、と。

━━それはこれまでとは違うアプローチですね。
橋爪:本当に自由にした方がいいと思いました。撮影当日は松江市内で全部で5ヶ所を回りました。1ヶ所でも全然良かったのですが、5ヶ所回って、その都度衣装も着替えてもらいました。現場では、トキさんとヘブンさんの2人が川島さんの世界に没入できるように、360度とは言わないですがある程度広い範囲で、どの方向を向いても撮れるように美術チームが事前に現代のものを隠したりしました。メイクをして2人に撮影現場に入ってもらったら、我々は見えないところに行って、あとは自由に撮ってもらいました。
撮影現場では川島氏と俳優2人だけの空間を作り、スタッフは見えないところから見守るという特殊な撮影方法を採用
━━撮影現場の雰囲気はどのような感じでしたか?比較的穏やかで、川島さんの雰囲気に任せてふんわりした感じだったのでしょうか?
小島:おっしゃる通りだと思います。ただ、実際に撮っている様子は遠巻きにしか見ていないのでわかりません(笑)。川島さんとトキさん、ヘブンさんの中で進めていったので、後々話を聞くと、トキさんから「こういうポーズをとってみよう」とヘブンさんに話したこともあれば、川島さんから「こんな感じの2人みたいです」と提案があったりもしたようです。

━━手をつないで歩いている(スキップしている)写真など、2人の楽しそうな、温かい関係性が伝わってくるものがありますが、現場でもそういった雰囲気を感じていましたか?
小島:そうですね。この撮影のときはまだドラマ撮影の初期段階で、ヘブンさんとトキさんがそれぞれに関係性を深めていっているときの撮影でもありました。互いが互いを知って、惹かれ合っていく時間がメインビジュアルを作る時間と重なったのは良かったのではないかと思います。
━━この撮影で特に印象的だった出来事やエピソードがあれば教えてください。

小島:小泉八雲旧居で撮られた写真の中に、庭から撮られたものがあるのですが、実はあのお庭は大変貴重な場所で、手入れ以外で降りることはできないんです。ただ、今回は運営のみなさんのご厚意と川島さんの熱意で許可をいただきました。庭から室内を撮ることで二人の暮らす家を感じられる、個人的にも気に入っている一枚です。
橋爪:松江の街中で堂々と撮影していたのですが、思いのほか誰にも気づかれませんでしたね。今回はドラマ撮影のようにスタッフがたくさんいるわけではなく、カメラマンと2人だけという状況だったので、本格的な撮影をしているようには見えなかったのかもしれませんね。
━━NHKのクルーが大々的に撮影するというよりも、地域に馴染んだ撮影だったんですね。
小島:それは川島さんならではの手法だと思いました。最初は照明の補助の人くらいは来るだろうと思ってホテルを手配していたのですが、川島さんは「1人で行きます」「補助は要りません」「曇ったらそのときはそのときです」とおっしゃっていて(笑)。「雨が降ったらどうなるんだろう」と心配していたのですが、川島さんは「あまり雨に降られないんです」と言っていて、実際、最後は夕日での撮影までできて…流石だなと。
━━夕日が入ったのは素晴らしいですね。
「うらめしい。けど、すばらしい。」2人の自然な表情と距離感が「ばけばけ」の世界観を表現
━━そういうところから今回のビジュアルが生まれたんですね。たくさん写真を撮ったと思いますが、どういう基準で今回採用されたカットが選定されたのでしょうか?
小島:まず川島さんにイチオシの写真を厳選してくださいとお願いしました。川島さんがいいと思った写真を世に出していきたいと思ったからです。すると210枚くらいが「厳選しました」という形で届きました(笑)。宍道湖だけの写真など、本人たちが写っていない写真も含まれていましたね(笑)。
それを私が選んで橋爪と相談しながら、ビジュアルとしてはこの辺りでどうでしょうかというところまで絞らせてもらいました。その後、川島さんにも意見を聞いて、実際にポスターサイズに大きくして見てもらいながら「この写真はどうですか」と直にお話しする時間を取りました。
━━写真を絞っていく過程でどういう話し合いをされましたか?
小島:「ばけばけ」はどういう物語なのか、トキさんとヘブンさんはどういう人なのかということを橋爪と議論しました。そうやって私たちが選んだ写真の中に川島さんが「これがいい」と言っている写真もあって、いろいろな意見はあったものの、最終的にはそれに決まりました。
━━川島さんが押していたのはどのカットですか?
小島:まさに私たちがメインビジュアルとして選んだ写真です。議論の中で川島さんは一貫してこの写真がすごくいいとおっしゃっていました。2人と1日の長い時間を過ごされた方がいいとおっしゃるものは信じたいという気持ちもありましたし、写真家としての目は間違いないと思いましたので、これに決まりました。

━━川島さんはなぜこの1枚がいいと思ったのでしょうか?
小島:表情と雰囲気、空気感でしょうか。ポスターとして見ると、ヘブンさんが横を向いていて正面は向いていないのですが、笑っているトキさんをヘブンさんが見ている、そして手を繋いでリードしながらも見ているという感じ。トキさんも引っ張られるだけではなく一緒に進んでいる様子が伝わります。これは理屈ではないところもあると思いますが、この空気感が全体の中ですごく光っていたのではないかと想像します。
橋爪:小島の言う通り、表情と距離感だと思います。幸せな距離感だけど、お互いを思い合って意識している、2人のリアルな関係性が一番出ていると思います。作られた表情や作られたシーンではない感じがします。カメラを向けられて撮った写真もあって、それはそれでスタッフとしていいと思う人もいると思いますが、そうではなく、すべての作為が排除されて2人の感情だけがきちんと乗っている写真、それが川島さんが最初から決めていた写真なのだと思います。
タイトルバック映像は余計なエフェクトを排除し、
写真と音楽だけのシンプルな構成で視聴者の想像力を刺激

━━タイトルバック映像についても教えてください。写真を使ったタイトルバックは珍しいと思いますが、どのような理由でこのアイデアに至ったのでしょうか?
小島:私がタイトルバックも担当していたのですが、写真を撮っているときは特にタイトルバックをどうしようという考えはありませんでした。ただ、選ばれなかった素敵な写真が山ほどあるという状況で、タイトルバック映像をどうするかを考えたとき、ハンバート ハンバートさんが作られた歌の歌詞のフックが持つ空気感や言葉のニュアンスに、この写真の1枚1枚がはまるように感じました。そこから写真を構成していくというアイデアが生まれました。
━━局内での反応はいかがでしたか?
橋爪:基本的にハンバート ハンバートさんの歌も川島さんの写真も素晴らしいので、余計なエフェクトはかけずに、淡々と同じタイミングで出すことで、邪魔をしないようにしました。そうすることで、いろんな想像ができ、写真や歌の更に奥にあるものを感じることができると思ったので、極力シンプルに作ることを目指しました。
あとは文字が写真の上に乗ると邪魔になると思ったので、文字の場所と写真の場所を完全に分けました。想像できる余地をたくさん残すというのが今回のテーマでした。局内でもこのシンプルさが評価されて、「感情的に入り込める」「この2人が橋を渡っている場面はこのあとどうなるのだろう」と想像させる力があるという意見をいただきました。

━━最後に、ENCOUNTER MAGAZINEを読んでいるこれからものづくりに関わっていく若いクリエイティブな方々へ。今回のメインビジュアル制作を通して感じたことや、ものづくりの面白さについて、メッセージがあれば教えてください。
小島:メッセージというほど大それたものではないのですが、ただただ面白がり続けたいと思っています。人に面白がってもらうためには、まず自分自身が面白がり続けることが大切だと思うんです。今回のタイトルバック映像も、完成形だとは思っていません。ドラマ序盤のまだ二人の距離が少しずつ近づいている段階で見るこの映像は、この先、こんな場面が訪れるのかもしれないという未来予想図のように見えたかもしれないし、物語が終盤に進んだ頃には実は描かれなかった、もう一つの一場面だったのかもしれない、そんなふうに感じてもらえたらいいな、と想像しています。世に出して終わりではなく、見る人と一緒に最後まで面白がり続けられる関係をつくりながら、これからも作り続けていきたいですね。
━━橋爪さんはいかがでしょうか?
橋爪:プロデューサーの立場から言うと、ディレクターがやりたいことを、きちんと実現できる環境を整えることが何より大切だと思っています。今回も川島小鳥さんの魅力を最大限に生かすために小島が描いたイメージを形にしようとすると、どうしても手間やコストがかかる部分がありました。それでも可能な限りその環境を用意することが、クリエイターの力を100%以上引き出すことにつながると考えています。撮影当日を迎えてしまえば、あとは楽しくやるだけ。ただ、そこに至るまでの意識合わせのプロセスや現場に入るまでの準備がとても重要です。今回は、その積み重ねがうまく噛み合った。だからこそ、この写真のアウトプットにつながったのだと思います。

写真提供:NHK